ロード・フォー・スズキFISHING

スズキフィッシング道を極めんと苦悩する日々

感動した!

2008-11-06 | 日々の想い
またまた健さんである
健さんの事が知りたくて、出演DVDのみならず関係書籍も集めだした
その中の一冊に「南極のペンギン」と言う、健さん自身の著作がある
健さんの映画俳優人生のなか、世界中で出会った優しい心のぬくもりを綴った話にイラストが添えられた、まるで絵本のような本だ
作中の一遍「奄美の画家と少女」を読んで、泪が出て止らなかった

その一遍を此処に、簡潔且つ完璧に再現する力は僕には無いので、話の内容が知りたい方は、是非ご自身で読んで頂きたい
実際に出会ったこの話が心の琴線に触れて、このように書き記した健さんも素敵であるが、僕は健さんが次のように紹介したその画家の事ももっと知りたくなった
田中一村(たなかいっそん)というのがこの画家の名前だ。奄美でひたすら自分のかきたい絵をかきつづけた。絵をかくために、生まれてきたと自分を信じた。
生きているあいだ、彼の絵は世の中に認められなかった。それでも、絶望しなかった。貧しさにもまけなかった。そのはげしい生き方は、「アダンの画帖」に、くわしく書かれている。
一村が亡くなったあと、ぼくはその絵をはじめて見た。南の島のたくましい命があふれている。自分の命をけずって、絵の具にとかしたような絵だ。

20071003
(代表作の一つ 奄美の杜6 クワズイモとソテツ 83×157cm 絹本 昭和40年代)

早速「アダンの画帖」(現在の書名は「日本のゴーギャン田中一村伝」)を、購入して読んでみた
一村の一途で激しい生き方に、惰眠を貪っていた自分の心が揺さぶられる思いがしたので、簡単に紹介したい

明治41年栃木県に生まれた一村は、幼いころから画才を現し、7歳にして米邨(べいそん)と号し南画をよくした
大正15年上野の東京美術学校に入学、日本画科を専攻する
同期には、東山魁夷、橋本明治、加藤栄三らがおり、のちに日本画壇で「花の六年組み」(昭和六年卒)と称えられたほど英才が集まった期である
その中でも異才と言われた一村であったが、入学後僅か3ヶ月で結核に倒れ、父の病気も重なり中退せざるを得なかった
その後病で倒れた父に変り、一家を支えながら独学で画境を開拓し、戦後の昭和22年、第19回清龍展に初出品初入選を果すが、翌年主宰する川端龍子と意見を異にし、以後画壇との接触をほとんど断ってしまう
学閥や権威に一切頼らず、貧窮をものともせずただ自分の才能だけを信じ、ひたすら絵を描き続けた
生涯結婚もしなかった彼は、南の島の明るい光線と豊かな自然こそ自分が描きたい対象であると、50歳にして一人奄美に移り住む
5年間大島紬の工場で働き金を溜め、その金で3年間は絵に専念すると言う生活を繰り返し、「東京で個展を開き、絵の決着をつける」との夢を実現する前に、69歳で一人寂しく亡くなった

自らの才能を信じて聖のように生き、最後は絵に殉じた孤高の画家の不遇な生涯
世の中には全く凄い人が居るものだ・・・感動した!
一村の絵に直接触れるには、奄美に渡り「田中一村記念美術館」を訪ねるほか方法は無い
頭の中では、奄美へ行って絵を見る事と、奄美での釣り(何が釣れるのか、現在の所、全く情報は有りませんが)が渦巻いている

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最近思う事

2008-11-05 | 日々の想い
自衛隊の空幕長・田母神空将が「真の近現代史観」懸賞論文に応募した論文「日本は侵略国家であったのか」が切っ掛けとなり更迭された
(前空幕長・田母神退役空将の論文「日本は侵略国家であったのか」以下でDLできます。)http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf



更迭の理由は、政府見解とは違う戦争史観を発表した事であると言う
此処で言う政府見解とは、1995年戦後50周年を迎えた終戦記念日に、時の村山内閣が発表し一般に。、「村山談話」と呼ばれているものである



極東軍事裁判での戦勝国が一方的に敗戦国を裁くという歪んだ裁定を受けて、他国の歴史見解に対して声高に非難を繰り返す中国・韓国への過敏反応、其れにより過度に自虐的になって今に至る戦争感に基づく村山談話を諾とするのか、田母神空将の論文に書かれた内容を誤とするかは、戦後の歴史を振り返れば既に明らかだと思う



戦争は二度と起こしてはならない
その為には日本が戦争に踏み切った過去の歴史を、正しく検証しなくてはならない筈である
他国からの軋轢や、自らを一方的に悪とする自縛から解き放たれて、正しく歴史を検証すべきではないだろうか
今それを行わないと日本と言う国は、誇りを失ったまま国家感のかけらも無い、惨めな国に成り果てる気がしてならない

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祭囃子が聞こえる

2008-11-04 | 平鱸(ヒラスズキ)
2日、名城公園で行われた観閲式に参加後12時に消防署へ戻り、急いで帰宅し着替えて伊豆へ向かって走る
秋本番折角の3連休であるが消防行事があるため、日曜夕まずめ、月曜早朝にしか磯に立てないのだ
連休中の高速はトラックが走っていないから意外とスムーズに走る事が出来たが、沼津ICを下りてからが地獄だった
国道は行楽の車で渋滞していて殆ど動かない・・・
今の時期は暗くなるのも早いので、明るい内に磯に入りたいと気が焦る


4時半過ぎ磯へ向かう駐車場で待っていてくれたボーグ山本氏と落ち合い、その場で着替え急ぎ足でポイントへと向かった
ポイントは吹き荒れる西風で波が高く、それと満潮が相まって磯際に近付く事が出来ないので、高場からの攻撃となる
体を丸めサイドスローで低い弾道で打ち込むが、それでも強烈な横風でラインが膨らみSky-passと言えども距離が出せない

20071003

陽が落ちるまでの短い時間に磯を駆け巡り、打ち込める場所をせわしなく移動したがヒラからの反応は全く得られず、異常ナシ!
しかし、その後異常アリ!状態に陥ってしまった
ポイントから荷物を置いたベースキャンプに辿り着いて、座り込んでしまった
心臓が煽り首筋が硬直し視野が狭くなって立って居れなくなってしまったのだ
ポイントまでの急峻な岩場の昇降での体力消耗と、2~3日間の睡眠不足が重なった疲労困憊からの立ち眩みの様な状態だと思うのだが・・・

磯から駐車場所までの帰り道も大変であった
下りが多い行きと変って上り道主体となるので、5分も歩くと足が前に出せない位へばってしまう
喘ぎながら休み休みして道を上がり切り、下りに差し掛かった頃漸く体力も回復して普通に歩ける様になった
イヤァ~・・・一時はどうなる事かと思ったが、どうにか事無きを得たようだ


松崎は丁度秋祭りの最中で、祭囃子を鳴らしながら街中を山車が牽き回されている
笛と太鼓のお囃子を聞くと、自然と心も体も高揚するのを覚えるのだ
僕の体調を心配するボーグ氏と一緒に、食事を摂った中華飯店の階下を通る山車を眺めながら呑むビールが旨い
先程の変調が、全く嘘の様である

20071003

早めに寝たお陰で、体調はすっかり大丈夫の様だ
昨夕よりも風も収まっていて、上手い具合に釣りの条件も好転している
二日目早朝、暗い内から攻撃を開始した
好条件が揃っているのだが、全く反応が無く終了間際にボーグ氏のシンペンに一度チェイスがあっただけで、諦めて7時に納竿とした

20071003

獲物の写真が無いので、帰り道に咲いていた野生のツワブキの花を、写真に収めようと立ち止まる
其処を反対にボーグ氏のカメラで撮られてしまった
釣れそうな条件は整ってはいたが、何故か自分の体調以外、異常ナシ!の釣行であった
磯から戻って宿で帰り支度をしていると、開け放った窓から早朝にも係らず、又昨晩と同じ祭囃子が聞こえて来た
時間的にせわしない釣行であったが、祭囃子を後にして帰路に着いた

p.s.僕が帰った日の夕方、ボーグ氏は見事リベンジを果されたようです。詳細はオプセルHPを!

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