毎年この時期は自分のブログを読み返しながら、時の流れとともに変わったこと、変わっていないこと、忘れていたこと、忘れられないこと、いろいろかみしめています。
あの日はACO先生の陰陽ヨガのクラスに出ていて、バタフライのポーズで揺れながら、陰ヨガらしく慌てることもなく、
あれ?でもこれは大きいねと、だんだんみんなで顔を見合わせて、避難することになり外へ出ました。
落ち着いたACOさんの後に続き階段を降りると、どうしようどうしようと半パニックになっている人がいたりして、やっと実感が湧いてきました。
それからのことは「きたいばらき震災記」とブログに書いたので割愛します。
8年経った今でも変わらず、毎週ACOさんのクラスに通っています。
ACOさんのクラス中、一度も震災のことを思い出さない日はないなあ。
8年間、ずっとそう。
でもそれは辛さやショックを思い出すというわけじゃなくて(多少はあるけど)、ゼロ地点に戻るような感覚。
そして、毎回祈りの言葉でクラスが終わり、深くなった呼吸とリフレッシュしたBodyMindSpiritをめいっぱい味わいながら、感謝の気持ちで帰路につく。
FMひたちは2月末に開局9年を迎え、開局からパーソナリティを担当させてもらっている私も9年目となりました。
2012に発刊された「きたいばらき震災記」朗読コーナーは7年目。
やっと、ほぼ全員の記録を読めたかなという感じ。
でももちろん、ずっとこのコーナーは続けて行きます。
書いてある内容と現状がずいぶん違ってきたりもしているけれど、2012年発刊ですとだけ前置きして、そのまま読むことにしています。
中学生だった子の記録を読む時は「もう成人してるんだなあ」、ご高齢だった方の記録を読む時は「お元気でいらっしゃるかな」と、読みながら書き手に思いを馳せる。
今までは、落ち着いた気持ちで読むため番組の最後にコーナーをやっていたのだけど、生放送なので、時間の都合でカットになっちゃったこともあり、
それがどうしても嫌だったので、この春、番組のまん真ん中にコーナーを移しました。
時が経つほどに、ますます震災記の朗読は大切な時間になっています。
大切にしていきます。
ちょっとネガティブなことも書きます。
震災の時期、Twitterが一番生きていたので、一日中Twitterでいろんな人と話したり、情報交換したりしていました。
親戚との話し合いでも、電話を持つ手が冷たくなって震えだすことがあったくらいだったけど(頭を使いすぎて気が上がったんだと思う)
Twitterでも色々と戸惑うことがありました。
例えば、ガソリン携行缶を譲る代わりに、避難者を必ず乗せて戻ってこい、とトレードを持ちかけられたこと。
結局避難者は乗せてきたのだけど、トレードは絶対に違うと思ってお断りしました。
あとは、被災地になった地元を見て、正直に辛さを呟いた時。
すぐさま「ピンチはチャンス!ネガティブなことを言うな」と叱ってきた人がいた。
興奮状態の人も多かったから仕方ないと思うのだけど、その方のその後の健康状態が心配になりました。
潔癖に辛い発言を排除しようとするってことは、きっと本人かなり無理しているんじゃないかと。
辛いことは辛いと、まずそのまま言えることは大事なんじゃないか。がんばるのはその後なんじゃない?と。
なぜ今更またこんなこと書いたかというと、今でもしょっちゅう思い出すからなんです。
敏感になっていたから、焼き付いちゃったのかもしれない。
ヨガやセラピーの心得はあったので、自分も結構傷ついてるかもしれないと気づき、自分を癒すことも積極的にしてきました。おかげでとっても元気でいられています。
でも、大切な人を亡くした人、私なんかよりずっと深く傷ついた人たちはどうなんだろう。
まだまだ、たくさんのケアが必要な状態なんじゃないかと思います。
必要な人たちに、もっと物質的精神的ケアがちゃんと届く社会になるよう、心から願います。
震災の時からの座右の銘。「誰も責めないことから始まる希望がある」
それから、「有事の時は、普段の延長線上のことしかできない」とも思いました。
普段冷静になることがなかったら、災害の時に冷静になれっこない。
普段、どういう心でいるか。何を大事にして、どういう行動をしているか。
何度も自分に刻み続け、問いかけています。なかなかうまくいかないから刻み続けてるのだけど。
震災の翌日に、時代を象徴する天王星は牡羊座に入り、新しい時代が始まったのだそう。
そしてそれ以来、2019年3月6日に、牡牛座に移ったのだそうです。
震災でドラスティックに変わった個人の、社会の価値観が、また大きく変わってゆくのでしょうか。
今年も3月11日は静かに黙祷します。
※たまたま入ったカフェで、気仙沼線の写真展をやっていました。
※「きたいばらき震災記」私の記録。
あの日はACO先生の陰陽ヨガのクラスに出ていて、バタフライのポーズで揺れながら、陰ヨガらしく慌てることもなく、
あれ?でもこれは大きいねと、だんだんみんなで顔を見合わせて、避難することになり外へ出ました。
落ち着いたACOさんの後に続き階段を降りると、どうしようどうしようと半パニックになっている人がいたりして、やっと実感が湧いてきました。
それからのことは「きたいばらき震災記」とブログに書いたので割愛します。
8年経った今でも変わらず、毎週ACOさんのクラスに通っています。
ACOさんのクラス中、一度も震災のことを思い出さない日はないなあ。
8年間、ずっとそう。
でもそれは辛さやショックを思い出すというわけじゃなくて(多少はあるけど)、ゼロ地点に戻るような感覚。
そして、毎回祈りの言葉でクラスが終わり、深くなった呼吸とリフレッシュしたBodyMindSpiritをめいっぱい味わいながら、感謝の気持ちで帰路につく。
FMひたちは2月末に開局9年を迎え、開局からパーソナリティを担当させてもらっている私も9年目となりました。
2012に発刊された「きたいばらき震災記」朗読コーナーは7年目。
やっと、ほぼ全員の記録を読めたかなという感じ。
でももちろん、ずっとこのコーナーは続けて行きます。
書いてある内容と現状がずいぶん違ってきたりもしているけれど、2012年発刊ですとだけ前置きして、そのまま読むことにしています。
中学生だった子の記録を読む時は「もう成人してるんだなあ」、ご高齢だった方の記録を読む時は「お元気でいらっしゃるかな」と、読みながら書き手に思いを馳せる。
今までは、落ち着いた気持ちで読むため番組の最後にコーナーをやっていたのだけど、生放送なので、時間の都合でカットになっちゃったこともあり、
それがどうしても嫌だったので、この春、番組のまん真ん中にコーナーを移しました。
時が経つほどに、ますます震災記の朗読は大切な時間になっています。
大切にしていきます。
ちょっとネガティブなことも書きます。
震災の時期、Twitterが一番生きていたので、一日中Twitterでいろんな人と話したり、情報交換したりしていました。
親戚との話し合いでも、電話を持つ手が冷たくなって震えだすことがあったくらいだったけど(頭を使いすぎて気が上がったんだと思う)
Twitterでも色々と戸惑うことがありました。
例えば、ガソリン携行缶を譲る代わりに、避難者を必ず乗せて戻ってこい、とトレードを持ちかけられたこと。
結局避難者は乗せてきたのだけど、トレードは絶対に違うと思ってお断りしました。
あとは、被災地になった地元を見て、正直に辛さを呟いた時。
すぐさま「ピンチはチャンス!ネガティブなことを言うな」と叱ってきた人がいた。
興奮状態の人も多かったから仕方ないと思うのだけど、その方のその後の健康状態が心配になりました。
潔癖に辛い発言を排除しようとするってことは、きっと本人かなり無理しているんじゃないかと。
辛いことは辛いと、まずそのまま言えることは大事なんじゃないか。がんばるのはその後なんじゃない?と。
なぜ今更またこんなこと書いたかというと、今でもしょっちゅう思い出すからなんです。
敏感になっていたから、焼き付いちゃったのかもしれない。
ヨガやセラピーの心得はあったので、自分も結構傷ついてるかもしれないと気づき、自分を癒すことも積極的にしてきました。おかげでとっても元気でいられています。
でも、大切な人を亡くした人、私なんかよりずっと深く傷ついた人たちはどうなんだろう。
まだまだ、たくさんのケアが必要な状態なんじゃないかと思います。
必要な人たちに、もっと物質的精神的ケアがちゃんと届く社会になるよう、心から願います。
震災の時からの座右の銘。「誰も責めないことから始まる希望がある」
それから、「有事の時は、普段の延長線上のことしかできない」とも思いました。
普段冷静になることがなかったら、災害の時に冷静になれっこない。
普段、どういう心でいるか。何を大事にして、どういう行動をしているか。
何度も自分に刻み続け、問いかけています。なかなかうまくいかないから刻み続けてるのだけど。
震災の翌日に、時代を象徴する天王星は牡羊座に入り、新しい時代が始まったのだそう。
そしてそれ以来、2019年3月6日に、牡牛座に移ったのだそうです。
震災でドラスティックに変わった個人の、社会の価値観が、また大きく変わってゆくのでしょうか。
今年も3月11日は静かに黙祷します。
※たまたま入ったカフェで、気仙沼線の写真展をやっていました。
※「きたいばらき震災記」私の記録。