ある人が、「音楽でも小説でも映画でも絵でも、その表現者を人間として好きになれないと、その人の作品を好きになれない」というようなツイートをしているのを目にして、
わたしは全く逆だなーと思った。
表現する人にとっては、作品こそその人の真理でしょう。本当の意味では。
もちろん、人間力で売っている方も沢山いて、それもひとつの在り方だけど、やっぱり作品がいいのが表現者にとっては一番だと思うなあ。
ウディ・アレンがどんなに私生活がめちゃくちゃでもコンプレックスの塊でも、私はウディの映画が大好きだし、ウディが大好き。
それは、なんといっても作品が魅力的で、ウディの表現者としてのスタンスが好きだから。
だからといって、たとえその辺でウディを見かけたとしても、「握手して!」とか「サインして!」とかって近寄ったりは特にしないと思う。
鶏が先か卵が先か、という話になりそうだけど。
大事なのは、どんな良い人だろうが酷い奴だろうが、作品に対してその人が誠実で、その人のすべてが作品に映し出され、作品を生み出すことでその人が脱皮して前に進んでいるかどうか、じゃないのかと思う。
たとえば、性格が最悪でワガママで自分勝手な歌手がいたとして、その人の楽曲が素晴らしくて歌声に嘘がないのなら、私は迷わず聴くし、その人を心底愛してしまう。
逆に、どんなに性格が良くてファン思いで慈善活動をしていて人気がある歌手でも、その人の楽曲が薄っぺらくて歌声が嘘なら、絶対聴かないし、興味が湧かない。
日本では、後者の方が俄然人気ありそうだけど…。他の国はどうなのかなあ?
なにはともあれ、日常の姿の延長線上に作品があるタイプと、日常で真の姿を出せなくても作品にだけは真理を映し出せるタイプがいると思うので、
表現者を人間として好きになれないからと言って、その人の作品まで好きになれない、と決めてしまうのはもったいないと思う。
~おいしいオマケ~
もうちょっとで鍋の季節も終わり。
この冬は、土鍋の代わりにホーローの大きな鍋を買って、重宝しました。
今夜は大好きな豆乳キムチ鍋☆
味噌、コチュジャン、だし塩、醤油、酒、そばつゆ、しょうが、にんにくなどで適当に味付け。
味噌を入れるのがポイント!
わたしは全く逆だなーと思った。
表現する人にとっては、作品こそその人の真理でしょう。本当の意味では。
もちろん、人間力で売っている方も沢山いて、それもひとつの在り方だけど、やっぱり作品がいいのが表現者にとっては一番だと思うなあ。
ウディ・アレンがどんなに私生活がめちゃくちゃでもコンプレックスの塊でも、私はウディの映画が大好きだし、ウディが大好き。
それは、なんといっても作品が魅力的で、ウディの表現者としてのスタンスが好きだから。
だからといって、たとえその辺でウディを見かけたとしても、「握手して!」とか「サインして!」とかって近寄ったりは特にしないと思う。
鶏が先か卵が先か、という話になりそうだけど。
大事なのは、どんな良い人だろうが酷い奴だろうが、作品に対してその人が誠実で、その人のすべてが作品に映し出され、作品を生み出すことでその人が脱皮して前に進んでいるかどうか、じゃないのかと思う。
たとえば、性格が最悪でワガママで自分勝手な歌手がいたとして、その人の楽曲が素晴らしくて歌声に嘘がないのなら、私は迷わず聴くし、その人を心底愛してしまう。
逆に、どんなに性格が良くてファン思いで慈善活動をしていて人気がある歌手でも、その人の楽曲が薄っぺらくて歌声が嘘なら、絶対聴かないし、興味が湧かない。
日本では、後者の方が俄然人気ありそうだけど…。他の国はどうなのかなあ?
なにはともあれ、日常の姿の延長線上に作品があるタイプと、日常で真の姿を出せなくても作品にだけは真理を映し出せるタイプがいると思うので、
表現者を人間として好きになれないからと言って、その人の作品まで好きになれない、と決めてしまうのはもったいないと思う。
~おいしいオマケ~
もうちょっとで鍋の季節も終わり。
この冬は、土鍋の代わりにホーローの大きな鍋を買って、重宝しました。
今夜は大好きな豆乳キムチ鍋☆
味噌、コチュジャン、だし塩、醤油、酒、そばつゆ、しょうが、にんにくなどで適当に味付け。
味噌を入れるのがポイント!