雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

春休み

2010-01-28 | 雑記
「春休み」なんて言うと悠長な感じがするが、これがそんなに気楽なものではない。

 勤めている会社が、いよいよ傾きだした。まだ倒産には至ってはいないものの、二月から約一ヶ月半ほどの長期休業を余儀なくされた。たしかに、ここしばらくは仕事らしい仕事もなく、「そろそろヤバいかな?」などと半ば冗談交じりの予想はしていたので「寝耳に水」というわけでもなかったが、実際その旨を告げられると戸惑いを隠せない。

 昨日の帰り際に社長から告げられたのだが、その後、一緒に駐車場へ向っていた同僚のおっさんがボソッと「永い春休みやな」と言って力なく笑ったのだ。普段の私なら「巧いこと言うねぇ」と思うかも知れないが、流石にその時は「ハハッ……」と味気ない声を返すので精一杯であった。
 しかしまだ、倒産やリストラではないのでマシなほうなのだろうか? 一応、休業ながらもその間、いつもの給料の九割分は貰えるのだそうだ。しかしただでさえ少ない給料。すでに去年から二割カットされて、合わせて三割カットは遣る瀬無い。
 
 ところで、私をもっとも気を重くさせているのは、他でもない、そのことを『アノ』恐妻に伝えなくてはならないことである。これは嫌だ。想像するだに恐ろしい。いっそ離婚してくれ。実際、リストラされたことを妻に言えず、朝何食わぬ顔で家を出て公園でぼんやりブランコ漕いでる中年の気持ちが痛いほど解った。だが、私は隠し事が出来ない性質なので、(というか、妻には嘘がすぐバレる。何故?)昨夜夕飯を食べ終え、腹を満たして尚且つ腹を決め、切り出した。内心びくびくしながら。
 
「まぁ、しゃあないね」

 案に相違して、妻から出た言葉はこれだった。私の凹み具合が憐れだったのか? それよりも、あまりに怯えている様子が伝わったのであろうか? ともかく、このご時世だし、あんたが悪いわけではない、と。

「でも、良かったよね。二人で。とりあえず、わたしも働いてるんだし、なんとかなる」

 なんてことを言ってくれる妻に、ふと、「ヒモ生活」などとイケナイ妄想を繰り広げそうになる愚かな夫。いや、それにしても、たしかにそうか。自分は、一人のほうが何かと気楽にやっていけるんじゃないか、という考えであったのだが、妻は、二人で助け合う、というのが自明の理であったのだ。ふと、「花の独身生活」などとイタイケな妄想を繰り広げていた愚かな夫は恥を知れ!

 そんなこんなで、今はなんとか良妻に勇気づけられ、色々とこれからのことを前向きに考えなければいけないという姿勢に持っていっている。

 それにしても、仕事をしているときは始終「もっと休みが欲しい」と切望していたものだが、いざそんな状況に陥るとかなり困惑してしまう。ともあれ、この先どう状況が変化していくかはまったく予想もつかないが、これからも変わらず、私の傍に妻がいるということだけは確かなことのようだ。
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泣かせておくれ

2010-01-18 | 雑記
 今日の仕事も終わろうというときに、左目にゴミが入った。わりと盛大に。
 擦れば取れるだろうと思い、ゴシゴシやったら余計悪化した。まあいずれ取れるだろうと、車に乗り込み帰路につくも、コロコロして鬱陶しいことこの上ない。
「ええいっ!」と、しゃにむに擦ると、さらに悪化した。(この悪化というのは擦りすぎて目が痛くなった+ゴミが奥へ奥へ突き進んでしまっている状態)
 もはや物理的攻撃では手に終えないと判断した私は、「泣く」という戦術を試みる。
 泣くのは得意である。ポン酒五合くらい呑ませてくれれば、ちょっとした一言でわんわん泣ける。が、しかし、如何せん運転中の身である。そいつは無茶だ。
 なので、鉄板で泣ける映画のシーンや小説の一節などを懸命に思い出す。尚且つBGMはフジファブリック。さあ、涙よ、押し寄せて来い! 

 ……来ない。

 それはそうであろう。もうなんか、目が痛くって歯痒くて尋常な状態ではないところに、あれこれ「泣き」の要素を引っ張り出したがために統一性が持てず感情は昂ぶらない。ついでに言えばこのとき勃起も無理だな、それくらい酷い状態なのである。
 普段は冷静沈着菩薩の如き私だが、このときばかりは神経が逆撫でされ、車の中で一頻り喚き散らした。
「うわー!」とか「ああっ! もう!」とか「なんでやねん!」など。
 だが、これを逆手にとって、今の自分の情けなさに哀切を憶えれば泣けるのではないか? おお、なんと聡しいことよ。しかし、普段からこれ以上に情けない己の所業をわきまえているので、こんなことではちっとも泣けない。ハッキリ言って、怒りしか湧かない。

 そんなこんなで家に帰り着き、目を洗ったり、目薬を差したりするも、一向に取れる気配がない。一時の神経を逆撫でするような不快感は過ぎたものの、違和感は依然として残っている。
妻は、「朝になったら目脂(めやに)と一緒に出てくるんじゃない?」などと悠長なことを言ってくれるが、夜は永い。
 やはり「泣く」という方法がベストだと思えるので、とりあえず鉄板で泣ける小説を物色した。やっぱ重松清か……。が、普段から本はほとんど図書館で借りる派なので「泣ける重松ベスト1」(ちなみにそれは『とんび』)は手許にはない。それでも数冊ある中から『定年ゴジラ』を抜き出し、その中のベストシーンを拾い読みする。いや、流石重松。泣けたわ。こうまで簡単に泣けるとは、重松も凄いが私も凄い。
 ところがどっこい、涙もじんわり出るのだが、それよりも鼻汁のほうがよく出るもんで、一向にゴミが出てこない。たぶん、俯いて読んでいたせいであろう。こんちくしょー。
 では、再チャレンジ。しかし、だからといってもう一度、重松で涙を誘うのも芸がないように思われ本棚の前で思案に暮れていたら、ふと、数年前オフクロに「読んでみれ」と渡された漫画が目についた。それは、11才の少女が突然「骨肉腫」と診断されながらも癌と必死に闘い続けた1年9ヶ月を描いた実話であった。
 なんともベタな話ではないか! と思い、ずっとほったらかしにしてあったのだが、これだ、これこそが今の私に必要なものである!
 私はひねくれて汚濁しまくっている心をなるべくピュアにして、あと上を向いて、読み耽った。 

 ……取れた。

 その本の感動もあることにはあったが、やはりそれにもまして憎き目の中ゴミが取れた、という感動のほうが勝っていた。
 こんな読み方をしては、この癌と闘った娘に対して失礼だな、とも思うが、ゴミが入らなかったら、たぶんずっと読まなかっただろうなとも思うので、良しとさせてもらう。
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飢餓系男子

2010-01-17 | 雑記
 女性に飢えている。などと言うと、「とんでもなくどうしようもない奴」と思われるかもしれないが、実際とんでもなくどうしようもない奴なので致し方ない。
 しかしながら、それにはちゃんとした理由がある。それというのも、仕事柄ほとんど女性に接する機会がないからなのである。仕事中はせいぜいで、前夜観賞自闘したAV女優の痴態を思い描き、恥ずかしながらの前傾姿勢をとるのが関の山。生身の女体などにはついぞお目にかかれない。
 であるからして、私生活中において稀に訪れる女性との交わりは大切にしたいと常々思っている。


 先日、コーヒー豆を買いに「タリーズ」に行ったときのこと。コーヒー豆を物色していた私の隣に、色白の若い女性店員さんがやってきた。彼女は新人さんなのか、一々ツッコミたくなるようなことを申してくれる。

彼女「コーヒー豆をお探しですか?」

  心中のツッコミ……いや、見れば判るだろう。

私 「あ、苦いのが、いいです」照れ臭そうに。

彼女「ではこれなど、エスプレッソ用ですので苦さは抜群です」

  心中のツッコミ……抜群て(笑い) てか、苦すぎねーか?

私 「あ、そうですかぁ」やばい、君が好きになった。

 如何せん、若い女性と接する機会の少ない私は次第に言葉少なになってしまい会話が続かない。これではいけない。ここはひとつ、エスプリの効いたジョークでも叩き込むべきか? などと思えば思うほどへどもどしてしまいワケがワカらなくなる始末。それでも彼女は、なんだか煮え切らない気持ちの悪い「間」に耐えつつも、懸命に私の面倒を看てくれる。こうなると私は俄然勘違いを起こし、更にはあらぬ妄想に駆り立てられたりする。もうコーヒー豆などそっちのけで、意識は隣の女体からプンプン発せられる匂いや息遣いに奪われている。さぁ、やがて我慢の限界だ。私は「くるっ」と身体を反転させると、徐に彼女を抱き寄せる。するとお互いの顔が近付く。彼女は「あ、いけません。お客様……」などと言いつつも、頬をほんのり染め、俯く。だがすぐに、ゆっくりと上目遣いで私の顔を見遣る。そして見つめ合う、二人。

 ……「それでは、ごゆっくりお選びくださいね」

 彼女のその言葉で「ハッ」と我に帰る。よもや、私のただならぬ妄執の気配を察知したわけでもあるまいが、彼女は私にそう言い置くと、いささか忙しくなってきた模様のレジ中へそそくさと戻って行った。
 私はすぐにコーヒー豆を選び、ついでにホットコーヒーを一杯注文して、席につき、しばらく彼女を視姦していた。

 などと言うと、「とんでもなく気持ちの悪い奴」と思われるかもしれないが、実際とんでもなく気持ちの悪い奴なので致し方ない。


 また、つい先日まで通っていた歯医者さんでのこと。私の担当になってくれた若い女性歯科衛生士さん。彼女は顔半分マスクに隠れてはいるが露出している部分(目、のみ)が辺見えみりに似ていてすこぶる可愛い。私は秘かに「えみりちゃん」と呼んでいる。
 そのえみりちゃん、小柄なのでしょうがないが、これがもうちょっと、あとほんの少し、胸がふくよかであったなら、一生懸命歯石取りをしてくれている際、そのおっぱいの感触をこの顔面に得られることが出来るのであるが人生そうそう美味くはない。よもや、このギリギリの線で客を悦ばせようと画策しているわけでもあるまいが、非常に残念である。しかしながら、なにくれとなく彼女の胸が顔面すぐ傍まで近付く機会があり、その度、「自らこの顔を持ち上げて、愛くるしいその胸に頬ずりしてくれようぞ!」などとも思うのだが、やはり若い女性と接する機会が少なく、その限られた時間を大切にしたい純情ボーイなので、そこは「ぐっ」と堪える。その代わり、歯医者さんに行った夜はえみりちゃんの淡い記憶を引っ張り出し、なにやら白濁としたものをしごき出したりする。
 それはさて置き、このような状態なので、なんともこの歯医者さんに行くのが楽しみで仕方なかった次第である。が、よもや私のそんな不埒な想いを悟られたわけでもあるまいが、予定より早く治療が終えられた。
 当初、彼女が言うことには「前歯に、ホント、小さいんですけど虫歯が見られますので、奥歯の治療が終わったらそちらも治療したいと思います」という話であったのだが、奥歯が終わるや否や、「今日で治療終了です」
 あの……前歯は? とも思うのだが、如何せんシャイなこんちきしょう。遣る瀬無さを隠しつつ、へどもどと「あ、ありがとうございました」と頭を下げるより他ない。
「お大事に」
 えみりちゃんは笑顔(目、のみ)で私を送り出してくれた。その夜、えみりちゃんの妄想で心の慰療をしたことは言うまでもあるまい。

 などと言うと、「とんでもなくサイコな野郎」と思われるかもしれないが、実際とんでもなくサイコな野郎なので致し方ない。


 そして今朝などは、「この娘と色んな猥褻な行為が出来るなら、そののち捕まって人生台無しになったって構いやしない!」というくらいの美少女中学生を出勤途中に目撃した。これほどの美少女にはなかなかお目にかかれるものではない。ポケットにつめ込んでそのまま連れ去りたい衝動に駆られながらも、なんとか自制し、今夜の自闘に持ち越す方向でその場を凌いだ。

 などと言うと、「とんでもなくどうしようもない、気持ちの悪いサイコな変質者」と思われるかもしれないが、実際とんでもなくどうしようもない、気持ちの悪いサイコな変質者なので致し方ない。



 私は、女性に飢えている。などと言うと……
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あの頃ぼくらはアホでした/東野 圭吾

2010-01-15 | 小説
 人気ミステリ作家、東野圭吾のミステリとはまったく関係ない、自身の青春時代を綴った、なにわの青春エッセイ。

 はっきり言って、オレが今まで読んだ東野作品の中でいちばん面白い。いや、まあ、それもこれもミステリ作家としての礎があるからこそなんだろうけれども、実際「こんな面白いエッセイも書けるんだ」と見直した感が湧いてきた。なにより出身が大阪というのが、いい。もうなんか、中学校時代のところはまんま中場利一(岸和田少年愚連隊)のノリだもん。

 でも確かに、東野圭吾って文芸っぽい作品も多々あるからなぁ、こういうエッセイも巧いのは頷けるってもんか。

 
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独居45/吉村 萬壱

2010-01-15 | 小説
 こ、これは素晴らしい。今までに、この吉村萬壱の著書は「クチュクチュバーン」「ハリガネムシ」と二冊読んでいるのだが、そのどちらも吐き気を催すくらい(比喩ではない)の素晴らしさであったが、今作『独居45』に至っては、もう初っ端から素晴らしい。

≪脱走老人は万世橋の上で目脂(めやに)を指でこそぎ取り、口に運んでそれを食べた。≫

 すこぶる気持ち悪くなる、最高の書き出しであった。もちろんこんなのは序の口で、話が進むにつれ耐え難い汚濁がわんさか流れてくる。はっきり言って今回ももれなく吐き気を催した。
 にも拘らず、何故だ!? この充足感というか親近感というか、胸の裡に滞る昂揚感。もうこの人の小説って、一種のドラッグだな。快感を得る人もいれば、不快感に苛まれる人もいる、みたいな?

 前回も書いたが、この人の小説が好き! というのは少々憚られる感じなのだが、なんか、今作はソレを超越したと思う。胸を張って「好き!」と言える、ようになったのは単に自分がすでに取り繕うものがなにもないからだろうか? ともあれ、この作家の世界は異常だ。読んでて痛々しくなる。いや、比喩ではなくて。あのカミソリの刃を見てたら「すぅーっ」て感覚が肌を過ぎるような、ってわかりにくいな。

 だがそういった歪さや汚濁さばかりに目を取られていてはいけない。この作者の意図するところ、この作品の中に込められた真の意味には、まさに文学の根幹が貫かれている、ように思える……たぶん。
 ともかく、この吉村萬壱なる作家の素晴らしさは、その禍々しさの中の清々しさという矛盾した気持ち悪さであろう。ハマる人はハマる。
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電化製品列伝/長嶋 有

2010-01-13 | 小説
 この人の偏執っぷりは、毎度常軌を逸しているが、その最たるモノがコレだと思う。っていうか企画的に、もう笑える。小説(映画、漫画もあり)の中に登場する家電(その家電にしても長嶋独自の流儀がある)にスポットを当てた書評集。
「なんだよ、それ(笑」と思って読んでみると、これがまたもの凄い。なにが凄いかって? だからその偏執っぷり、ではなくて、電化製品について語っているようで、それでいてちゃんとその作品のことも捉えているとこ。
 ほとんど読んだことがない作品ばかりがとり上げられているにも拘らず、飽きることなく読み、笑い、呆れ、最後には「あ、この小説今度読もう」と思わせる、まさに長嶋マジックというかなんというか、とにかく凄い。やっぱりこの人の文章は最高に面白くて巧いんだなぁ。
 これほどまでにマニアックになると些か「俗」に感じたりしてもおかしくないのだけれど、まったくそうならず(きっと本当にコアなマニアックさだからだろう)もはや「高尚」さすら感じる。

 次、何読もうかな? と悩んでたところだったので、この本はいい指針になった。っていうか、そういうの抜きにして、この本自体が本当におもしろかった。
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西日の当たる教室で/千原ジュニア

2010-01-13 | 小説
 所謂、「タレント本」ってやつですか?

「芸人さんの中で誰が一番好きか?」と訊かれれば迷わず「ジュニア」と答えます。なので、とりあえず読んどけ、と思って読みましたが……あれですね、ファンは読まなくていいんじゃねーか? と。大方の話は色んなところで語ってますわ。だから、彼の考え方やなんかを知っている(解っている)ファンの人は改めて「洗脳」される必要はないんじゃないか、と。寧ろ、千原ジュニアのことは「最近テレビでよく観るなあ、わりとおもろい人やなあ」くらいの人が読むと、「こいつええこと言いよるなあ」もしくは「なにイキってんねん!」と両極端な意見に分かれることでしょう。 

 まあ、言うても、千原ジュニアです。笑わせるとこもきっちり押さえてあるんで、パラパラ~と読むにはいいんじゃないでしょうか?
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リテイク・シックスティーン/豊島 ミホ

2010-01-13 | 小説
 自分は、つくづく青春小説が好きなんだなあ……と思った。

 学際、競技大会、海でのダブルデート、等々の青春イベントはもちろん、グループ昼食、放課後の寄り道、些細なすれ違い、等々の日常的青春も満載。そのベタさはまんま少女漫画(最近の少女漫画はどうだか知らないけれど)といってもいいほどのシックスティーンストーリー。
 一応、なんでこんなにベタなのかと言えば、主人公の友人が「実はわたしは27歳(2009年)からタイムスリップしてきた」と。「もう一度、戻れるなら絶対高校生からだ」と。んで「今度こそ思いっきり青春するのだ!」と。概ねこんな感じで意気込んでいるから、なので、このベタさもしっかり計算済みなのだね。なんか、そう聞くと「SFものか?」とも思えるが、タイムスリップはベタさを受け入れさせる便宜みたいなもので、SF色はほとんど無い。
 まさに「豊島ミホが過ごしたかった青春がここにある!」みたいな?

 執筆休業前、最後の豊島作品は、「これでもかっ!」ってほど青春がつまっております。(本人曰く『日向の青春』)



 余談ではありますが、現在発売中の『パピルス』誌上に豊島ミホの写真&活動休止についてのインタビューが載っております。己を卑下することに長けている彼女らしい休業理由ですので、些か納得できないところもあります。本人が思っている以上に世間は彼女のことを評価してると思います。少なくとも、私はそうです。

 いずれまた、彼女の作品を読める日がくることを信じて、この『リテイク・シックスティーン』を読みました。
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初詣

2010-01-03 | 雑記
 初詣に行って来た。勧進帳で有名な小松市の安宅住吉神社というところへ。毎年違う神社に参りにいくのもどうかと思うが、どうせ神も仏も信じちゃいない罰当たり者なので、行くだけ立派なのである。(去年は参拝にすら行っていない)
 さて、流石に正月三日ともなれば、いくら名のある神社といえども参拝客は少ないだろうと予想していたが、まあ、多くもなく少なくもなく、ほどほどの入りであった。

 ところで最初に「勧進帳で有名な」などと書いたが、実は私はその話をさっぱり知らなかった。それを市内出身の妻に言うと思いっきり馬鹿にされた。ここでは小学生でも知っている、と。そりゃそうだろう、なんたって地元の有名譚なのだから。でも私は地元でもなんでもない。縁も所縁もないのだから。でも、今年はここへ初詣に行こう! と言い出したのは私だ。何故そんな自分とは縁も所縁もないところへ初詣に行こうと思ったのか? それは、年末のテレビニュースで初詣の準備に追われるこの神社の様子が映し出されていて、その中に可愛い巫女さんが一人いたから……なんて、ふしだらな理由は口が裂けても言えない。

 とりあえず私は勧進帳に興味のあるフリをして、妻にレクチュアを受けながら神社へと向かう。が、寒い。ひじょうに、寒い。ここは海に面している神社でもともと浜風が厳しいのだが、そこに加えて天候の悪さ。びゅうびゅう雪が吹雪いてやがる。
「ああ、クソ! 寒い。誰だよ、こんなとこ来ようなんていった奴は!」
 そんな愚痴を垂れながら、妻に白い目されながら、とにかく境内までやってきた。まず私の目的は巫女さんなので、お守りやらなんやらを売っているところに目を向ける。
「おめでとーございまーす」「おめでとーございまーす」
 と、巫女さんたちの黄色い声が飛び交っている。私はちらちらと物色する。お守りではなく、巫女さんを。しかし目当ての娘は見当たらない……。
 私が熱心にお守り販売所に目を向けているので、妻が横から、「お守り買うの?」と訊いてきた。
「いや、買わない」

 お参りしましょう。そうしましょう。
 しかし財布を開くと五百円玉一枚と十円玉数枚しかない。妻を見遣ると、すでに百円玉を取り出している。
「なあ、おい。金貸してくれ」
「は?」
「いや、百円玉が無いんだ。五百円と十円しかない」
「五百円入れれば」
「やだ」
 呆れた顔をした妻が持っていた百円玉を渡してくれた。
「あとで返すから」
「いいって」
「いや、だってそれだとオレの願いの賽銭料じゃなくなる」
「いいじゃん、出どころ一緒なんだし」
「ん……そうだな」
 めんどくせー奴だな、という顔をする妻をよそに、賽銭を投げ入れ、願い事をする。普段、神も仏も信じちゃいない罰当たり者が。

 さあそれじゃあ、寒いしとっとと帰ろうか、と思ったときにふと、絵馬がずらっと掛かっているのが目に留まった。どれどれ、ちょいと他所様の願いを覗いてやれ、と見てみるとやたら「合格祈願」が多かった。妻に聞くと、ここは勧進帳の所以で「難関突破」のご利益があるそうだ。へえ、そうなんだ?
 
 なにかの占いであったのだが、私は「今年夢が叶う」のだそうだ。言うなれば、私の夢は「難関突破」みたいなものである。不純な動機で選んだ神社とはいえ、こいつはなんとも幸先が良さそうだ、と上機嫌になった。

 普段、神も仏も占いも、そうそう信じちゃいない罰当たり者だが、やはり縁起くらいは担ぎたい。
 そんなテキトーな男だが、よし! いっちょうヤッたるか! と、浜風厳しく吹きすさぶ中、想いだけは熱くしてその場を後にした。
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新年のご挨拶

2010-01-02 | 雑記


















































 で、また「ちんこ」とか書くと思ってたでしょ?

 いやいや、いくらなんでも新年早々から「ちんこ」とか「まんこ」とか書かないって。








































 あ、うん。書いちゃってるね。

 






























 とりあえず、今年もよろしくなのです☆彡
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