6.工事中の相鉄直通線と東急多摩川線
武蔵小山から目黒線でいったん終点の日吉まで行き、
ここで折り返し始発に乗って多摩川まで行く。
日吉は将来の相鉄線直通の連絡線の接続駅である。
相鉄は起点が横浜で関東の大手私鉄で唯一東京に乗り入れていなかった。
そこで独立法人鉄道・運輸機構が主体となって整備を行い、
2019年11月30日にJR東海道貨物線横浜羽沢から、
相鉄線西谷までの連絡線2.7kmを新規開業して相互連絡した。
中間駅として羽沢横浜国大駅が新規開業している。
このプロジェクトは相鉄とJR東日本だけでなく、
相鉄と東急を結ぶ路線も計画され、現在工事中である。
羽沢横浜国大から分岐して日吉までの約10kmの連絡線を敷設し、
相鉄と東急も相互乗り入れを予定している。
計画では2022年下期に開業を予定しており、
これに併せて目黒線を6両編成から8両編成に変更、
田園都市線2020系、大井町線6020系と同様の、
相鉄線乗り入れ用の3020系を投入する予定である。
日吉から始発列車に乗り込んで多摩川まで移動し、
ここから東急多摩川線に乗り込む。
ここから蒲田を目指すが、途中の鵜の木で下車して見る。
鵜の木駅は相対式2面2線の地上ホームを有する駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り多摩川方面が使用する。
東急多摩川線は目黒蒲田電鉄が敷設した区間で、
1923年3月11日に目黒から丸子(現・沼部)まで敷設された。
目黒蒲田電鉄はもともと渋沢栄一が、
田園調布の開発のために設立した田園都市株式会社の、
鉄道部門を1922年9月に独立分離させたのが始まりで、
1923年11月1日に丸子から蒲田まで延伸して目蒲線として全通した。
目黒蒲田電鉄は1934年10月1日に池上電気鉄道を合併、
1939年10月1日には東京横浜電鉄を合併、
目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄に社名変更された。
1942年5月26日には戦時体制維持のための陸上交通事業調整法により、
小田急電鉄、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、
社名を東京急行電鉄に変更された。
東京急行電鉄は1943年に相模鉄道の運営を受託、
1944年5月31日には京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を合併している。
戦後、過度経済力集中排除法が施行され、相模鉄道の運営受託を解消、
1948年6月1日に会社再編成により、
小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が東独立して現在の形になった。
目黒蒲田電鉄の路線は目蒲線として運行されていたが、
目蒲線は2000年8月6日に目黒線、東急多摩川線分割され、
目黒線は多摩川から東横線に乗り入れ日吉までの運行になった。
このあと再び東急多摩川線に乗り、
終点の蒲田を目指す。
蒲田で下車していったん改札を出て、
再入場してここから池上線に乗り換える。