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彩彩日記 作詞家/シンガーソングライター 大塚利恵のブログ

※こちらは旧ブログです。
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大塚利恵の歌解説vol.11「朝」

2020-10-06 18:55:33 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)からのご紹介ラストとなるvol.11は、「朝」。
アルバムの最後に収録されている曲。
高校時代に作りました。

ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ



作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり

明日も誰かに朝が来ればいいと思う
静かに したたり落ちるように
美しい命の姿が 生きている朝よ

ぜいたくな歌をわたしは心から歌う
あいまいな声で「ごめん」と繰り返しながら
いつの日か 言葉もメロディーも
わたしを思い出させてくれる気がして

朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

朝が来たら 朝が来たら
朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

たくさんの花を抱えて
やって来なくていいの

朝が来たら 朝が来る度
幸せを願うよ




歌作りのエネルギーが湧き上がってきた時。または、湧き上がらせようとしていた時。
何か生み出そうとしてるのだけど、それが何かははっきりとはわからない。
よし、このテーマで作るぞ、と計画的に取り掛かった歌は(自分用の歌に関しては)ないと思う。
でも必ず生み出すぞ、というような興奮状態で自分の部屋に入り、ノートを持って部屋の中をウロウロしながらこの歌を作った記憶があります。

「朝」という歌は、私なりの生き方というか、覚悟、そして精一杯の祈りだったのだろうと思う。
でもほんと、笑っちゃうくらいに今でもこのまんま、自分の真ん中は変わっていない。
他の人からは、「すごく変わったね」とも言われるし、「全然変わってない」とも言われる。
みんな感覚も見てるところも違うから仕方ないのだけど、あまりに真逆のことを言われるから、変なの、と思う。
でも自分で「自分の真ん中は変わってないな」と思えることは心強いし、生きる糧になります。
まずは、自分自身のために音楽があって良かったなーと思う。
こういう曲達をあの頃作っていなかったら、大人になってから私は普通に立ってもいられなかっただろうから。
だから、私の歌は「あなたのために作ったよ!」というより「おすそ分け」みたいなものなのかもしれないけど、
結果としてどなたかのお役に立てたり、気に入ってもらえているなら嬉しく思います。

私にとってはそれが一番正直な歌作りなのだけど、当時は、それで100%誰にでも伝わるはず、と思っていました。
同じ人間だから、伝わるはず、と。笑
だから、結構伝わらないもんなんだなと知って、単純にとても傷ついたし残念だった。
ファンが喜ぶものを、クライアントに求められるものを、という曲作りもあるわけで、もちろん否定はしません。
その後、作家としてはそういう世界でもお仕事させてもらってるし。
ただ、正直な曲作りを絶対に忘れたくはない。
私の場合は、それをなくしたら音楽をやる意味を失ってしまうと思うから。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この歌は、福原まりさんのアレンジ&ピアノ。
ストリングスとピアノのクラシカルな演奏に、サビからハープが加わり、歌詞に合わせて希望の光が広がるような、美しいアレンジです。
ハープの名手中の名手・朝川朋之さんがフィーチャーされています。

ビョークの伝説的アルバム「Debut」の中の「Like Someone In Love」が大好きだったから、まりさんにそうお願いしたのか、たまたまだったのかは忘れたけれど。
ビョークのこの曲は、雑踏の音を背景に、歌とハープだけの夢のような世界。(少しストリングスも入ってくる)
コーキー・ヘイルという女性ジャズ・ハーピストだそうで、確かNYのマンション高層階に住んでいて、ご高齢になってもベランダでタバコをふかしながらハープを演奏するって話を雑誌で読み、ひゃーかっこいいなと思っていました。(記憶違いがあったらごめんなさい。)
ハープって、人魚で姫なイメージが強かったからこそ、真逆なエピソードがかっこよく思えたのだと思う。

ちなみに、2nd.album『東京』の中の「イレイサー」という曲ではさらに朝川さんのハープがフィーチャーされていて、ハープと歌だけで始まるのですが、それは間違いなく「Like Someone In Love」を意識してのアレンジだったと思います。
その話はまた。

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歌に解説なんか要らない、というのが本心ですけど、あえて「歌解説」としているので、くどくど歌詞を解説してみます。

明日も誰かに朝が来ればいいと思う
静かに したたり落ちるように
美しい命の姿が 生きている朝よ

>地球とか、脈々と受け継がれていく命とか、大きな流れのこと。
自分がいてもいなくても、今まで続いてきた、これからも永遠に続いていって欲しいもの。
と書くと、エゴがなくて素晴らしい!と思われそうだけど、エゴなんてあるに決まってるじゃないですか。笑
真実を求めるなら、そう思うしかない、そう思える自分でいたい。
そんな感じです。

ぜいたくな歌をわたしは心から歌う
あいまいな声で「ごめん」と繰り返しながら
いつの日か 言葉もメロディーも
わたしを思い出させてくれる気がして

>平等ではない世界で、自分のちっぽけな世界を精一杯歌う。生きる。
後ろめたさもある。でもだからって歌うことをやめない。生きることをやめない。
自分の喜びに素直に、でもなんて贅沢で申し訳ないんだろうと思う。
「生まれてごめんなさい」と思う。
こんなんでごめんなさい。
でもきっと、わたしはわたしでいるしかない。
そんな思いで紡いだ歌が、結局、何度も自分の真ん中-真実-を思い出させてくれることになる。
自分を生かしてくれる。

朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

>朝が来た時に感じる幸せ。
どのくらいそれを感じられるかはそれぞれ違うでしょう。
状況にもよる。
でも、ささやかでも、ほんの少しでも感じられているなら、それでいいじゃない。
例え全く幸せを感じられなくても、「幸せを思って」みることから始めてもいいじゃない。

朝が来たら 朝が来たら
朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

たくさんの花を抱えて
やって来なくていいの

>いかにも豪華とか、人と比べてすごいとか、そんなことはどうでもいい。
本当の幸せを感じられる自分でいたい。

朝が来たら 朝が来る度
幸せを願うよ

>「思う」は自分が思う・感じるということ、「願う」は自分だけじゃない幸せを願うということ。
冒頭の、「明日も誰かに朝が来ればいいと思う」という気持ちと繋がります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

歌の結末は、「その時の自分の答え」であることが大事。
一般的な結論でもなく、正しい答えでもなく、無責任に投げかけて終わるのでもなく。
ただし、精一杯の答えであること。
それがアーティストとしての歌作りの掟なのでは、と思っています。
例えいつかその答えが変わってしまったとしても、きっといいんです。
それに、意外とコアのコアのコアは変わらない。
今のとこそう思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、これで1st.Albumまでの楽曲解説が全曲終わりました。
2nd.Album「東京」は、また全く違うチームで作られたアルバムです。
今回、その音源も配信になったので、引き続き解説していきたいと思います。
よろしければお付き合いください。


大塚利恵の歌解説vol.10「Human」

2020-10-05 17:25:37 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.10は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)収録曲「Human」。

ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ


Human
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:土方隆行


こんなに汚いところにいたら
全てが美しく見えてくるよ

こんなに淋しい心でいたら
誰もが味方に思えてくるよ

こんな悲しさと向かい合ったら
毎日楽し過ぎると泣けてくるよ

ああ新しいものが
僕を包んでいく
僕の心を包んでいく

こんなに高いところにいたら
ここが宇宙のおわりみたいだ

こんなに大きな愛を見つけたら
全てが愛じゃないみたいだ

でも君が死んでしまったから
僕は君が生きていたことを知った
僕が生きていることを知った

ああ新しいものが
僕を包んでいく
僕の心を包んでいく

ああ新しいものが
僕を包んでいく
僕の心を包んでいく

いつもいつも
思えば思うほど
探せば探すほどに





茨城の高校生だった頃に書いた曲だと思います。
まだコードネームを勉強する前。
コードってとても便利なのだけど、だからこそ、合理的すぎて魔法が起こりにくいとも思う。
例えば、Cのコード(ドミソ)をバーンと鳴らして、適当に歌えばいくらでもメロディはできるのだけど、そこからの発想だけだとなかなか面白くなりにくい。

コードを知らずに、自分の求める響きを探して長い時間ピアノと向き合って、感覚で見つけ出した時の喜び。
基本的にはどんな響きにもコードネームって付けられるのだけど、コードから探していったのでは決して見つからない絶妙な響きがある。
能率は悪かったと思うけれど、コードネームを知る前に、決めつけのないイメージと音の海で十分遊ぶ時間を持ったことは、私自身の創作の土台を作る上でとても良かったと思っています。
理屈から入らなくて良かった、ということ。(私の場合は、ですが。)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

音大(商業音楽の作曲科でした)に入ると、初回の作曲の授業でコードネームを習いました。
一時間だけです。
そのくらい、コードってそんなにないし、仕組みを知ったらあとは使って慣れるしかない。

コード自体は単純なものだから、イメージを削ぎ落とされてしまわないように気をつけないと、曲作りが作業になっちゃう。
私のところに音楽を習いにきてくれる生徒さんたちにも、イメージを大事にすること、型にはまらないこと、自由でいること、自由には不安がつきものだけど、不安だからって理屈で単純化しようとしないこと等、自分の経験を生かしてコアなことを伝えるようにしています。
私は、音楽に関しては、つまらないのが一番嫌なんです。笑
あとは嘘。
どんな状況でも、作っている音楽の真ん中には純度100%の喜びがなくちゃ、と思っています。
そこにこだわっても、実際あんまり気づかれないけど。笑
それは仕方ないんだろうなと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、「Human」つまり人間がテーマの歌なのだけど、私はこの歌詞のようなことを悶々と考え続けている10代でした。
人間の本質とか、生きる意味とか、真実とか。
そこを素通りして生きていくことは無理でした。
その後、ヨガに傾倒したのも、自然な流れだったと思える。

よく、考えていることを言葉にすると、頭の中では壮大だったのに、チープになってしまったり、うまく表現できなかったりしますよね。
私もそれを補うべく音楽の力を利用して、なんとかイメージを形にしようとしていました。
言葉で表現することが得意だったのではなくて、音楽の言葉だったらイメージを形にできると思ったわけです。

イントロからずっと八分音符でうねうねしているギターのリフは、もともとピアノで弾いていた雰囲気に近いです。
サビは、ピアノで作った時より爽やかでキャッチーな印象。
「宇宙」な感じがサウンドのポイントで、作曲した時も浮遊感を意識して音を探していたと思います。
それを汲みつつ、アレンジャー&ギタリストの土方隆行さんが少し「割り切れる」方向に近づけてくださったのかな、と思います。
一般的に伝わりやすい方向、と言うか。
そういう意味では、元のピアノ弾き語りはもっとディープだったかもしれません。

ライブでやるために、バンドメンバー用にコード譜を書いたこともあったけど、
コードに収まったーここのコードはこれだーと思ったら、スルスルとグラデーションで移ろいでゆく。
そんな感じの曲です。

どの歌詞もそうなんですが、考え方として、「この頃はこう思ったけど、今はそう思わない」ということはまずありません。
表現に関しても、こういう表現は古くなっちゃったなとか、時代を感じるということもないかな。
10代から、ほんとのことだけ書こうと思ってやってきて、それだけはずっとブレてないのが私の取り柄かなーと思う。
「Human」の歌詞を今改めて見てみても、ほんとにその通りだなって思うんです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

一番汚いもの
一番淋しい心
深い悲しさ

どん底の当事者になった時。
それと真っ向から向き合った時。

汚さと美しさ
淋しさと救い
悲しさと楽しさ

極端な比較が自分の中で起こった時。
その時初めて気づくことがあり、
その気づきが新しい世界をくれる。
そうして心は磨かれていく。
真実の‘愛’も磨かれていく。

大事な人ほど、亡くしたら辛いけれど、何よりも強く‘生’を教えてくれる。
私たちは止まらない。止まれない。
恐れずに、振れ幅大きく、
求めて、受け止めて、揺れていく方が「Human」なのだと思う。


大塚利恵の歌解説vol.9「はばたきたいなあ」

2020-09-13 12:10:50 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.9は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)収録曲「はばたきたいなあ」。
この曲は唯一、アルバム制作に当たって新たに書きおろした曲です。

ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ


はばたきたいなあ
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり

くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの

まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい

落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」

なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」

見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ




デビュー時は、ほぼノイローゼで朦朧としていた話は前に書いた通りで、自分の曲への新鮮さは失っていました。
それでもやっとCDが出ることになってホッとしていました。
そんな私の心中を察してか、ディレクター熊さんから、新曲を一曲書いてと提案が。

ずっと書いていなかったわけではなくて、音楽出版社預かり時代にレコーディングまでしてお蔵入りしていた曲もあったりしました。
でも、たった今、デビューが決まった時点で全く新しいものを書くことが大事と。
私自身のための新曲作りだったわけです。

職業作家のようにちゃんと締め切りがあって、
「ここまでにアルバムに入れる曲を書いてね。以上。」
という経験は、思えばこれが初めてだったかも。
できなかったでは済まされない。

でも、あまり苦労した覚えはないんです。
今から書く曲は、ちゃんといついつにレコーディングされて、世に出ることが決まっている。
アルバムの他の曲も決まっているし、アルバム全体の雰囲気も思い描きながら、自由に書くことができる。
今を切り取るだけだ。
そう思ったらスッと書けた。

話は変わりますが、作詞家としても、世に出るか出ないかわからないものをあまりに沢山書いていると、自分がぶっ壊れそうになります。
これが人生最後の曲になってもいい、そういう熱量で全部書いていますから。
作詞したもののうち、今までリリースされたのは1割もないかな。
しんどいのは、いい曲がリリースされ悪い曲がリリースされないわけではないということ。
むしろ、すごくいいものに限って諸事情で出なかったりもする。
タイミングが合わなくて残念ながら出ない曲もある。
それでも書かないとどうにもならないので、書きます。
自分の精神が死なないように、自分の中でせめぎ合いながら、折り合いをつけながら。
こういうことって音楽に限らずみんなあるのかな。

一方、アーティストとして作る歌は、世に出ようが出まいが関係なく自分のため、という面はあるのですが、
それでも当時、CDデビューする前提で動き始めて数年、膠着状態が長かったので、「えいっ!」とテンションを上げ突破する意味でも、「はばたきたいなあ」という新曲を作ったことはとても意味があったと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この曲のアレンジャー・サウンドプロデューサーは福原まりさん。
プリプロの時だったかな。びっくりしたことがありました。
歌のサイズの問題で、もともとあった箇所を「1ブロック、丸々カットしちゃだめ?」という提案でした。
確かAメロがもう一箇所あったのかな。
その部分の歌詞は他の部分の繰り返しではなく、丸々消えちゃうことになるので、最初は驚きましたが、全体の構成やアレンジを考えるとすぐに納得できました。
パーツをカットするという考えが、それまでの私にはなかったので、「そういうのありなんだ!」とびっくりしただけです。
よく私は頑固そうに思われるんですが、作品がよくなるための提案だったら結構すんなりokしちゃいます。
だって、そのほうが、自分の枠の中だけでやってるよりずっと面白いから。

ちなみに、作詞家として仕事する時も、「こういう理由でここを変えたいのだけど」と相談される場合があります。
基本的にはわかりました、と直します。私のための作品ではないから。
ただ、作詞家大塚利恵と名前は出るので、責任は私にあるってことになるんですよね。
だから、作品の魂が消えちゃうような要望、ダサすぎて耐えられない要望、「じゃ、作詞するの私じゃなくてもいいじゃん」って思ってしまう要望に関しては、戦うようにしてます。よっぽどの場合だけですけどね。
どうしても断れない場合もあって、その時は100%精神を病むんですけど、笑
それが流れなら仕方ない、と腹をくくります。
どうしていいかわからなくなったら、音楽の神様が喜ぶかどうかを基準にしようと、いつからかそう思うようになりました。

アーティストと職業作家の境目って、どこにあるんでしょうね。
アーティストって何なのかな。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それはさておき、「はばたきたいなあ」が完成してリリースされたことで、もやもやが晴れ、気分がスッとしました。
今改めて聞いて、歌詞を見てみると、その時の気持ちをちゃんと書けてるじゃん、と思います。

作品に完璧はない。
その時その瞬間を作品の中に封じ込められたとしたら、たとえ拙いところがあったとしても、それがベストなのだと思います。
こねくり回して「もっとできるはず」と、いつまでも外に出さない、「はい、これで完成」と決めないのは不健全だと思う。
自分に与えられた時間は有限なんだし、私たちは常に変わり続けているんだから、えいっと線を引かないと何も残らないことになってしまう。
旬を見逃さないこと。

そう言えば、笹路正徳さんもおっしゃてました。
レコーディングの日にたまたま風邪をひいて声が枯れていたとしても、それはその日の記録だから、そのままでいいんだって。
CDを聞いて鼻声だったとしても、その日そうだったんだなーって思えばいいだけだと。
あの超A型人間な笹路さんが、です。
私にはそれがすごい説得力だった。真実だと思いました。
後から聞くと、その鼻声が味わいに感じられることもあったりする。
何が良いかって、究極わからないわけですよね、時間が経ってみないと。

ものを作る時、極限までこだわるのは当たり前として、どこかで区切りをつけることもものづくりの一部だと思うんです。
どこで区切るか、の見極め。
締め切りがあってもなくても。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、歌詞の解説を、敢えて細かくやってみようと思います。


くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの

>自分と他人の感覚は同じじゃないと一度気づいてしまったら、魔法は解ける。それが大人になるってことか。

まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい

>何も意識してなかった頃に戻りたい。客観的に自分なんか見たくない。でも戻れない。

落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった

>生きている実感が欲しい。何も余計なことを考えずにその実感を味わっていたい。

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」

>はばたけて当たり前と思っていた時は終わった。でも、はばたきたいんだ。不安なまま。今の自分で。

なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ

>ここがこの歌の肝です。過去を美化するのは大嫌い。思い出のセピア色に騙されるな。

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」

>今繋がっている人と。今繋がっているすべてと。今を踏んで、はばたく先を思い描く。

見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
>いつだって未来は予想を裏切ってくる。それに抗わず受け入れた時、「来たなー、想定外の未来!」って楽しめた時、きっとはばたける。


多分、明日書いたらまた違う解説になりそう。笑


福原まりさんのアレンジが、今聞いても本当にセンスが良くて、かっこいいでしょう?
元はもちろんピアノで弾き語ったデモでした。

歌詞に風景描写はほとんどないのだけど、景色が浮かぶサウンド。
不思議な曲です。

当時は渦中にいすぎてよくわからなかったけど、今聞くとすごくいいなーと思えます。
その時にしか作れないものを作ってよかった。
もっともっと作り上げておきたかった。

それは今にも言えるのかも知れない。
未来には、今作る作品が宝になっているのかも。生きた証というか。
もっと作らなきゃな。


大塚利恵の歌解説vol.8「Oh Dear」

2020-09-02 18:14:26 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.8は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)のタイトル曲「Oh Dear」。
INAX「かべ美人」のTVCMソングになったので、99年リリースの4th.Maxi Single「東京」にも、カップリング収録されました。


Oh,Dear
作詞作曲歌ピアノ:大塚利恵

Oh Dear 僕は
真面目すぎて
石の家を砕いてしまった
Oh Dear 僕は
知らなかった
あたたかい石もあるということ

Oh Dear もしも
家の中に
僕の好きな花が咲いてたら
Oh Dear それを
知っていたら
花を摘むことさえしなかったのに

ほら 何もしなくても暮れてゆく
今日も明日も
溶けていく 僕がしたこと
数え切れないほど

Oh Dear もしも
僕があのとき
石の家を壊さなかったら
Oh Dear 君は
そこに 今も
何も変わらず住んでいたのかな

ねぇ 素直になるほど
許せないことが増えるね
ひとつだけ願ってること
愛をなくさないこと

僕たちは 愛のかたちを
探しているから 深く傷つく
忘れたい 忘れ切れない
日々を抱えて歩いている

Oh Dear
君は僕がしたこと
知っていても
笑ってくれるの
Oh Dear
君に知らせないで
あのときの花 飾ってみたよ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
別曲の回で書いた通り、同じ音楽出版社に伊藤銀次さんがプロデューサーとしていらっしゃって、ある時ご本人の8cmシングル「涙の理由を」をいただきました。
調べてみたら、93年にキューンから、94年にはNewMixがアンティノスから出ている。
私がいただいたのは、アンティノスの方かな。

大学1年か2年の時。池袋の音大生用マンションの部屋で、いい曲だなーと思って聴いていました。
「Oh Dear」は、この銀次さんの曲に影響されています。
曲調も歌詞の内容も全然違いますが、出だしのメロディの雰囲気や間が似てると思うので、もし良かったら聞き比べてみて下さい。

他の音楽にどう触発されるかっていろいろだと思うんですが、私の場合は内容を模倣することはまずなくて、ムードをもらってくる感じです。
「好き」「素敵」などと感じた、その曲の‘音楽の魔法’的な部分が、自分の新しい曲作りのインスピレーションになってくれます。
コード進行や歌詞の表現が参考になることはもちろん沢山あるけれど、単純に「よし、このコード進行で曲を作ろう」みたいなのはあまりないかな。
一度自分の栄養にして、形がなくなるくらい消化してからじゃないと、表面的な真似はつまらない。
テクニックとか理屈からスタートするのも、テンション上がらないんです。
それは作詞家として書く時も同じ。
いつでも‘音楽の魔法’スタート。それは自分のため。
音楽の神様と自分の約束事みたいなものかもしれないです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「Oh Dear」はINAX「かべ美人」のTVCMソングに採用していただきました。
「かべ美人」って、家のリフォーム商品なんですけれど、この歌、家を砕いて後悔しちゃってる歌詞なんですよね。笑
大丈夫なのか?!と思いますよね。笑
この曲をプレゼンしてくださった恩人であり、その後ナレーションのお仕事等でも大変お世話になっている三田さんによると、やはりこの歌詞の表現で結構迷ったとのことでした。
でも最終的には全体的な意味も含め、やはりこの曲の力が強いなと思いプレゼンに出してくださり、決まったということでした。
ありがたや。

CMでは、家の前に集合した家族の写真が次々出てきます。
『いつかは巣立ち、いつかは帰ってくる この子たちのために。』『タイルで、リフォーム かべ美人』。
歌詞は2ブロック目の「Oh Dear もしも 家の中に 僕の好きな花が咲いてたら〜」からの部分が使われていました。
ギリセーフかな。笑
でも、歌もじっくり聞いてもらえるCMだったし、温かい雰囲気がとても良くて、嬉しい限りのタイアップでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この曲はピアノ弾き語りで、1st.Albumのタイトル曲です。
自分でアルバムタイトルに決めた記憶はないので、スタッフの会議で決まったのかな。
でも、本当にベストな選択だったと感謝しています。

サウンドプロデュースは、「夏気球」(8cmシングル/アルバム弾き語りver)と同じく、石川鉄男さん。
多分、ピアノと歌を一緒に録ったと思います。


改めて歌詞を見てみると、すごく普遍的なことを歌ってるなーと思います。
整合性とかストーリーとか、感覚でバランスは取っていたけれど、あまり論理的に整理しようとはしていなかったと思います。
そのせいか、「Oh Dear〜」で始まるブロック以外は、いい意味で飛躍しています。

「Oh Dear〜」で始まるブロックがAメロ、「ほら〜」「ねえ〜」のブロックがサビ、「僕たちは〜」が大サビ、と一般的には呼ばれるのかな。
でもいわゆるJ-popの、サビが一番強い構成ではないですね。
Aメロがサビみたいなものというか、Aメロが一番印象に残る曲かと思います。
確かにサビはサビで熱いんですが。


歌詞は、「許し」じゃなくて「赦し」の方の「ゆるし」がキーワードかな。
英語だと、permission(許す)、forgiveness(赦す)の違い。
君は僕を赦した;まるごと受け入れた、責めなかった、という感じでしょうか。
「赦し」というとキリスト教を連想するかもしれないけど、特に宗教的な意味を込めたわけではありません。

良かれと思って取り返しのつかないことをしてしまい、後悔している「僕」。
それを赦してくれた「君」。
赦されたことで、自分が台無しにしてしまった「あのときの花」をそっと飾り、前を向くことができた「僕」。
抽象的なので、自由に捉えてもらえたらと思いますが、

例えばもしその花が「愛」だとしたら、「僕」は「君」に赦されたことで、本当の愛とは何かを知った。
そしてきっと、「僕」からも誰かに愛が連鎖していくことになった。

でももし、家を壊したことを責められたとしたら?
「僕」は、自分を責め続け、他の人や世界に愛を伝えることもなく、ただただ俯いていたかもしれません。


2番サビで、
「ねぇ 素直になるほど
許せないことが増えるね
ひとつだけ願ってること
愛をなくさないこと」
と、permissionの方の「許す」が出てきます。
他人に対して「僕」が‘許せない!っていう気持ちになった時に、君の赦しを思い出す。
そして、愛をなくさないことを自分に誓う。
僕も、君のように、「許せなくても、赦す」努力をしようと思うのは、あの時君が赦してくれたから。


また、ちょっと違う角度からの話になりますが、「僕」は真面目なんだけど、アタマが固くて型にはまって、自分の考えを他人に押し付けるようなことをしてしまった。
でもそれは、‘絶対’ではなかったことを思い知ります。
この、‘型に嵌まる’ ‘自分の考えしか認めない’ ことによる後悔は、大サビの「僕たちは 愛のかたちを 探しているから 深く傷つく」と結びついてゆきます。

今、ネット社会になりSNSで自分の考えを発信しやすくなって、白か黒か、善か悪かと、どちらかに決めつけて攻撃するような姿勢をよく見かけます。
グレーゾーンが許されないような風潮も感じます。
でも、見方を変えれば善が悪、悪が善になることだってある。
常にそういう視点も持っていないと、危ないなと思っています。
この歌のテーマはそういう話とも繋がるかもしれません。

この歌は、何か特定の出来事があって書いたのではありません。
当時、なんでこういうテーマを書いたのかわかりませんが、いつも真実を書きたい、真実しか書きたくないとは漠然と思っていました。
もちろん今も、真実だけを書きたいと思っています。




大塚利恵の歌解説vol.7「ウワサの僕」

2020-09-01 17:45:01 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.7は、3rd.シングル「夏気球」(98年10月31日リリース)のカップリング曲、「ウワサの僕」。
1st.Album「Oh Dear」にも収録されています。

ウワサの僕

作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:笹路正徳

引っ越した君が
手紙もくれないで
僕のウワサを
流している

僕は君の友達で
君は僕の親友だって

昔の僕は
自信ばかり食べて
太ってたことも
君だけが知ってる

離れた君のところにも
たまには僕のウワサが
着くんだろうか
それでもきっと君は信じないよ
君の知ってる僕以外は

お願いだから
これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の姿は見えるの

手紙を出しても
会いに行っても
僕だってことに
気付かないんだから

僕をつくってばかりいないで
ときどきは僕のところに
遊びに来てよ

ウワサの僕の正体は
僕のウワサがつくったものさ

お願いだから
これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の姿は見えるの

好きな色も
好きな人も
みんな変わったのに
君のなかでは
あの頃のままの
僕だけが生きてる

これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の心は見えるの





この曲は、作った時の状況を覚えていません。
多分、高校生の時に実家で作ったのかな。大学に入ってからのような気もするけど。

茨城から東京へ、時々ソニーのSD制作部(新人開発部署)を訪れて、担当だった山下さんにカセットテープに入れた新曲を聞いてもらっていたのだけど、オーディションの後は他のスタッフさんにもダビングして持って行っていたんです。それと、仮契約していたSMAにも。
いつもテープを何本か携えて上京していました。
オーディションでは最年少で、小僧みたいだったので「りえぞー」って呼ばれて、みんなに可愛がってもらっていました。
担当ではなかったけれどごはんに連れて行ってもらったり、新曲を聞いてくれていたスタッフのお一人が、「ウワサの僕」をすごく気に入って口ずさんでくれて、嬉しかった。
一生懸命どの曲も作り上げてはいたけれど、いつも不安でピリピリしていた私は、認められたくて褒められたくて仕方なかったんです。

私は中学が私立の女子中、高校は県立の元男子校と、全然違う環境に飛び込んだのだけど、中学の友達に久しぶりに会って話して感じたことがこの歌詞のベースになったと思います。
書いていると色々思い出しますね。
記憶だから、全てが定かではないけど、とにかく思春期の曲には間違いありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜
「あなたってこう」と一度焼きついたら、その人の中ではなかなか変わらないことがある。
自分はこんなに変わり続けてるのに、と辛く感じることもある。
だからあの頃のこととか、いつまでも言ってるのはやめてよ、前に進ませてよ。
懐かしさとか、変わらなくてホッとするとか、そういうのももちろんわかるけれど、それはまた別なんだ。
本人が前に進むのを阻むようなことって、一体誰の何のためになるの。

けどそれはこちらの勝手な思いであって、忘れてと言って忘れてもらえるものではない。

「君のなかでは あの頃の僕だけが生きてる」ようなことが何層にも重なって、逆に「僕のなかでは あの頃の君だけが生きてる」ことだって沢山あって、人生はできていると思います。
ポジティブにも、ネガティブにも。
過去の自分が誰かの中で生きてることが嬉しいこともあり、煩わしいこともあり、何だか切ないこともあり。
うまく言えないけれど、この曲で描きたかった感情は、良い悪いじゃないってことは確かです。
それに、「君のなかでは あの頃の僕だけが生きてる」ことを受け止めつつも、やっぱり変化し続ける自分を生きていく、ということかなと思います。
結果、君とはもう会えないかもしれないし、またピタッと繋がるかもしれない。全ての可能性を決めつけない。
でも決して、「お前なんかサヨナラだ」と振り切っていく生き方ではない。
本当はそういう生き方の方がラクなのかもしれないけど、豊かではないと思います、きっと。

面倒臭いよね、人って!
そして面倒臭くて愛おしい。

〜〜〜〜〜〜〜〜
この歌詞には「僕」「君」という人称がたくさん出てきます。
歌詞で人称を使う時は、必要なところだけ最低限、と生徒さんには教えるのですが、この曲の歌詞はちょっと特殊かもしれないですね。
ストーリーっぽくて。
でも、人称が多いけど、必要最低限にはなってると思います。
ストーリーを語るために、必要なところに必要なだけ使ったら結果多かったという感じ。

デビュー前に、南青山MANDALAでライブをした時、この曲を歌ったのですが、僕が君か君が僕か、途中でよくわかんなくなっちゃって、噛んでしまったことがありました。
ライブなんてどういう意識でやればいいのか、全くわからないままやっていたから、アップアップして混乱したのかもしれません。
何をやったら喜ばれ、どうだったら怒られるのか、当時のプロデューサーさんの機嫌を伺っていた気がします。
お客さんのためとか自分のためとか、音楽そのもののためとか、一番大事なことに思いを馳せることもできず。

〜〜〜〜〜〜〜〜
ソニーの音楽出版社の預かりだった頃、プロデューサーさん2人と飲みに行って、この曲の話になりました。
その時、私の担当じゃないプロデューサーさんが、「りえちゃんの曲の中で、俺はあの曲だけは嫌い。認めない。」とおっしゃったんです。
歌詞が後ろ向きだからとか、過去にこだわっているのは俺は許せない、みたいな理由だったかと。
でも、全然そういう歌詞じゃないんだけどなーと思って聞いていました。笑
解釈って人それぞれなんだな、と。
何かがその人の中で引っかかって、そういう風にしか聞こえなくなってしまったり。
歌は印象もとても大事だし、直感的に受ける印象はスルーしてはいけない真実だと思う。
けど、その人の歴史や考えあっての、個人的な印象は別です。フィルターがかかっているから。
プロの音楽プロデューサーさんでもそうなんだと思って、ちょっと驚きでした。
個人的な感想として言っただけかもしれないですけどね、担当じゃなかったから。
その後、こと作品の良し悪しに関しては、あまり人の言うことを聞かないようにしようと決めました。キリがないから。笑

〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、「ウワサの僕」は、笹路正徳さんがアレンジをしてくださいました。
木管楽器の音色が本当にこの曲の世界観にぴったりでしょう?!
イントロのメロディは、もともとピアノ弾き語りの時弾いていたフレーズが使われています。
スタジオでは、「日本昔ばなし」が始まったみたい!と誰かが言っていた記憶が。
笹路さんが書いてくださった間奏が大好きです。言葉よりも雄弁で、いろんなことを含みながら、歌詞の思いを膨らませてくれている。

この曲も「さかなの夜」などと同様にあまり音域が広くなく、私の曲の中では歌いやすい方です。
ストーリーを語るのに、曲があまりにドラマティックだと歌詞が聞こえにくくて、バランス悪いですからね。
自然にこういう穏やかな曲になったのだと思います。

これはアルバム「Oh Dear」の歌詞カードです。


シングル用、アルバム用、カップリング用、と意識して曲作りしていたわけではありませんが、「ウワサの僕」はカップリング然とした曲かもしれませんね。
陰陽で言えば陰的な。
もしこの曲が好き、深く共感するという方がいたら、ぜひ詳しくお話を伺ってみたいです。
共感してもらえるにはきっと背景があると思うので、そのストーリーを聞きたいな。

大塚利恵の歌解説vol.6「玉子ごはん」

2020-08-25 11:26:48 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.6は、2nd.マキシシングル「涙のカギを開けて」(98年9月19日リリース)のカップリング曲、「玉子ごはん」。
1st.Albumまでの曲は、だいたい10代の時の曲です。

玉子ごはん
作詞作曲:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵


やけどするほど あついうちに
ごはんに混ぜて 口にはこぶの

楽しい朝も 悲しい朝も 考えないで
なるべく安い 玉子を割るの

捨てられた約束 忘れられた言葉
愛された玉子の
ぬけがらが積もっていく

また今度ね 今度っていつ?
涙がでるわ
分からないけど 分からないから
とにかく今日も 始めなくちゃ

子供のうちに 覚えた味は
何より上手く 体に溶ける

立派な人も 転んだ人も 思い出したら
なるべく早く 食べたくなるの

自信ならあるけど 不安は消えないわ
大好きなひととき
それだけがわたしのもの

また明日ね 明日ってどこ?
たくさんあるわ
数えてみても 数え切れない
とにかく今日も 玉子ごはん

「また今度ね」今度っていつ?
「また明日ね」明日ってどこ?
「またいつかね」いつかっていつ?
遠くて見えない
分からないけど 分からないから
とにかく今日も 玉子ごはん



上京してすぐに作ったと思います。
プロデューサーさんのところに持って行ったけれど、反応はまあまあだったかな。
当時の周りのスタッフも、「他の曲ほどは良くないけど、まあ、ね。」くらいな感じでした。
多分、他の曲のデモよりも最初から完成度が妙に高かったのが、つまらなく感じられたのかも。
思春期的な、未完成だけど何かありそうな、不思議なバランスの曲が沢山あったので。

新曲を作って持っていかなきゃ、と焦りながら池袋の部屋のピアノに向かい、ワーっと作り上げた記憶があります。
テーマがどうとか何も考えていなくて、歌詞も含め勢いで、感覚で書いたと思いますが、たまたまカチッとすぐまとまったんでしょうね。
後から直したのは、一番の最後「始めなくちゃ」のところだけです。
最初はここも「玉子ごはん」だったんですけど。
レコーディング前に、ディレクターの熊谷さんに指摘されて、確かに、と思って。

そう、当時の曲作りは、頭じゃないエネルギーを使っていたような記憶があります。
だって、テーマも把握してなくてこういう曲ができているって、不思議じゃないですか?
「降りてきた」とかよく言いますけど、そうではないです。そもそも、降ろそう、降ろしたいという思いがないと降りてこないし。
『どうしてもこの思いを曲にしたい、でもいつでもいいんじゃなくて、今じゃなきゃダメなんだ!』
と、自分で自分を追い込んだ時に、クンダリーニと言ったらおこがましいけれど、お尻の下がムズムズして、ウワーッと創作に向かう強いエネルギーが出てくる感じ。
それが、私に限らず、思春期の曲作りの秘密なんじゃないかと思ってるんですけどね。

「玉子ごはん」は、そんなわけで、もしデビューの際にスタッフが入れ替わらなければ、リリースされなかった可能性が高い曲です。
今となっては、出せて本当によかった。
気に入ってくれる方も多く、カバーしてくれる人もいたりして。自分でもとても好きな曲です。

逆に、デビュー前のライブではいつも歌っていたのに、リリースしなかった曲もあります。
理由は忘れちゃったけど、1st.Albumに向けて選曲した時に、自分で選ばなかったのかなあ。
2nd.に入れようと思っていたのかも。
でも結局、新たに曲作りすることになっちゃったので、1st.Albumまでにピックアップしなかった古い曲は、そのままになってしまったんだと思います。
自分の中でも時が経ち過ぎて、いろんなことがあり過ぎて、もう古い曲はいいや、ってなってた部分もありましたし。
思い起こすと、出したかった曲も結構ありました。
タイミングですね。

自分のオリジナル曲は、歌詞先行で、途中から曲と同時進行に作ってゆく、とこないだ書きましたが、その方がメロディが面白くなるんです、私の場合は。
逆に、曲先だと自分でつまらなくなっちゃうことが多くて。
「玉子ごはん」も、曲先だったら思いつかなかったメロディだと思います。
というか、素のメロディだけではいい曲なのかどうか判断がつかなかったと思います。
特にサビとか。

まるで他人の曲のように、解説してみようと思います。
日常の象徴としての「玉子ごはん」。歌詞によく出てくる食べ物だと、「トースト」とかと同じ感じですかね。
ただ、玉子ごはんは日本ならではで、ちょっと懐かしいし、かっこつけていない感じかな。
タイトルが「玉子ごはん」って、可愛い印象を受ける人も多いかもしれないけれど、とてもリアルなモチーフだと思います。

うまくいかないことや叶うかわからない希望、約束、いろんなことに立ち止まってしまいそうだけど、とにかく一歩ずつ前に進んでいく。
淡々と日常を生きながら、慈しみながら、日常の中の大好きな瞬間を糧にして。
当時、いつデビューできるのかなとか、なかなか進まない状況に悶々としていた気持ちも反映されていると思います。

私の歌は、だいたいどの歌も、時が経って歌っても違和感はありません。
普遍的なことや真実しか書いていないし、特に古くなる要素もないので。
自分の中では古くなった感じや、これはもう歌えないな、という感じはしたことがないです。
特に「玉子ごはん」は、初期に多かった「僕/君」ではなく「わたし」の一人語りだし、おばあちゃんになっても自然に歌えそうな気がします。


大塚利恵の歌解説vol.5「さかなの夜」

2020-08-24 10:26:22 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.5は、2nd.マキシシングル「涙のカギを開けて」(98年9月19日リリース)のカップリング曲、「さかなの夜」です。
茨城の高校時代に作りました。17歳くらいかな。


さかなの夜
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり


すごい風やめて
聞こえない
崩れる 倒れる なくなる

せせら笑う
サヨナラ!!

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

ウロコだけとって焼かないで
乾いた 開いた 亡んだ

口を開ける
オイシイ!!

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

ビンの中で泳ぐのは さみしい
透き通る世界が 恋しい

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう



実家は北茨城市平潟町(ひらかた)というところで、平潟港という漁港のそばです。
小さいけれど、由緒ある港です。
にも関わらず、私はもともとそんなに魚介類が好きというわけではありませんでした。
食べられない種類も多く、生魚は食べられなくて、寿司屋ではイクラとたまごばかり食べてました。
上京してお酒を飲むようになってからは食べられるものが増えて、お寿司屋さんも楽しめるようになりました。
「歳をとるとどんどん肉より魚の方が好きになるよ」なんてよく言われて、そうかなと思ってたんですが。
30歳くらいで味覚が変わり、魚のにおいが全く受け付けられなくなってしまいました。
少し魚介類をお休みして様子を見ようかなと思っていたら、そのまま食べられなくなってしまい、今に至ります。
海藻と出汁(あんまり本格的じゃないもの)、かまぼこは今の所好きですが。
大人になってからは、美味しいと思えないものは栄養も吸収されにくいから無理に食べなくて良いという話もあるので、まあいいかなと思っています。
でも、「さかなの夜」なんて曲があるのに魚が食べられないの?!と驚かれたりはしますね。

好き嫌いがあると、定期的に誰かに言われるのが、「えー?こんなに美味しいのに食べられないの?かわいそう!」
です。笑
で、「アレルギーなの?」と聞かれて、そうじゃないと答えると「わがまま」として見られる。
食べたくても食べられない理由って様々だと思うし、本人辛いんですけどね。
レストランでも旅先でも、いちいち「ごめんなさい」と食材変えてもらって。

それで、「あなたは嫌いなものないの?」と聞き返すと、だいたい
「らっきょう。あんなの食べ物じゃない」とか言うわけです。笑
おかしいよね。
私は魚が食べられないことを残念に思ってるし、自分の嫌いなものを「食べ物じゃない」という感覚の方がよっぽどかわいそうに思います。
らっきょう農家さんに謝れよ、と。笑

そんな話はともかく、「さかな」がモチーフになったのは、間違いなく、私が港町出身で、魚がとても身近な存在だったからです。
実家は電気店で、漁船の電気まわりなどが専門です。
港に船が入ると深夜1時とか2時にでも電話がかかってきて、父はそれに対応していました。
いつも近所の漁師さんが、獲れたての魚をバケツに入れて持ってきてくれました。(今も、実家はそんな感じです。)

でも、身近なんだけど、なんか魚って色や模様や造りが不思議だし、目が怖い。
思わず敬語で話しかけてしまいそうな雰囲気を持っている。
「すいません、捌きますね。」
大人しく捌かれて食べられているけど、本当は深遠な世界観を持ってそう。
達観してるのかも。
そんな私と魚の距離感が背景にある歌詞かと思います。

もちろん、魚は比喩、擬人法的になってるのだけど、そんなことはまあどうでもいいかな。笑
ある晩、魚になった夢をみて、でも心はヒトのままで、泳ぎながらいろんなことを思った、みたいな。
そんな感じです。

アレンジ/ピアノは福原まりさん。
まりさんの発想はとてもユニークで、この曲のアレンジも本当に面白いしかっこいい。
それでいてクセになる、不思議な心地良さ。
トロンボーンが入っているんですが、1音だけ「プッ」ってなるところとか、音域が難しい箇所もあって、レコーディングでトロンボーンの松本さんが苦労されていた記憶があります。
参加ミュージシャンも個性的な方ばかりでした。さすがまりさんチームって感じで。


間奏の、デニスさんのE.ギターのレコーディングも、アイディアがぶっ飛んでいて面白かった。
これは1st.アルバム「Oh Dear」の歌詞カード。


ミックスしてくださったのは、赤チンさんこと、故・赤川新一さん。
このチームとは別に、デビュー前にもお世話になっていたので、CDでご一緒できて嬉しかった。
ライブで演奏してもらったり、ずっと親しくしていただいているアコーディオンのサブちゃん、田ノ岡三郎さんの作品でもCo-produce/Recording/Mix担当されています。
サブちゃんの最近の作品を聴いていて、赤チンさんの音が素晴らしくて、できれば新しいスタジオに伺って相談したいこともあったのだけど、叶わず残念でした。
皆さんもぜひ、サブちゃんのCD聴いてみてくださいね。

「さかなの夜」は、ポエムみたいな歌詞。
ポツリポツリと間が多くて、その間がとっても大事で。
私の曲は歌うのが難しい曲が多いので、こういう曲は歌入れの時、気楽でした。

アウトロはフェードアウトしていきます。
魚が泳いで、遠い世界に消えてゆくみたい。
フェードアウトが似合う曲ですね。

大塚利恵の歌解説vol.4「涙のカギを開けて」

2020-08-23 10:32:04 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.4は、2nd.マキシシングルの表題曲、「涙のカギを開けて」です。
98年9月19日リリース。

涙のカギを開けて
作詞作曲:大塚利恵 編曲:笹路正徳 大塚利恵

あーあ 会えてよかったなんて
あーあ きっと一生言わない
似合わないって言われる前に
カギをかけよう いつものように

あーあ 好きと言うためのカギは
あーあ 今もかくれんぼのまま
絶対言わない 死んでも言えない
泣かないように 泣かないように

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中で いちばん悲しい 本も映画もいらない

あーあ 今日もカギ穴の跡を
あーあ あなたの絵の具で消したよ
得することはなくてもいいけど
泣かないように 泣かないように

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中の 誰も出来ない 恋や迷路はいらない

わたしが無理してること ひとつも気付いてないし
わたしが空を飛んでも 何にも言わないくせに

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中で いちばん悲しい 本も映画もいらない

世界中に響きわたる 夢や飾りはいらない
世界中で いちばんキレイな 思い出なんかいらない





アレンジ・プロデュース、ピアノ 笹路正徳さん(この曲も弾き語りのピアノアレンジがベースになっているため、私も共同アレンジでクレジットされています。)
E.ギター 土方隆行さん
A.ギター 吉川忠英さん
ベース 美久月千晴さん
ドラム 渡嘉敷祐一さん
ストリングス 金原千恵子ストリングス

みなさん言わずと知れた大御所なんですけど、当時は笹路さんはじめほとんどの方が今の私くらいの年齢、または年下。
なんだか信じられません。
当時もすでにものすごい巨匠でしたから。

ユニコーン、プリンセスプリンセス、スピッツ、、たくさんのアーティストのプロデュースをしている笹路さんのスタジオは、「笹路学校」と呼ばれているとのことでした。
実際、作業をしながらたくさんのことを勉強させていただきました。
ヴォーカルのレコーディングでは、ヘッドフォンのボリュームをミリ単位で指定され、歌も楽器のボリュームも、笹路さん指定の大きさで聞いて歌いました。
モニターの大きさとバランスによって、歌が本当に変わるので。

MIXがあがってスタジオの卓(ミキサー)の前で聞いた時は、椅子を左右スピーカーのド真ん中に縦一列に並べて聴きました。
バスの座席みたいにみんなで座って。
私が頭をゆらゆら動かしたら、後ろからピタッと止められて、「ここで聴いて!」と。
音が変わっちゃうからですね。
笹路さんのスタジオを経験して、繊細にいろんなことに神経を行き届かせるように、意識が変わりました。

この曲だったかどうか忘れたけど、レコーディングの時、笹路さんが腰を痛めていた日があって、ソファーに横になりながらディレクションしてくださったことがありました。
書いてると色々思い出すなあ。

この曲を録っていた時、ドラムの渡嘉敷さんが咳をして、でもそのまま演奏が続いてokテイクに。
MIXされてるから絶対わかりにくいけど、ものすっごい耳を立てて聞くと、どこかに渡嘉敷さんの咳が聞こえる、、、かも?

MIXを待っている間も笹路さんのスタジオは独特でした。
エンジニアさんが作業しているその数時間の使い方までプロデュースされている感じで。
「ウミガメのスープ」をみんなでやったことがありました。知ってます??
楽しかったなあ。

ああ、そうだ、スタジオで写真を撮っておけばよかったな。
ほとんど撮らなかったので。

デビューの前後に、私は安ますみ先生のヴォイストレーニングに通い始めていました。
笹路さんプロデュースでいうと岸谷香さん(元プリプリの)他、たくさんの生徒さんを導いている先生です。
この曲もレコーディング前にレッスンして、サビで音が下がるメロディの所で下がりすぎてしまうのを修正したのですが、笹路さんが気づいてくださって嬉しかったです。
安先生は、歌のみならず、いろんな面で私の生涯の師匠です。

さて、歌の内容の話。
「あーあ 会えて」
CDの歌詞カードでは、「ああ」って書かれてますね。
でも「あーあ」にすればよかったな。

「一生言わない」「似合わない」「絶対言わない」「死んでも言えない」「泣かないように」「笑わないで」「本も映画もいらない」
と、この歌、否定形の歌ですね。
強い気持ちを伝えたい時、否定形の方が伝わることが多いので、感覚的にそうなったんだと思います。
それにしても見事に否定否定否定だなーと、改めて思います。
「否定系」ってことにしましょうか。

恋愛なんてうまくいった試しがなくて、だからこういう歌になったのかも知れないですね。
そしてこんな風にいちいち重くて哲学するから、うまくいかなかったんでしょうね。笑

ジャケットは、茨城のゴルフ場で撮影しました。
茨城は地元ですが、実家からはかなり遠い場所だったので、南か南西の方かな。
確か雨上がりだったと思います。9月リリースなので夏の撮影だったはずだけど、割と肌寒くて。
撮影中にお弁当をがっつり食べ過ぎて、ぴったりしたタンクトップのお腹のところがポッコリ目立っちゃって、
「一本、(腹の)線、消しといてもらったよー」ってマネージャーさんに言われた覚えがあります。
ま、どうでもいい情報ですけれど。笑
丸いピアノは黄色くなって再登場。
これは前回シングルの水色のまま撮影して、PCで色を変えてます。

PVは女性のストリングス・カルテットと、撮影スタジオで。
確か、自然光を利用したりして、ナチュラルな感じだったような。
これまたビデオ紛失していて長いこと見ていないのですが。

他の方に提供した歌詞ならきっともっと色々語れるんですけど、オリジナルの歌詞はどうしても、「書いてある通りです」という感じになっちゃうなあ。
何か質問がある人、もしいらっしゃったらぜひ連絡くださいね。

大塚利恵の歌解説vol.3「体温計」

2020-08-22 12:46:25 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.3は、デビューマキシシングルのカップリングで、1st.Album「Oh Dear」にも収録されている「体温計」。
19歳くらいで書いた曲です。
ソニーの出版社のプロデューサーさんに、新曲を毎週書いて持って行く→ご褒美にご飯を食べさせてもらう、ということをしていた時期。

体温計
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵


あなたの肌に
触れてはいても
温かいことしか分からない

だからいつも
カバンの中に
体温計がひとつ

いつかあなたに手渡して
返ってきた
赤いメモリを見てみたいの

あなたの為に
笑ってみても
似合わない顔が映るだけ

それもやがて
柔らかくなって
愛がにじむといいな

いつかあなたの体温が
わたしの隣で
少しずつでも変わるといいな

手紙でも 電話でも
優しさは感じてるけど
心だけ計れない
大切に思う程

あなたのことを知れば知るほど
何かを失うような気もするわ

もしもこのまま
計り切れるなら
体温計は捨てて

いつかあなたは気付くはず
わたしの心に
ずっと住んでた
ウソとホント
どんなふうにあなたに
手渡そうか
わたしの体温計



■1st.シングル「いいよ。」の歌詞カード



■1st.アルバム「Oh Dear」の歌詞カード



この歌は、結果として恋愛の歌ですが、恋愛ソングを書きたいと思って作り始めたわけではないと思います。
どんなに愛し合っている相手でも100%同じ感覚には絶対になれない、自分の思うようにもならない。
自分の中の、びっくりするような内なる冷酷さに気づいて、私はこの人と一緒にいる資格なんかない、、と、愕然とすることもある。
そういうことをわかった上で、一緒にいることを選ぶ。
心と心が響き合い一つになる瞬間を信じて、宝物みたいに集めてゆく。
恋愛だけの話じゃありません。

実は最初は「体温計」じゃなくて、「体重計」だったんです。
何か、計るもの、、と思ったら体重計かなと思って。真剣に。
なんか色気がないと気づいて変えたんだと思いますけど。
でも、作詞する時は、「いやいや、体重計はないだろ」っていう風に、最初から決めつけないようにはしてるんです。
どんな言葉にも、どんなモチーフにも偏見を持たないようにしている。
違和感があるようなモチーフの方が、新鮮でいい歌になることはたくさんありますから。
勝手な思い込みや先入観、他の人がどう思うかとか、書くときには毎回そういうのをリセットしてます。

この歌は童謡みたいって言われたことがあるんですけど、確かに、いわゆるJ-popの王道「Aメロ-Bメロ-サビ」みたいなはっきりした展開がなく、こじんまりとした曲です。
「手紙でも 電話でも〜」のブロックだけ、大サビというか、クライマックス的に展開します。
この部分は、アドバイスをもらって、その場で思いついてスケッチした記憶があります。

「体温計がひとつ」のところのメロディは、「ドレミソラ【ドーミレ】ラー【ド】」(【】内はオクターブ上)
1オクターブと2度の開きがあり、すごく音域が広いんです。
例えば童謡の「しゃぼん玉」も、出だしの音(シャボン玉飛んだ、のシャの音)からトップノート(「かぜかぜ吹」くな、の所)まで、1オクターブ+4度ありますね。
短いし、易しく聞こえるのだけど、実はドラマティックなメロディです。
大きな舞台のセットではなく、小さな宝石箱の中に、目一杯のストーリーが詰まっているような感じ。

お世話になっていた音楽出版社にはいろんなプロデューサーさんが所属していて、その中に伊藤銀次さんがいらっしゃいました。
私の担当ではなかったのですが、夜、青山一丁目の会社内のスタジオでプリプロしていた時に、たまたまいらっしゃって、頼んだらすごく気さくに素敵なギターを弾いてくださったんです。
銀次さんにはいつも気にかけてもらって、優しくしていただいてました。
残念ながらその頃の音源は世に出ていませんが、カセットテープかDATで持ち帰ったデモが、探せばうちにあるかも。

「体温計」って、計って数字を出す物なので、現実的なモチーフです。
嘘発見器じゃないけど、感じていることや愛を数値で計れるとしたら、とても冷酷だと思いませんか。
あなたが私を思ってるより、私の方が3割増しであなたのことを思ってるじゃないの!ひどい!とか笑。
そのモチーフを使ってこの歌で描いているのは、綺麗事ではない真実、でも人間らしいぬくもりなんだと思います。

土方さんのアレンジで、アコースティックギターがメインですが、イントロやアウトロの「レドレドレドレド…」というギターのリフは、もともとピアノで弾いていたものです。
ただの「レドレド」なんですけどね、なぜかこの歌には欠かせない要素だったみたい。土方さんに拾ってもらえて嬉しかったです。
リフも、何か感情を表していたりします。
あなたはどう感じますか?もしよかったらそんなところにも注目して聞いてみてください。

大塚利恵の歌解説vol.2「夏気球」

2020-08-21 11:21:03 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.2は、デビューマキシシングルのカップリング「夏気球」。
その後、アニメ「ポポロクロイス物語」の主題歌になり、別ヴァージョンがシングルでリリースされました。
さらに、1st.album「Oh,Dear」にはピアノ弾き語りver.が収録されました。
つまり3バージョン、リリースされています。

夏気球

動かない空の下で
君の瞬きが見えた
早くマウンドへ上がろう
かき氷のようないろんな気持ち持って

誰よりも自由に
夢もためらいも
いつか君の背中が
曲がらないように

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

あんなに時間をかけて
分かったのはこれっぽっちさ
ケンカは殴るだけじゃない
たまに君のような奴に恋もしてみるさ

カラフルな気球から
僕が手を振ってる
行き先もそれからも
分からないままで

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

まわりまわる時の中で
何もまともに見えない
負けて泣いて立ち直る
君の速さについて行こう、なんて

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って



この曲はいろいろといわく付きで。
デビュー前にレコーディングを鬼ほど繰り返していたのは、特にこの曲なんです。

元々は、高校2年の秋、93年の「Voice2」という、ソニーのヴォーカリストオーディションの本選で歌った曲です。
予選に通り、本選までの間にできた曲。
何度か市ヶ谷のSD制作部(ソニーの新人開発部署)へ、担当ディレクターだった山下さんに会いに行っていたのですが、会社のスタジオのアップライトピアノで弾き語りを聞いてもらった時に、「この曲いいじゃん。本選はこれにしよう。」と言ってもらったんです。
のちに山下さんが、私が「入道雲」というサウンドの悪い言葉を、「夏気球」と表現したことに驚いたとおっしゃっていました。
そっか、これ入道雲だったのか、なるほど!と、これまた感覚で作っていただけの私は自分で気づいていなかったのですが笑。

その夏、ピアノのレッスンと被って母校の高校野球の応援に行けず、自分の部屋でラジオで試合中継を聞いていました。
ブログなどに何度か書いたことがあると思うけれど、その時にできた曲。
だからマウンドとかが出てくるんです。

無我夢中で生きていた夏のド真ん中の、言葉にならないようなたまらない一瞬に、永遠にとどまりたいような、そんな気持ちかな。

オーディション本選は、渋谷OnAir(今のTSUTAYA O-EASTになるのかな?)で行われて、ソニーのディレクターさんはじめ、業界の人ばかり何百人かが客席に座っていて。
グランドピアノで、弾き語りしました。
ライブ経験もなかったから、逆に気負うこともなかったけれど、うまく歌えたのかどうかもよくわかりませんでした。
オーディションの日は初めて高校を休んで、東京のホテルに泊まって、初めて打ち上げというものも経験して。
翌日、水戸の学校にまっすぐ登校する予定だったのですが、サボって東京で遊んで帰って、両親に怒られました。

Voice2は大きなオーディションで、応募者数11,470組。本選出場が16組。
仲良くなった出演者とはその後も長く連絡を取り合っていました。今でも親しい人もいます。

これ、オーディション資料です。
もう時効ってことで出してもいいよね。


オーディションでは、特に何か賞をもらったわけではありません。
歌には自信がなくて、でも作品にはすごく自信があったと思う。
作家(作曲家か作詞家)としていくつか声をかけてもらったみたいだったけれど、やはりシンガーソングライターとして声をかけてくれたところに行くべき、りえぞーは歌わないと、と、担当の山下さんがSMAという事務所に繋いでくださって、上京するまでそこで預かってもらってたんです。
当時の若松社長が声をかけてくださったのだと思う。いわき出身の方で、私と故郷がお隣だったので訛りが一緒で、親近感を持った覚えが。

もう一方、オーディションを見てすごく気に入ってくださったのが、のちにお世話になる音楽出版社の社長 小栗俊雄さんでした。
多分、小栗さんがいたので、そちらに移ることになったのかな。記憶が曖昧だ。
とにかくこの「夏気球」を絶賛してくださってました。

ものすごくいろんな大人の人に会いました。
当時の業界は夜な夜な飲みに行くことが多かったので、私も美味しいお店によく連れて行ってもらいました。
それが良いことだったのかどうかはわからないけど。
いろんな人とお話できたのは貴重だったな。話し下手で世間知らずだった私は、皆さんの会話を聞いているだけで勉強になった。

「夏気球」はデビュー前に、何度も歌詞を書き換えたんです。プロデューサーさんの意向で。
でも一年以上それをやって、結局元の歌詞に戻りました。
直して直して直しまくって、他の作家さんに直してもらったこともあった。
何が正解でどこまでやればokが出るのか、なんのためにやっているのかもわからなくなった。
そして、最後には、やっぱり元の歌詞がいいね、ということになりました。
今の私なら一瞬でその結論を出すけど笑。

歌詞って、意味だけじゃないんですよね。
サウンドの一部でもあるし、何か文字を超えた力が必ず働いている。
だから、良かれと思って一文字いじったことで、全部のバランスが崩れてしまうことがある。
この曲は、特にいじっちゃダメなバランスだったんだと思います。

TVでは、アニメ用に一部歌詞を書き換えたバージョンが流れていました。
それはアニメの世界観と繋がるためなので、ポジティブな変更でした。
でもリリースしたのは元の歌詞のままです。

「夏気球」3つのバージョンをご紹介していきます。

まず1つめ、デビューマキシシングル カップリングとして収録された「夏気球」。
アレンジは土方隆行さん。土方さんらしい、ギター中心の洗練されたホッとするアレンジ。
弾き語りのピアノアレンジがベースになっているので、私も編曲者として共同クレジットされています。
そうそう、初期の作品では、私はピアノを弾いていないんです。
もし、なぜ?と聞かれたら、こう答えるかな。
とんでもなくプロフェッショナルなバンドの中で、弾き語りレベルの私が弾くと、良い意味でも悪い意味でも浮いちゃうんです。
ピアノが妙に主張しちゃうから。
つまり歌をちゃんと立たせるためだったと思います。
99年の「東京」からはレコーディングでも弾いていますが、それはメンバーも変わりバンド感を出したかったし、ピアノもちょっと上達していたからです。

この「夏気球」のバンドメンバーは、表題曲「いいよ。」と基本的に同じ。
ギター土方さん、ベース美久月千晴さん、ピアノ小野沢篤さん、ただドラマーは「夏気球」だけ違うんです。
故・青山純さん。
「いいよ。」「体温計」のドラマー渡嘉敷祐一さんのスケジュールが空いていなかったから青純さんという、とても贅沢な理由だったと思います。今思うとびっくり。ね。
渡嘉敷さんの、感情を押し上げてくれるようなグルーヴィーな演奏に対して、青純さんのドラムはタイトで必要最低限の音しかないのに、パーッと美しく景色が広がるような感じでした。このお二人に叩いてもらってるなんて、本当に贅沢なデビューシングルです。

2つめ、同じく98年秋に、今はなき8cmの‘短冊’シングルでリリースされた「夏気球」。

アレンジは石川鉄男さん。
アレンジャー・マニピュレーターの石やんには、デビュー前のデモ制作期間にもずっとお世話になっていました。
「りえぞー、俺のPCに、夏気球のデータなら何百個も残ってるよ。」
と、数年分の試行錯誤の集大成のような、でも奇をてらった感じではなく、まっすぐなアレンジに仕上げてくださいました。
私にとっては、この曲の歴史を知り尽くした石川さんにアレンジを担当してもらうことで、デビュー前後ガラッと変わった自分の環境を繋いでもらえたような感じでした。
私を納得させるための采配だったのかも知れない。
急に一緒にいる人が変わったし、デビュー前の苦労は無駄だったの?となってしまってはやりきれなかったし。
もしそうだったとしたら、気を配ってくださった熊さんはじめ、スタッフの皆さんにただただ感謝です。
気心知れた石川さんとの作業で、スムーズだったと記憶しています。

3つめ、1st.Album収録の弾き語りver.も、石川さんプロデュースです。
もうこの曲はやり尽くしたよねと笑い合いながら、でもしみじみしながら、リラックスして、するっと良いテイクが録れたと思います。
本当に弾き語りで、ピアノと歌を同時に録りました。
テンポキープのためのクリックは使ってなかったのですが、何度やってもぴったり秒まで同じタイムになりました。
もちろん狙ってません。なんか染み付いたものがあったんでしょうね。

「夏気球」が世に出たことで、私は大きな肩の荷がおりた感じがしたことは確かです。
やっと、やっと前に進めると。

PVは、主に空撮でした。
早朝の東京をヘリで。私は乗ってませんが。
できたら乗りたかったなー。
スタジオでの撮影もあった、はず。
これまた残念ながらビデオテープを紛失していて、詳細は覚えていません。
どこかにあるかなあ。
どうしてないのかなあ。
どなたか持ってませんか?^^;

ジャケット裏側は、タイアップのポポロクロイス物語の絵ですが、これは別紙になっていて、外すと腕時計を見ている私が出てきます。
この時の髪、かなり短かったですね。何かのキャラクターみたい。

ちなみにポポロクロイスシリーズには、他にも歌で関わらせていただいています。
98年リリースのゲーム『ポポローグ』主題歌(作詞はポポロクロイスの生みの親 田森庸介さん、作曲が佐橋佳幸さん、編曲は佐橋さんと石川鉄男さん)
歌ったのはデビューのかなり前だったと思います。
大風邪をひいて、何週間も声が出なくて、病み上がりで歌った思い出があります。
時を経て、2015年には『ポポロクロイス牧場物語』の主題歌を歌わせていただきました。(作詞;田森さん、作曲;佐橋さん、編曲;石川さん)
これも石川さんが声をかけてくださり、ヴォーカルのディレクションをしてくれて。
そんなわけで、石川さんは私のデビュー前も後も、表も裏も、長きにわたり知ってくださっている数少ないお一人です。

この曲解説シリーズにはいろんな人のお名前が出てきますが、一般には知られていなくてもすごい方ばかりなので、もしよかったらググってみてください。
必ず、誰もが知っているアーティストやあなたも好きな作品に関わっている情報が出てくると思います。

あー、また長くなっちゃった!
この曲はね、仕方ないんです。笑

大塚利恵の歌解説vol.1「いいよ。」

2020-08-20 17:12:39 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介していきたいと思います♫
歌詞や曲の話はもちろん、レコーディングのことや、その頃のことでふと思い出したことなど、徒然に。
楽しんでいただけたら嬉しいです。

まずは、
1998年7月18日リリース
デビューマキシシングル タイトル曲「いいよ。」です。
配信特設サイトでは、ライターの兵庫慎司さんが、この曲のことを中心に素敵に紹介してくださっていますので、ぜひご覧ください。

初回なので、ちょっと長いですがお許しを。

「いいよ。」
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵
ストリングス編曲:笹路正徳

僕が消えた朝
天使の羽が生えて
鏡見て笑ったよ
似合わない おかしいね

行きつけの喫茶店
なつかしい保育園
仲良しの肉屋さん
あたたかい僕の家

かなわなかった願いさえも
切ない位同じ姿で
僕に手を振っているよ

悲しみは悲しみのまま
喜びは喜びのまま
僕だけがいない

僕が消えた朝
愛しいかけら達が
僕の手さえ握らず
泣いている気がした

聞き飽きたメロディーや
叱られた時の声
好きだった噴水の
思い出と水の音
恋人は恋人のまま
友達は友達のまま
僕だけがいない

僕がつむいだ
大切なかけら達が
僕と一緒に夢になるよ

かなえられた望みだけが
相変わらず僕を照らして
星のように舞っているよ

幸せは幸せのまま
優しさは優しさのまま
僕だけがいない

もう一度生まれ変わっても
僕はもう僕じゃないから
忘れてもいいよ




デビュー曲を選んだのは私ではなく、会社の会議で決まったんです。
当時の事務所フェイスと、アンティノスレコードのスタッフの皆さんで選んでくれたのだと思います。
私、自分のこともよくわかってない、会議とかとても出られないタイプの子だったので、呼ばれなかったのだと思います笑。

デビュー曲のテーマが「死」というのは結構攻めてたと思うけど、本当にこの曲でよかったと思います。
死を真剣に考えることは、生を真剣に考えること。
死を思いながら、生を目一杯描くこと。
私が一番大事にしてることだから。

「いいよ。」を書いたのは東京音大作曲科映画放送音楽コース1年生の時だったと思う。
池袋の、大学のすぐそばの音大生用マンションに住んでいました。
管理人のおじさんがすっごく変で、留守中部屋に入られたことがあったりして、2年で引っ越したんですけどね。
引っ越しの時にも、ゴミを置いて行かせてくれなくて、意地悪されたなあ。

当時、ソニーのプロデューサーさんのところに定期的に新曲を聞いてもらいに行っていて、音大の宿題も過酷だったので、徹夜ばかりしていて、大学の近くに住んでいたのはとても便利でした。
念願の一人暮らしで、自炊もやたら張り切っていて、マンションのすぐそばにあった肉屋さんでよくお肉を買っていたんです。
お弁当や惣菜の美味しいお店で、音大の友達もよく買っていたので、私が生肉を買うのを肉屋のおじさんは不思議に思っていたみたい。
その方が、歌詞に出てくる「仲良しの肉屋さん」のモデルです。
豪快で明るい、声の大きな肉屋さん。お元気かなあ。

この曲は、当時できたばかりだった「フレッシュネス・バーガー」で、ほとんどの歌詞を書きました。
東池袋が確か2号店だったのかな。衝撃の美味しさにハマってました。
家の近くだったから、よく早朝の誰もいない時間に行って、ベーコンオムレツバーガーをぱくつき、コーヒーが冷めたことにも気付かず、何時間も鼻息を荒くして書いていました。

私は、オリジナルソングの場合は、ほとんど歌詞を先に作ります。
かっちりではなく、ぐちゃぐちゃに思い浮かぶままに書いて、どこが出だしでどこがサビとかも全く決めずに。
テーマと対峙して、潜って潜って会話していくみたいに。
そして、ある程度手応えを感じたら、ピアノに向かって曲と同時進行で作ってゆきます。
例外もあるけど、ほとんどそのパターンです。
当時のマンションの部屋にはレンタルのアップライトピアノがあって、書きなぐった歌詞のメモを見ながら、コードとメロディを探していきました。

よく、特に昔の私の曲は「ファンタジック」と言われるのですが、確かにそういう表現が多い(この曲も天使の羽が生えますしね。)けれど、自分で意識していたわけではありません。
歌は「心のノンフィクション」だと思っているのですが、それを追求していくと、ファンタジックな方が表現しやすかったように思います。
現実って、そのまま書くと感情が抜け落ちたり、そのまま書いてるはずなのに全然違ったりするじゃないですか。

さて、私がソニーのオーディションを受けたのは93年、デビューは98年なので、ずいぶん時間がかかりました。
デビュー前に、実はものすごい時間と予算を使って、死ぬほどレコーディングしてたんです。
同じ曲を何度もやり直したり、違うアレンジ、違うミュージシャンで。もちろん、私の権限じゃないですよ笑。
その時のプロデューサーさんの試行錯誤だったので、私自身はもう何が何だかわからず言われるままだったんです。

私めちゃくちゃ耐性が強いので、辛かったけど受け入れて我慢しちゃったのだと思います。
もっとスルッと、10代でリリースした方が健全だったと思うのですが。
でも、誰かを恨むことはもちろん、しっかりしていなかった自分を責めることももうしないと決めています。
そういう自分だからこそ、作ることができた楽曲たちだと思うので。

そんなわけでノイローゼ気味でのデビュー笑。
あんまり、嬉しい!とか、やった!という感情はなかったと思います。
関わってくれる人、応援してくれる人への感謝を伝える余裕すらなかった。
病んでましたね、嫌な思いをさせた方がいたら、本当に申し訳なく思います。

デビュー前は、ソニーの出版社預かりの立場だったんですけど、レコード会社へのプレゼンライブがあって、10社か11社だったかな?すごくたくさん手をあげていただいて。
でも、色々諸事情ありまして(言えない話が多いから割愛(^^))
出版社の目の前にあった、同じソニーのアンティノスレコードからデビューが決まりました。
事務所も決まり、デビューに向け準備が進んでいたのですが、、
またまた、なかなか音源が仕上がらなくて。

ある日、事務所の社長さんに呼ばれました。
「ねえ、りえぞー、ちょっと気分転換にさ、違う人とレコーディングしてみる?」
「あ、、はい。」(朦朧)という感じで、デモテープを録るつもりでスタジオへ。
そこで録ったのが、そのままデビュー音源となりました。
騙されたのではなく笑、うまく誘導してもらえたと思っています。
いろんな人間関係が絡んでいたし、周りにいる誰をも失いたくなかった。そして流されるままの私一人ではどうにもならなかったと思います。

ディレクターをしてくれた熊谷さんは、同じ事務所の大先輩 エレファントカシマシのディレクターさんでした。
超多忙な中、いつも歌舞伎揚の袋を小脇に抱え、ものすごいスピードでキレッキレのディレクションをしてくれました。
でもすごく的確で、ありがたかった。
色々あったけれど、リリースしたものすべてを今でも心から誇れるのは、ほんと、熊さんのおかげが大きくて、感謝しています。

この曲のアレンジャーは、ギタリストの土方隆行さん。
クレジットを見てもらえればと思うのですが、すんごいメンバーのレコーディングで。
私は「これまた豪華なデモ録りだな〜」とぼんやり思っていました。

「いいよ。」だけじゃないんですが、私の曲のアレンジは、イントロ、間奏、曲中も、もともとピアノで弾いていたフレーズをそのまま取り入れて生かしてもらっているのがほとんどです。メインのフレーズに関しては。
でも、「いいよ。」のストリングスを初めて聞いた時は、わあ!っと思いました。
元の世界観はそのままに、笹路正徳さんが徹底的に感情に寄り添い、本当に素敵に膨らませてくださって。
特に間奏の、サワサワとクレッシェンド&デクレッシェンドするところがとっても好きです。
こんなアプローチがあるんだ、、と感激した記憶があります。
ストリングスの譜面をいただいて帰りました。

実は最初は、ストリングスは違うアレンジャーさんが書いてくださったんです。
でもレコーディングで実際聴いて、熊さんと目を合わせ、「違うね」となってしまって。
そういう時って、決してアレンジャーさんが悪いわけじゃないのだけど、(それだけは強調しておきたい)
何か、パズルのピースが違った!となってしまう時があるんですよね。

どうしようか、、となっていたその時、たまたま同じスタジオの別室でレコーディング作業をしていた笹路さんが、遊びにきてくださいました。
盟友の土方さん、熊さんもいたので、興味を持ってくださったのかも。
そこで「いいよ。」を聞いて、気に入ってくださいました。
「僕、書くよ。」とその場でスケジュール帳を開いて、予定入れてくださって。

そうして出来あがったのがこの曲です。
その後、笹路さんにも土方さん同様、がっつり関わっていただくことになったのですが、その話はまた他の曲の回で。

あと、歌詞の話ですが、「僕」という人称については、インタビューでかなり聞かれることが多かったです。
なぜ私が女性なのに「僕」なのか問題ですね。
他にも僕/君を使った曲は多々あります。
私/あなたのものもあります。
でも、正直あまり考えてそうしたわけじゃなかったと思います。
主人公の設定が変わるから、とかでもなく。(提供する歌詞ならそうなのですが)
曲やテーマがそれを求めたから、という感じかなあ。
でも、「私」でも「俺」でもなく「僕」が一番中性的で、人物の性に焦点が当たりにくく、テーマに集中できる、というのはあったかも。
当時は本当に、何も考えずに衝動に突き動かされて書いていたという感じでした。

そういえば、「いいよ。」には「君」が出てきません。
大切な存在は確かにいるのだけど、二人称が直接出てこない歌は意外と少ないかも。

「死」がテーマの、この曲を愛してくださっている方から、思いがけないお話を聞くことがあります。

昔、旦那様を事故で亡くした方。
私はそれを知らずに、彼女のヨガのクラスが好きで通っていたのですが、何年も経って再会して、初めてお茶をした時に打ち明けられたんです。
実はずっと辛くて辛くて、どうしていいかわからず生きていた時期があった。
この歌をもっと早く知っていればよかった、って。
本当に辛い別れをした方が、この歌をどう捉えるのかは私にははかりしれなかったけれど、新たに出会った旦那様と娘さんに恵まれ、一緒にこの歌を聞いてくれていると知って本当に嬉しかった。
死を考えることは生を考えること。逃げずに向き合うことで前を向けるということ。
多分、、私は何も変に思い巡らせることなく、純粋に自分ごととして書いた歌だから、ちゃんと真意が伝わったのかなと思います。

何人かの友達が、子供に私の歌を聞かせると泣き止むと報告してくれたことがあります。
謎!だけど、「歌声が子供の泣き声みたい」って言われたことがあるから、周波数がちょうどいいのかな??
テーマがなんであっても、もっとその奥にある波動だけで感じ取ってもらえるなんて、嬉しいし興味深いなーと思いました。

「いいよ。」を書いた時の私が、それまでの人生で経験した身近な人の死は、二人。
私が中学生の時に亡くなったおじいちゃんと、ピアノの先生です。
二人の死を強く思いながら書いた記憶があります。

死はもちろん普遍的なテーマだけれど、今の時代にはどう響くんでしょうね、この曲。
配信が決まって、自分でも久々にじっくり聞きました。
いい曲だよね?笑




★追記8/21;
ジャケットのこととPVのことを書くのを忘れてました。
この丸いピアノは見るとびっくりされるのですが(ですよね)音は出ません。大道具です。
撮影当日、現場で鍵盤を大道具さんがセットしてくれたのを目の前で見ていて、とても楽しかったです。
この白鍵は、実は透明なんですよ。

ジャケットのデザインはタイクーングラフィックスさん。
ね、すっごいでしょ?!笑
ピアノ弾き語りで素朴だから「ナチュラル系」、みたいな捉え方は大嫌いだったので、タイクーンさんが歌を聞いて提案してくださったこのぶっ飛んだデザインはとても嬉しかったです。1stアルバムもそうだけど、今でもすごく好き。
後ろに写っている赤いメトロノームが欲しかったんだけど、気づいた時には倉庫が整理されて捨てられていて、残念でした。
もしもらっていたら、宝物だっただろうな。
今はデジタルメトロノームも、アプリもあるけど、アナログのメトロノームが一番いい。
拍と拍の間が目で見えるって、とても大事なことだと思うんです。音楽的だし。
時計もそうですよね。秒と秒の間の、確かにある時の流れを、自分の感覚から抜け落ちさせないこと。

話が逸れました。
ヘアメイクは中野明美さん。やはり当時から売れっ子で、今や神。
魔法のように魅力を引き出してくれるメイクで、鏡を見て本当にびっくりしました。
何をどう塗ったらこうなるんだ?!って。
当時はうまく話もできない子だったので、ちゃんとその感動を伝えられず、支離滅裂になってしまって、後悔したものです。
あ、今も別に話はうまくないけれど笑。

プロモーションビデオの撮影は、早朝でした。
池袋から引っ越して、梅ヶ丘のマンションに住んでいたのですが、マネージャーさんたちが車で迎えにきてくれて、3時くらいだったかな。
二子玉川の河川敷(広場かな?)に行って。
そこになんとグランドピアノをどーんと置き、ピアノは私ではなく男性のピアニストが弾いて、私は寝ぼけ眼で、確かサッカーゴールの前に置かれた椅子に座って歌いました。
だんだん明るくなってくると、散歩中の皆さんやワンちゃんたちに見られて、恥ずかしかった。
もうビデオテープ(データじゃなかったので)もどこに行ったかわからず、20年以上見ていないので記憶違いがあるかもですが。

PVの中で、大サビの「僕がつむいだ〜」のところは、撮影時の生歌だったんです。
PVはそこだけ音が差し替えられて。
あとで笹路さんがそれを見て「CDもそういう風にしたのかと思って、画期的だと思ったよ。」と言ってくださったのを覚えています。
でも声も起きてなくて眠そうだったし、私は、マジで、これで大丈夫なの?!と思った。それが生っぽくてよかったのかもしれないですけどね。

PVのデータ、どこかに残ってないかな。
っていうか、そういう大切なビデオテープの在り処もわからなくなっている私のずさんな管理。。
当時は自分の、特に過去になってしまったものを大切にすることができなかったのです。
雑誌の記事も、写真も、ほとんどとっていなくて。
捨ててしまって後悔したものも数知れず。
でも逆に、今みたいになんでもデータでとっておける方が幸せかというと、わからないですけどね。

そう言えば、レーベル名のアンティノスAntinosって、「アンチ・ソニー」(後ろから読むとソニー)ってことだったんですよ。
ソニーのレーベルだったけど。
若い社長だった坂西伊作さんは、PVの名監督でもあって。「いいよ。」の監督も伊作さんです。
のちに、50代の若さで、訃報を聞いた時には驚きました。
やっぱ探さなきゃダメだな、ビデオテープ。