ロード・フォー・スズキFISHING

スズキフィッシング道を極めんと苦悩する日々

一変する

2012-10-23 | 日々の想い
先週の土曜日、又しても家人にお供して、美術館巡りに引っ張り出された

今回は県内で、先ず行ったのが小牧市のメナード美術館


メナード美術館正面

見に行ったのは「舟越桂展」だが、舟越桂は木彫の作家だそうだ

作家の名前を聞くだけでは、どんな作品だったのかさっぱり思い浮かばないけれど、作品を見れば、ああ、何時か何処かで見た事はある!と、記憶は蘇える

家人のお供で美術館には良く行くが、僕個人としては嫌いでは無いけれど、家人ほどの興味が無いから、こんなものだろう



作品は皆特徴ある顔立ちなので、記憶には良く残っているが、クスノキを彫って大理石で創った眼を填め込むと説明してあった

家人とは見る時間が違うから、一巡りした後は外でタバコをふかしたり、ソファに座ってもらったパンフを読んで時間を潰し、彼女が見終わるのを待つのが常である



次ぎは、刈谷市美術館へ行った

ここでの展示は「猪熊弦一郎展」で、数年前夏の旅行中に丸亀市の猪熊弦一郎美術館に立ち寄ったので、流石に良く覚えていた



いのくまさんと言えば、漫画チックな猫の絵が有名だが、三越の包装紙をデザインした事も良く知られているらしい(僕はこの展覧会で始めて知りましたが・・・)



丁度昼時だったので、昼食を摂ろうと思ったのだが、生憎この美術館にはレストランが併設されていない

余談であるが、不思議な事に美術館にあるレストランは、大抵何処でも美味しい所が多いので、美術館巡りでの昼食は、大概其処を利用しているが先ず外れはないので、ご参考までに(笑)

止むを得ず全くの飛び込みで、美術館の前にあった小さなベーカリーレストランに入ったが、これが中々の当りでまぁ美味しかった(今調べたら、パン食菜館トレトゥールと言う店でした)

この店は食事のみならず、パンは勿論、ケーキも売っていたから、デザート用にケーキも2個購入した

デザートと言っても昼食のではなく、家に帰ってからの夕食用で、昼食後のデザートは、美術館横にある茶室「佐喜知庵」で、展覧会に所縁ある和菓子と抹茶を頂く事になっている



説明に拠れば、佐喜知庵は、1983(昭和58)年6月美術館のオープンに合わせ、市内に本社のあるトヨタ系各社から寄付を受けて併設されました。
 名前の由来は、豊田紡績創業者の豊田佐吉翁から「佐」を、トヨタ自工創業者の豊田喜一郎翁から「喜」を、そして、知識の「知」から一字ずつ拝借し命名されています。
、とある


いのくまさんに所縁ある、猫の顔をした饅頭

半日余りの小旅行ではあったけれど、家人は見たかった展覧会が見られ、お供の僕はそんなに疲れることも無く、まぁ美味い昼食にもあり付く事が出来て、チョッピリ幸せな気分で駐車場に戻り、さぁ帰宅!と言う段に、今までのハッピーな気分が一変する出来事が待っていた



左側後輪の後に、擦り傷を発見したのだ

この駐車場は、前向き駐車と指定された場所で、更に出入り口は僕の駐車場所よりも右手にある

僕の左側に駐車していた車が帰ろうとして、バックしてお尻を左に振った際、前方右の角を誤って僕の車に擦ってしまったに違いない

誤って擦ってしまった事は、車を運転していれば、ままある事なので仕方が無い

しかし、擦ったに係らず、隣の運転手が居ない事を良い事に、だまって逃げるとは何事だ!

3.11の大地震の際、世界中の人々に感銘を与えた「日本人のモラルの高さ」は一体何処へ行ってしまったのか?!

他国の領土を、後から自分の領土だと恥じらいも無く嘘八百を並べ立て、占拠したり、国有化に反対と暴れまくるような、隣国の輩どもとは、日本人は違う筈では無かったのか?!

こんな事では、隣国の輩の行為を笑っている訳にはいかないぞ!


恥を知れ!

秋を満喫

2012-10-11 | 男の料理
この時期になると、去年辺りまでは、異様に燃える事があった・・・

何に燃えたのかと言えば、松茸を食べる事にである

8月末の中国産から始まり、10月後半の国内産で〆るまで、フライ、ホイル焼き、土瓶蒸し、炭火焼き、松茸ご飯と、飽きる事無く半ば意地でも食べていた

ところが、昨年辺りから今まで食べる事で感じた感激を、何故かそれ程感じなくなってしまったのだ

単純に松茸の味に飽きたのか、あるいはそれ程潤沢にある訳ではない家計から、贅沢品と呼ばれる松茸に異常なまでに投資する愚かさにやっと気付いたのか、兎に角松茸に、以前ほど燃えるものを感じなくなったのである

とは言え、全く飽きた訳ではないらしく、今年も夏の終わりから三度ほどは、値打ちな中国産は食べました

これまで国内産松茸は、岩手県の茸業者から通販で求めていたから、今年も案内を貰ったけれど、とうとう松茸の注文はしなかった

その代わりと言う訳でも無いが、今年は高価な松茸ではなく天然茸の詰め合わせを注文してみた



それが昨日届いたのです

小さな写真で判り辛いと思うけれど、左上の濃茶の茸が「ハナイグチ」右上の茶色の茸が「あみ茸」、左下の褐色のが「畑しめじ」、中央の白いのが「ぶなはり茸」、右下の褐色のは「天然舞茸」だそうだ

辛うじて名前を知っているのは舞茸くらいで、後は名前を聞くのも見るのも、全く初めての茸ばかりである

調べてみると、それぞれに相応しい調理方法があるらしい

しかし、面倒なので昨晩は「きのこ鍋」にして、総ての種類を鍋に放り込んでみた

昆布・鰹節で摂った出しを、薄口醤油、味醂、塩で味付けし、そこに鶏肉、白菜を一緒に入れて、土鍋で煮込んで出来上がり



材料を鍋に入れたばかりの写真を撮れば良かったのだが、ついうっかり食べ出してから写真を撮る事を思い出したから、ご覧の通りですっかり油が浮いた訳の判らぬ写真になってしまいました(汗)

一つ一つの茸の味は、松茸ほどの自己主張は無かったけれど、色んな茸のエキスが混じり合って、それなりに美味しかった

残った出し汁に、きしめんをぶち込み、煮立ったらネギを加えて締めとしたが、十分満足できた一品であった(笑)

今夜は調べたレシピ通り、昨晩残しておいた舞茸とぶなはり茸をバター炒めに、あみ茸は一度茹でたのを大根おろしであえて、酒の肴にしようと思っている

山の幸のお陰で、十分に秋を満喫できた一日だった

お供

2012-10-09 | 日々の想い
3連休の最終日、家人のお供で展覧会に連れ出された

行き先は、東京都府中市にある府中美術館である

早朝に自宅を出発し日帰りすると言う、ややハードなスケジュールだった

新東名が開通してから、車が分散したお陰で通行量が減って走り易いと聞いていたが、まさしくその通りで開館時間の10時前には美術館に着いてしまった



見に行ったのは、ポール・デルヴォー展で、ベルギーのシュールレアリズム作家だそうだ



美術館は府中の森公園の中にあり、休日なので既に多くの市民が園内で散歩を愉しんだり、芝生広場で子供と遊んだりしている

さて、ポール・デルヴォーと言う作家の名前は良く知らなかったけれど、作品を見たら、あっ、何処かで見たことはある!と思った


《行列》 1963年 ポール・デルヴォー財団蔵

《夜明け》 1944年 個人蔵

多分、以前家人に連れられて回った、何処かの展覧会で見た特徴あるこの画風を覚えていたのだろう

展覧会の規模が小さかったので、1時間余りで見終わった

家人のもう一つの用事、「鳩サブレを買って帰る」をこなす為に、この後、町田市の小田急デパートか、たまプラーザの東急百貨店に寄らねばならない

どちらも、美術館を発って東名に乗る道筋であるが、一度たまプラーザなるものを見てみたいとの興味があったから、其処へ寄ってみた




大規模に開発された団地の中心に存在するショッピングモール、と言うのが感じた印象である

県内で言えば、高蔵寺ニュータウンの中のそれのようなものだが、方や既に盛りを超えて古ぼけた印象が免れない高蔵寺に比べれば、華やかさでは全く異次元の感がある

ここで、昼食を摂ったのだが、丁度昼時でどの店も順番待ちの列が出来ており、即食べられるのは讃岐うどんの店だけで、此処へ来たのに讃岐うどん?とは思ったけれど、たかが食事で大層に並ぶのは僕の美学に反するから、讃岐うどんで昼食を済ませ、家人の買い物も終えて、再び東名にのって帰宅の途についた

往復700余km、名古屋に着きそのまま会社に寄って盆栽に水を遣り、自宅に着いたのは4時半であった

流石に、疲れました・・・


オスは哀しい

2012-10-02 | 日々の想い
あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ


これは、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の一節だが、さんまの話しではない

あはれなのは、鈴虫のオス達である

9月初旬頃には、それこそ煩いほどに羽根を鳴らし鳴いていた鈴虫も、近頃の鳴き声にはとんと元気が無い

元気が無いどころか、羽根も鳴き過ぎて磨り減ってしまったのか、鳴き声も澄んだ大きな音色ではなく、くすんで如何にも弱弱しい

鳴き始めた元気な頃は、鳴いているオスを他のオスが鳴かせぬ為に追い回したり、丁度馬が後ろ足で蹴り上げるように、互いにお尻を向け合って後足で蹴りあったりして、メスへの優位性を得ようとしょっちゅう喧嘩していた

それを活動を始める午後4時頃から朝まで、今日まで毎日行っているから、羽根の周囲がボロボロになり、後足がもげてしまったオスも多い

両後足とも無くなってしまったオスは、いざり(放送禁止用語でごめんなさい)のようにお尻を地面に落とし、這って進んでおり、全くあはれで見るに忍びない

今日までに、既に命を亡くしたオスも多いのだ




メスはお腹をパンパンに膨らませ、闘いあうオスを尻目に魚粉やナスに貪り付いている

朝、力尽きたオスを見つけると、メスや仲間に喰われる前に、そっとケースから出している

子孫を残す為に、それこそ身を犠牲にしてまで頑張った彼らを、仲間に、特にあれだけ腹を膨らませたメスに、喰われると言う残酷な目にはどうしても遭わせられないのだ

磨り減ってしまった羽根を打ち鳴らし、それでも懸命に鳴いているオスを見ると、健気であり、そしてあはれである

もう暫らく時を経れば、オス達は総て死に絶えて、産卵するメスだけがケースに残る事になる

更に涼しさが増せば、そのメス達も短い一生を終えるのだろう

最近朝夕はめっきり涼しくなり、秋の深まりを嫌でも感じる

秋が深まるに連れて、あはれを感じざるを得ない昨今である