彩彩日記 作詞家/シンガーソングライター 大塚利恵のブログ

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10年目の3.11に。

2021-03-12 00:06:28 | 地震
北茨城の実家に、こんなに長く帰省しなかったのは初めてだと思います。
昨年3月1日、地元で10年担当させていただいたFMひたちの番組が終了しました。その頃もうコロナが広まり始めていましたが、まだ呑気に打ち上げもできたりして。数ヶ月経てばまた地元の温泉に入り、両親といわき(すぐそばが県境で、福島です。)にご飯を食べにも行けるかな、なんて思っていました。
でもそれ以降、帰省は控えています。

震災から10年目の今日は、午前中作詞レッスンの仕事があり、帰宅してメールの返信や家事、母とLINEで話し、そして黙祷しました。

改めて、震災で大事な存在を失ったたくさんの方々に、心から祈りを捧げます。
そして犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。


「10年経つと、周りにいる人が変わる」というようなことを、昔聞いたことがあります。
確かに、この10年間で沢山の出会いがあり、別れもありました。
新しい友人知人の中には、私の地元が被災地だということを、知らない人も結構多いと思います。
当時とても親しかったのに疎遠になった人もいるし、ずっと変わらずそばにいてくれている人、互いを思い合える関係の人もいます。
良い悪いではなく、10年経つってそういうことなんだろうと思います。
そして震災があったからこそ繋がった人、絆が深くなった人もいます。
もちろん、被害の大きさを考えれば、震災がなかったら良かったのにと思うけれど。


震災直後、余震や原発事故の影響が懸念された北茨城の実家から、東京を経由し、神奈川在住の作曲家、鎌田雅人さん宅に避難させてもらった猫の「ぴあの」は、話し合いの末そのまま鎌田家の猫となり、他の猫さんたちを含むご家族に愛しに愛してもらって、なんとこの4月で21歳。人間の歳だと100歳になります。
元飼い主として、鎌田家の皆さんには、改めて深く感謝を申し上げます。
ぴあのは世界一幸せな猫です。そして、私は世界一恵まれた元飼い主です。


ここからは、震災の話から離れます。
個人的に、今書かずにいられなくて。長くなるけどすみません。

3月3日に、デビューの頃からずっと私の歌の師匠であり、人生の師匠でもあった、安ますみ先生がお亡くなりになりました。
翌日、生徒仲間から連絡をもらい、昨日10日、告別式で最後のお別れをしてきました。
先生はメディア嫌い(というか、メディアの嘘が嫌い)だったし、ほとんどテレビに出たりはしなかったけれど、間違いなく日本を代表するボイストレーナーでジャズシンガー、そして超一流の文化人でした。
入退院を繰り返しても不死鳥のように蘇り、フルパワーで活動する先生だったから、いまだに信じられないような、信じたくないような気持ちです。

98年7月だったと思います。音楽スタジオの「池袋フォルテ」に、当時の事務所のスタッフさんに連れて行ってもらい、初めて安先生にお会いしました。
初レッスンは確か、デビュー曲の「いいよ。」でした。
「いいよ。」は死がテーマの歌ですが、未熟で不器用な私の歌声からも、この楽曲に込めたものをガシッと受け止めてくださいました。
少し、目を潤ませながらこの歌をじっと聞いて、そして本気の指導をスタートしてくださいました。ズバッと核心しかつかない先生。
深く理解してくださったのがわかり、それがとても嬉しかったです。

真実があやふやにされがちな世界で、安先生は真実の光そのもののような存在でした。だから私もみんなと同様に先生が大好きだし、尊敬していました。

歌を強化するために、弾き語りではないライブを経験させてくださったり、素晴らしいミュージシャンと共演させていただいたりもしました。

その後色々なことがあり、私は先生のレッスンに行かなくなりました。
20代半ば。体も心もボロボロだったので、歌う以前に別な勉強をして自分を立て直す必要を感じたからです。
でも、うまく声が出なくても、ちょっとずつ、先生に教わったことを噛み砕きながら、練習を続けました。

数えきれないほどの生徒さんを持ち、音楽業界では知らない人のいない安先生ですが、そんな私のことまでいつも気にかけてくださいました。
毎年行われていた教会でのチャリティーコンサートに、ピアニストとして誘っていただき、長年参加させてもらいました。
震災をきっかけに他のことに力を注ぎたくなり、辞退させてもらいましたが、毎年本当に濃密な学びの場でした。

また、カルチャースクールのボイストレーニングクラスのピアノ伴奏を、ずっと担当させてもらいました。15年以上かな。
そのグループレッスンに誘ってくださったのは、伴奏のお仕事というのは建前で、安先生が、私の歌の勉強になるように計らってくださったのだという気が、実はしていました。

アドバンスクラスだったこともありますが、90分中85分は歌わずに喋っていたと思います。
これは安先生あるあるで(笑)。
先生のレッスンが精神論と思われると嫌なので書きますが、お話の中で、脳から(凝り固まった考えが)変わり、最後にはちゃんと歌が上達するようになっているんです。
だって、歌は「在り方」だし、自分が楽器だから。もちろん、プラクティカルなレッスンががっつりあった上でのエピソードです。
カルチャースクールで先生に定期的にお会いできたことは、思い返せば宝物のような時間でした。

昨年、コロナ禍で、カルチャースクールは閉校となってしまいました。
でも秋に、別なスタジオでクラスをやるからと伴奏に誘っていただいたのですが、あいにくその日は先約があり、私は最後に先生にお会いするチャンスを逃してしまいました。

最後に電話でお話したのは、昨年10月。
昨年亡くなった先生の愛弟子、狂言師の善竹富太郎くんの話をしました。

2017年に、千駄ヶ谷の国立能楽堂にトミーの公演を観に行った時のこと。
今は亡きヨガ友に「行ってみたいから連れて行って。」と誘われ、一緒に行ったんですが、安先生も観に来ていて、ロビーで立ち話をしました。
何か体の不調の話をしていた先生に、アーユルヴェーダの知恵を勧めた友人。
キョトンと聞いていた安先生。
全然噛み合ってないけれど、なんだか愛のある、二人の不思議な一瞬のやりとり。そのシーンが妙に印象に残りました。
まだ若かったヨガ友とはそれが最後に。
4年後の今、彼女も、あの時舞台で輝いていたトミーも、安先生もあちらの世界に行ってしまったなんて。

当たり前のことなんて何もない。
何がいつ起こるかなんてわからない。
大事なことを後回しにしてる暇はない。
色々、思い知らされます。

安先生の思い出はたくさんあって書ききれないくらいです。
私でさえそうだから、家族のようにずっとそばにいた生徒さんたちはもう、何冊も本が書けると思う。

20年くらい前になるでしょうか。
東京では滅多にない雪の日に、高速があちこち閉鎖されていたのにも関わらず、先生の車で二人、北茨城まで行ったんです。
アンコウ鍋発祥の地である私の故郷に、アンコウ鍋を食べるために。
先生は、細い体でびっくりするくらい食べるし(それでも痩せるくらいエネルギーを使っていた。)ホンモノの美味しいものを食べるためなら、どこへでも出かけるフットワークの持ち主でした。
多忙な先生ですから、雪が降ろうと高速の入り口が閉まっていようと、行くと決めたら実行です。
なんとか、一つだけ開いていた入り口を見つけ、北茨城まで行き着きました。

実家にいた老犬のマルチーズが、小さくて細くてよぼよぼだったんですが、「カフ、カフ」とかすれ声を出すワンコを見た安先生が、「こんな鳥みたいな犬初めて見た!」と目を丸くしていたのがとってもコミカルでおかしかったです。
確か、昔先生は猿を飼っていて、その子がドレッサーで口紅を塗っていた話をしていたっけ。ハシビロコウもお気に入りだったし、ユニークな動物好きだったのかな。

震災後に、「アンコウ鍋の取り寄せはできるの?」と先生に聞かれました。
「もし地物なら、応援も込めて取り寄せたい」と。
あの雪の日の、平潟のアンコウ鍋を覚えていていただけたこと、故郷に思いを寄せてもらったことを、とても嬉しく思いました。
先生はいつだって、全方位に全力でそういう気遣いの人でした。

2013年には、無理を言って、私の結婚披露宴で歌っていただきました。
歌う前に、「昔アンコウ鍋をご両親にご馳走になっていますから。借りがありますからね。」と、私たちに気遣いをくださり、そして会場みんなが先生の歌声にうっとりと聴き入りました。

「Smile」
Smile through your heart is aching
Smile even though it’s breaking
When there are clouds in the sky,
You’ll get by、、、

震災から10年、節目なのは数字だけで、何も終わっていない。
さらにコロナという試練。
でも、Smileのこの歌詞のメッセージは、こんな時こそ大切にしたいと思います。
そしてきっと笑顔を忘れそうな時は、必ずあの時の先生の歌声と笑顔を思い出すと思います。


昔、池袋でレッスンの後、二人でご飯を食べた時のこと。
先生が磯辺焼きを注文したので、「先生、お餅好きなんですね。」って言ったら、「ううん、好きじゃない。りえちゃんが好きそうだと思って。」と。
笑ってしまいました。
そして私はお餅を1皿、5つくらい一人で食べて超満腹になりました。
そんななんでもないようなエピソードも、愛おしく、どんどん溢れてきます。

ある日、レッスンに向かう山手線の中で、私は仲良しだった同級生の死をメールで知りました。
スタジオに入るまで泣くのを我慢していたけれど、入った瞬間止まらなくなりました。
事情を知った安先生は、彼女のニックネームを聞くと、◯◯ちゃんはこうだったの?ああだったの?と質問しながら、やっと私が落ち着くと歌のレッスンに入り、誰かのために歌うということを優しく短く伝えてくださったと記憶しています。

安先生って、きっと、普通じゃない波動を放っていた気がするんです。
だから、もう時代が変わってしまったかのような気さえする。

告別式は、密にならないよう気をつけながら、たくさんの生徒と、先生を慕う方々が集まっていました。
この状況で、なかなか会えずにいた久しぶりの人ばかり。
先生を中心に、また新たに繋がり直させてもらえたような気がしました。
いただいたたくさんの方とのご縁、大事にしていきます。

ひな祭りが命日だなんて、チャーミングでエレガントだった安先生らしい。
悲しいけれど、ノンストップな人生だった先生にやっとゆっくり休んでいただけると、そう思います。


本当は、安先生のことと震災のブログは分けて書くべきだったのかもしれません。
でも、なぜだろう。切り離すことがなぜか自分の中でできなくて、思いつくままに書きました。変に結論づけてまとめようとするのも、やめようと思います。


毎朝、毎晩の祈りを続けながら、「誰も責めないことから始まる希望がある」という、10年前に得た座右の銘を何度でも胸に刻んでいます。
そしてSmileを口ずさみながら、この困難な状況を生きて行こうと思います。

世界中の人々が、誰一人取り残されることなく、平和で、平穏でありますように。
真実が照らされ、私もそのために貢献できますように。


※毎年、3.11に震災についてのブログを書いています。
北茨城の当時の状況等については、過去のブログも読んでいただけたら幸いです。

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