雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

物語が、始まる/川上 弘美

2010-02-27 | 小説
 とにかく、書き出しでやられた。

≪雛型を手に入れた。何の雛型かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛型である。≫ (物語が、始まる)

「雛型」である。しかも「男の雛型」。もう、初っ端からすごい。惹き込まれる。いったいどんな話だよ? ってなる。

 基本的にはあり得ない話(本人曰く「うそばなし」)ばかりの短篇集なのだが、物語の登場人物たちは特に驚くでもなく、淡々と、粛々と、その世界で生活する。それがなんだかとても緩やかで、読んでいるこちらもさほどの違和感を覚えることなく、気付けばその世界に包み込まれている。
 まったく、狐につままれたような具合だ。

 もちろん書き出しだけではなく、作中の言葉ひとつひとつに、何くれとなくやられる。
『婆』という作品中の主人公の言葉。

「鯵夫、ずいぶん好きよ」

 もう、身もだえするくらい、好い。
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ゆっくりさよならをとなえる/川上 弘美

2010-02-27 | 小説
 手元に置いておきたくなるような本がある。今回読んだ川上弘美さんのエッセイも、そんな類いだ。とにかく、読んでいて心地好くなる。エッセイなのでひとつひとつは短い。短いので、生活の合間合間に読む。そうして読むと、その間の気持ちが、空気が、とても和んでいる。

 愉しくなるエッセイ、不愉快になるエッセイ、考えさせられるエッセイ、様々あるが、これほど心地好いエッセイというのはそうそうない。特に内容が優しいとか、文章が柔らかいということではなく、全体から醸し出される言葉の雰囲気が、とてもいい。

 もう、何度でも読み返したくなる。にもかかわらず、図書館で借りた本なので返さなければならない。本当に、手元に置いておきたい一冊なので、文庫を買おうと思う。
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ベンハムの独楽/小島 達矢

2010-02-27 | 小説
 第5回新潮エンターテイメント大賞。審査員は荻原浩ただ一人という、もはやそれは「荻原賞だろ」とツッコミたくなる文芸賞を見事受賞した『ベンハムの独楽』。

 率直な感想は、つまんないな、だ。読んでいると、どうにも、少し前の伊坂幸太郎や荻原浩の二番ていうか三番煎じくらいにしか思えない。一応、連作短編の体(てい)をとっているようだが、ほとんど意味の無い登場人物の再登場は甚だ鬱陶しくなるばかり。ストーリーにしても取り立てて際立ったところもなく、尚且つ会話文が小洒落た感じにしようと思っているのだろうか? とても陳腐で鼻白む。

 これでは、選んだ荻原浩氏に対しても疑問を感ぜざるを得ない。
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十字架/重松 清

2010-02-24 | 小説
 今さら重松作品に対してどうのこうの言う必要もないとは思うが、今作は重松渾身の書き下ろし作品ということで、こちらもかなりの期待と熱意を伴って読んでみた。それが一概に、「期待外れ」や「肩透かし」という訳でもないが、どうも今一つ煮え切らなさが残った。何故だろう?
 確かに、テーマは重い。十四歳、いじめ、自殺、遺書、遺書に「親友」として書かれていた自分の名前。しかし、これくらいの重さ、重松作品に於いてはまだまだ軽度なほうであろう。
 読みやすさにしても、相変わらず抜群のセンスで読み手をグイグイ惹き込んでいくのは最早、神業。二日で読めた。
 それなのに、どこか煮え切らない。それが何か? を考えてみた。

 多分、主人公の気持ち、考え方に自分が乗り切れなかったんだと思う。勝手に自分の名前を遺書に書かれて、勝手に「親友」とかにさせられて、勝手に死んだ奴のために重い十字架を背負わされる、それを受け入れる訳ではないけれども、(受け入れられるものでもない)それで何かとその後の人生にまとわり付いてくる。その度に、もう何年も前に死んだ奴のことをいちいち持ち出したりして、鬱陶しい。というか、そうしないとお話にならないが。
 自分だったら、まず無いな、と思う。勝手に自分で死を選んだ奴のことでこっちが煩わされるなんて馬鹿げている。
 
 もちろん、話の趣旨としては上記に述べたことも含め、自殺された家族の悲しみや苦労や、いじめを見て見ぬふりをしている者に対しての罪と罰、子供に先立たれた親たちの苦しみ、等々、真に迫る勢いで描かれている。

 作品自体になんら問題はない。渾身の一作、だと思う。やはり、重松作品には普遍の筋が真っ直ぐ通っていて、本当に素晴らしい。
 従って、問題があるのは私の人間性だろう。
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灰色猫のフィルム /天埜 裕文

2010-02-23 | 小説
 第32回すばる文学賞。ケータイで十ヶ月かけて書き上げた、ということが凄いのかどうなのかはよく判らないが、22歳という年齢でここまで描ききる、というか、22歳だからこそ描ききれたのだろうと深く頷ける文体であった。しかし、内容的には真新しさなどはない。母親刺して、逃げて、ホームレスになって、そしてやがて……。ラストは少しグッとくるものの、やはりストーリーの波はあまりない。が、しかし、文芸作品に於いては特に問題のないことだろう。ストーリー云々よりも、その描写力、息遣い、不確かな確かさ、が際立っていた。が、やはりベタ褒めできるわけではない。
 それはたぶん、肌に合うか合わないか、くらいの問題なのだろうけれど、そこがいちばん肝心なところなので。もし二作目が出ても、自分は読まないと思う。

 先日ある文芸誌に彼のエッセイを見つけて思わず手に取った。読んでみて思ったことは、「金を払う価値のない文章だな」だった。
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ヤイトスエッド/吉村 萬壱

2010-02-22 | 小説
 自分が目指していた文学がここにあった!

 そんなカンジのヤイト(灸)スエッド(据えっど)。
 
 さて、六つの短編が収録された本書。一応その統一性は「かたくななまでに変な女たち」を描いている。いや、もう、「変」っていうより、凄まじい。危険。(あ、一話目の「イナセ一戸建て」は女出てなかったか?)

 しかしながら、この吉村萬壱という作家さん。かなり好みが二分される人。それも極端に。
 たぶん、好きな人はとことんこの作家を好きになるだろうし、嫌いな人はとことん嫌悪するみたい。そりゃ、まあ、とことん汚物と精液まみれの本だし。そんな作家(本)を「好きだー」って公言する奴はあんまりいないわなー。まあ、オレは声を大にして言うけどね。

「萬壱サイコー!!」

 さて、冒頭にも書いたように、自分は「これこそオレが求めていた文学である」と思ったのであるが、それは表題作の「ヤイトスエッド」ではなく、「不浄道」という作品である。この作品は、もうとてつもなく、汚い。ここに書くのも憚られるほど……と言いたいところだが、もはやここで憚るものなどないのが切ない……まあ、あれだ、ウンコ喰ってる(笑)

「ウンコを喰う」というのは、果たして愛の証明なのであろうか? 愛する男のウンコを喰って、その後「ニッ」とウンコの付いた歯を見せて微笑む女を今まで通り愛せるだろうか?
 それはまさに、
 スカトロカタストロフィー
 と言ったところだろうか。
 
 などと文字を大きくしてまで書いたのはいいが、この小説の本質はそういうことではない。単に私がスカトロ描写が好きなだけ。

 まあスカトロだけじゃなく、えげつないホモセックスや執拗な性癖、野口五郎、痰、等々生理的に受け付けない描写が多いのだが、何故だか自分は「汚ねーなー」とか思いつつも、自然と受け入れてしまっている。それはきっと、私が変態だからだろう。

 ともかく、普通ではあまり絶賛されるような本ではないので、せめて自分だけでも絶賛したいと思う。そしてこれからも汚物まみれの潔い(なんかヘンな表現)文学を突き進んでいってほしい。と、切に思う。
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酔いがさめたら、うちに帰ろう。/鴨志田 穣

2010-02-21 | 小説
 出逢いは偶然であった。前述の「川上弘美コーナー」の上「か行の作家」のところに、ひょいと目がいった。

『鴨志田 穣』

 へー、カモちゃんの小説か。

 彼のことは、ほぼ西原理恵子関連で知っているくらいで、そういえば彼の書いたものなど読んだことはなかったなぁ……そう思い至り、借りた次第だ。
 これがまあ、なんというか、本当にアタリだった。
 この本を「おもしろい」と簡単に言ってしまうと些か語弊が生じるが、いや、でも、おもしろい。そして、深い。とっても、深い。
 事の顛末を知っているからかも知れないが、とにかく響いてきた。そこにはまったく余計なものなどなしに、直截的な事実があるからだろう。

「アルコール依存症」 この響きが持つ、どうしようもなさや、残酷さが、ありありと描き出されているのに、事の顛末も知っているのに、時折「クスッ」と笑えてしまうのは、やはりカモちゃんの人柄、というか人間性そのものなのだな、と思える。
 
 この本以降、しばらくカモちゃんの本を読み漁った。『ばらっちからのカモメール』シリーズ、『アジアパー伝』シリーズ等々、そのどれもが、本当に好かった。かなりシャレにならないことも幾らか書かれてあるが、どうにも好感を覚えてしまってならない。

 ちょっと自分は、人よりお酒の量が過ぎるかな? と思っている人は、読んだほうがいい。教訓めいたことは一切書かれていないが、いくらかは自重できるようになる、と思う。いや、無理か? 呑んだら無理だな、やっぱ。

 ともあれ、鴨志田穣。男が惚れる男であることは間違いない。



 余談ではあるが、先日書店に行ったら平台にこの本が積み重ねてあった。もう何年も前に出た本がなんで? と思っていたら、どうやら映画化されたらしい。なんでもかんでも映画化するのはどうかな、と思う常日頃ではあるが、まあ、それは置いといて。
 主演は浅野忠信。「ほう」と思った。浅野忠信といえば昔、『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画で戦場カメラマン一ノ瀬泰造役を見事なまでに演じていた。
 
 カモちゃんも戦場カメラマンであった。
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センセイの鞄/川上 弘美

2010-02-21 | 小説
 川上弘美。この作家さんの本には、実のところ十四年前に出逢っている。芥川賞受賞作『蛇を踏む』だ。
 十四年前というと、自分は21才の時か……。このころといえば、なんだか闇雲に本を読んでいた時期で、たまたま新聞の広告欄で目に留まった『蛇を踏む』というタイトルに惹かれて(本当に、ジャケ買いならぬタイトル買い)内容もヘッタクレも判らずに購入した。まではよかったのだが、如何せん文学の「ブ」の字も解っちゃいない奴だったので、正直ナニがナニやらサッパリだった。
 そんな体験があったもので、未だに図書館で「川上弘美」の名を目にするものの、読んでみようという気は起こらなかった。しかし先日読んだ長嶋有著『電化製品列伝』に、この『センセイの鞄』がとりあげられていたもので、ちょっと読んでみようか、という気になった。
 するとこれが、殊の外いい。何がいいかって、文章がとても心地好い。やあ、もちろん、内容的にもすこぶるそそられたのだが、そのストーリーを内包するふわふわした、それでいて確かな存在感、というか、そこに在る安心感、みたいなものがひしひしと自分の中に入ってきた。
「これは大変な作家さんを読み落としていた」と即座に思った。

 十四年の時を経て、ようやく文学の「ブン」くらいは解ってきたのだろうか? それともただ単に、齢を喰って物の見方、考え方に柔軟性が出てきただけであろうか? ともあれ、因縁の(と言うほどのものでもないが)『蛇を踏む』を読んで、いったいどんな感慨を覚えるのか、愉しみである。



 ああ、しまった。毎度のことながら本題(『センセイの鞄』)について書いてないや。
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出勤の悦び

2010-02-18 | 雑記
 本日から、仕事が再開された。特に好転した、というわけではなく、とりあえず目の前にあるものを片付けて、それから先はまだ未定といった具合か。

 さて、久しぶりの朝の出勤時間帯。車のフロントガラスがバリバリに凍りつくほどの寒さにもかかわらず、オイラを悦ばせる光景。

 そうそれは、通学途中の


 女子高生たちの生脚

 やっぱ、最高だな。おい。

 久しく忘れかけていた情熱を取り戻した感じだよ。

 サンクス!

 女子高生

 ビバ!

 生脚


 
 ホント、このクソ寒い中、ご苦労さんです。女子高生もオイラも。

 
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休職者の憂鬱

2010-02-12 | 雑記
 同じマンションに、年の頃50前後と思われる独身の男が居る。この男、特に何か騒動を起こすような突飛な変質性はないのだが、静かな変質性を持っている。端的に表現するならば「暗い」。ついでに我が妻曰く「気持ち悪い」。
 仮に、「О家さん」としておこう。いや、勘違いしてはいけない。決してマンションの大家さんではない。名前がもう「О家」なのだ。その辺も静かな変質性の一つだ。それは彼のせいではないにしろ。
 さて、このО家さん。もう十数年、同じマンションで暮らしているが、ほとんど口を利いたことはない。こちらから挨拶しても、ほぼ目を合わせず頭を下げる程度だ。そんな彼に、我が妻曰く「気持ち悪い」「結婚は無理だ」。要するに、女性からはあまり好かれないタイプらしい。ついでに言えば、私もあまり接触したくないタイプなのである。
 しかし何故か、私とこのО家さんの行動はよく重なる。妻曰く「似たもの同志」。……こら。

 午前中、ハローワークへ足を運んだ。休職してから早、二週間になろうとしている。とりあえず、一ヶ月半の休職期間中、何もしないというのもなんとなく極まりが悪い。また、あわよくば復職してからも小遣い程度に稼げるようなバイトはないものか? と、ちょくちょく足を運んでいるのだが、そうそうウマい仕事はない。今日も一通り仕事情報を眺め、益のない時間を過ごして施設を出たところ、向こうからО家さんが歩いてくるのが見えた。私は咄嗟に目を逸らし、彼とは反対の方へ歩いて行った。彼は気付いただろうが、私はおかまいなしにスタスタとその場を去った。
「んだよ! 鬱陶しいな! なんでこんなとこで会うんだよ!」
 そんな罵りを心中叫びつつ、歩いた。ふと、妻の声が聴こえた、「似たもの同志」。……よせ。 
 しかし彼も、ハローワークに群がる就職前線異常アリの一人なのだな……そう思えば、まあ、寛大な心になれなくもない。だって私は、ただの休職者なわけであって、失業者なわけではないのだから。(上から目線)

 そこからしばらく歩いた商店街の中に、小さなコーヒーショップがある。この店へは大概、日曜日に顔を出すのだが、現在「毎日が日曜日」みたいなものだ。丁度コーヒー豆も切れそうだったので寄ってみた。
 店内に入ると、店の奥さんが開口一番、「あれー、今日お休みですか?」と訊いてきた。私も「ええ」と一言でやめておけばいいものを、ついつい「このところ毎日がお休みです」などと現状を喋ってしまっていた。
 すると奥さん「なんか、わたし、余計なこと訊いちゃいましたね」と申し訳なさそうな顔をするので、「いやいやいや、全然。ただの休職中なんですから」と、その辺はハッキリさせとこうぜ、的なことを念押しして、マンデリン200gを購入して店を後にした。

 その後、図書館に寄ってあれやこれやと物色していたらお昼前になったので帰ることにした。テクテクと自宅マンション方面へ歩いていると、嗚呼、何故か! 目の前に彼が、О家さんが歩いているではないかっ! 
 些か歩調を緩めたものの、行く先は同じである。そしてあろうことか、О家さん。さっさと行けばいいのに、私の姿を認めてエレベーターを待っていてくれたりしている。実はこの男、妻にはすこぶる愛想悪いのだが、私には何故だか妙に気を遣っている節があったりする。妻曰く「ホモ?」……刺すぞ、こら。
 そこはかとない状況ではあるが、一応「あ、どうも」などと礼を述べると、いつもは寡黙な彼が話しかけてきた。
「さっき、ハローワークで見かけたけど、無職なの?」
 チッ! やはり気付かれていたか。
「いやー、ちょっと会社が休業中で。その間なにかいいバイトでもないかなーって」
 彼は三階で降りるので私は早口になって現状を伝える。
「俺も、去年は七ヶ月無職だったよ」
 おい、ちょっと待て。「も」って。
 私はあくまで休職中なだけであって、無職ではないのです。と、伝えようとするも、エレベーターは三階に到着。
「じゃあ」そう言ってО家さんは去っていった。

 ちょっと待て、ということは、これからはハローワークに行ったりすると奴に会う可能性が大いにあるということか? それはなんとも、鬱陶しいことこのうえない。嗚呼、まったくもって、世の中とはままならないものだ。
 打ちひしがれながら、妻に《ハローワークでO家さんに会った》とメールしたら、《やっぱ気が合うな》と返ってきた。……もうどうにでもなれ。
 この際、もう何でもいいからバイト決めて、ハローワークには行かないでおこう! そんな決意を固めた夕刻、会社から電話が掛かってきた。
「来週から仕事始められそうな具合」と。
 
 社会に出てこの方、「仕事が出来る」と思って喜びを覚えたのは、今日が初めてである。
 
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