『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫
vol.9は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)収録曲「はばたきたいなあ」。
この曲は唯一、アルバム制作に当たって新たに書きおろした曲です。
ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
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はばたきたいなあ
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり
くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの
まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい
落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」
見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
デビュー時は、ほぼノイローゼで朦朧としていた話は前に書いた通りで、自分の曲への新鮮さは失っていました。
それでもやっとCDが出ることになってホッとしていました。
そんな私の心中を察してか、ディレクター熊さんから、新曲を一曲書いてと提案が。
ずっと書いていなかったわけではなくて、音楽出版社預かり時代にレコーディングまでしてお蔵入りしていた曲もあったりしました。
でも、たった今、デビューが決まった時点で全く新しいものを書くことが大事と。
私自身のための新曲作りだったわけです。
職業作家のようにちゃんと締め切りがあって、
「ここまでにアルバムに入れる曲を書いてね。以上。」
という経験は、思えばこれが初めてだったかも。
できなかったでは済まされない。
でも、あまり苦労した覚えはないんです。
今から書く曲は、ちゃんといついつにレコーディングされて、世に出ることが決まっている。
アルバムの他の曲も決まっているし、アルバム全体の雰囲気も思い描きながら、自由に書くことができる。
今を切り取るだけだ。
そう思ったらスッと書けた。
話は変わりますが、作詞家としても、世に出るか出ないかわからないものをあまりに沢山書いていると、自分がぶっ壊れそうになります。
これが人生最後の曲になってもいい、そういう熱量で全部書いていますから。
作詞したもののうち、今までリリースされたのは1割もないかな。
しんどいのは、いい曲がリリースされ悪い曲がリリースされないわけではないということ。
むしろ、すごくいいものに限って諸事情で出なかったりもする。
タイミングが合わなくて残念ながら出ない曲もある。
それでも書かないとどうにもならないので、書きます。
自分の精神が死なないように、自分の中でせめぎ合いながら、折り合いをつけながら。
こういうことって音楽に限らずみんなあるのかな。
一方、アーティストとして作る歌は、世に出ようが出まいが関係なく自分のため、という面はあるのですが、
それでも当時、CDデビューする前提で動き始めて数年、膠着状態が長かったので、「えいっ!」とテンションを上げ突破する意味でも、「はばたきたいなあ」という新曲を作ったことはとても意味があったと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この曲のアレンジャー・サウンドプロデューサーは福原まりさん。
プリプロの時だったかな。びっくりしたことがありました。
歌のサイズの問題で、もともとあった箇所を「1ブロック、丸々カットしちゃだめ?」という提案でした。
確かAメロがもう一箇所あったのかな。
その部分の歌詞は他の部分の繰り返しではなく、丸々消えちゃうことになるので、最初は驚きましたが、全体の構成やアレンジを考えるとすぐに納得できました。
パーツをカットするという考えが、それまでの私にはなかったので、「そういうのありなんだ!」とびっくりしただけです。
よく私は頑固そうに思われるんですが、作品がよくなるための提案だったら結構すんなりokしちゃいます。
だって、そのほうが、自分の枠の中だけでやってるよりずっと面白いから。
ちなみに、作詞家として仕事する時も、「こういう理由でここを変えたいのだけど」と相談される場合があります。
基本的にはわかりました、と直します。私のための作品ではないから。
ただ、作詞家大塚利恵と名前は出るので、責任は私にあるってことになるんですよね。
だから、作品の魂が消えちゃうような要望、ダサすぎて耐えられない要望、「じゃ、作詞するの私じゃなくてもいいじゃん」って思ってしまう要望に関しては、戦うようにしてます。よっぽどの場合だけですけどね。
どうしても断れない場合もあって、その時は100%精神を病むんですけど、笑
それが流れなら仕方ない、と腹をくくります。
どうしていいかわからなくなったら、音楽の神様が喜ぶかどうかを基準にしようと、いつからかそう思うようになりました。
アーティストと職業作家の境目って、どこにあるんでしょうね。
アーティストって何なのかな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それはさておき、「はばたきたいなあ」が完成してリリースされたことで、もやもやが晴れ、気分がスッとしました。
今改めて聞いて、歌詞を見てみると、その時の気持ちをちゃんと書けてるじゃん、と思います。
作品に完璧はない。
その時その瞬間を作品の中に封じ込められたとしたら、たとえ拙いところがあったとしても、それがベストなのだと思います。
こねくり回して「もっとできるはず」と、いつまでも外に出さない、「はい、これで完成」と決めないのは不健全だと思う。
自分に与えられた時間は有限なんだし、私たちは常に変わり続けているんだから、えいっと線を引かないと何も残らないことになってしまう。
旬を見逃さないこと。
そう言えば、笹路正徳さんもおっしゃてました。
レコーディングの日にたまたま風邪をひいて声が枯れていたとしても、それはその日の記録だから、そのままでいいんだって。
CDを聞いて鼻声だったとしても、その日そうだったんだなーって思えばいいだけだと。
あの超A型人間な笹路さんが、です。
私にはそれがすごい説得力だった。真実だと思いました。
後から聞くと、その鼻声が味わいに感じられることもあったりする。
何が良いかって、究極わからないわけですよね、時間が経ってみないと。
ものを作る時、極限までこだわるのは当たり前として、どこかで区切りをつけることもものづくりの一部だと思うんです。
どこで区切るか、の見極め。
締め切りがあってもなくても。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、歌詞の解説を、敢えて細かくやってみようと思います。
くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの
>自分と他人の感覚は同じじゃないと一度気づいてしまったら、魔法は解ける。それが大人になるってことか。
まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい
>何も意識してなかった頃に戻りたい。客観的に自分なんか見たくない。でも戻れない。
落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった
>生きている実感が欲しい。何も余計なことを考えずにその実感を味わっていたい。
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
>はばたけて当たり前と思っていた時は終わった。でも、はばたきたいんだ。不安なまま。今の自分で。
なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ
>ここがこの歌の肝です。過去を美化するのは大嫌い。思い出のセピア色に騙されるな。
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」
>今繋がっている人と。今繋がっているすべてと。今を踏んで、はばたく先を思い描く。
見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
>いつだって未来は予想を裏切ってくる。それに抗わず受け入れた時、「来たなー、想定外の未来!」って楽しめた時、きっとはばたける。
多分、明日書いたらまた違う解説になりそう。笑
福原まりさんのアレンジが、今聞いても本当にセンスが良くて、かっこいいでしょう?
元はもちろんピアノで弾き語ったデモでした。
歌詞に風景描写はほとんどないのだけど、景色が浮かぶサウンド。
不思議な曲です。
当時は渦中にいすぎてよくわからなかったけど、今聞くとすごくいいなーと思えます。
その時にしか作れないものを作ってよかった。
もっともっと作り上げておきたかった。
それは今にも言えるのかも知れない。
未来には、今作る作品が宝になっているのかも。生きた証というか。
もっと作らなきゃな。
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫
vol.9は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)収録曲「はばたきたいなあ」。
この曲は唯一、アルバム制作に当たって新たに書きおろした曲です。
ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ
はばたきたいなあ
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり
くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの
まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい
落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」
見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
デビュー時は、ほぼノイローゼで朦朧としていた話は前に書いた通りで、自分の曲への新鮮さは失っていました。
それでもやっとCDが出ることになってホッとしていました。
そんな私の心中を察してか、ディレクター熊さんから、新曲を一曲書いてと提案が。
ずっと書いていなかったわけではなくて、音楽出版社預かり時代にレコーディングまでしてお蔵入りしていた曲もあったりしました。
でも、たった今、デビューが決まった時点で全く新しいものを書くことが大事と。
私自身のための新曲作りだったわけです。
職業作家のようにちゃんと締め切りがあって、
「ここまでにアルバムに入れる曲を書いてね。以上。」
という経験は、思えばこれが初めてだったかも。
できなかったでは済まされない。
でも、あまり苦労した覚えはないんです。
今から書く曲は、ちゃんといついつにレコーディングされて、世に出ることが決まっている。
アルバムの他の曲も決まっているし、アルバム全体の雰囲気も思い描きながら、自由に書くことができる。
今を切り取るだけだ。
そう思ったらスッと書けた。
話は変わりますが、作詞家としても、世に出るか出ないかわからないものをあまりに沢山書いていると、自分がぶっ壊れそうになります。
これが人生最後の曲になってもいい、そういう熱量で全部書いていますから。
作詞したもののうち、今までリリースされたのは1割もないかな。
しんどいのは、いい曲がリリースされ悪い曲がリリースされないわけではないということ。
むしろ、すごくいいものに限って諸事情で出なかったりもする。
タイミングが合わなくて残念ながら出ない曲もある。
それでも書かないとどうにもならないので、書きます。
自分の精神が死なないように、自分の中でせめぎ合いながら、折り合いをつけながら。
こういうことって音楽に限らずみんなあるのかな。
一方、アーティストとして作る歌は、世に出ようが出まいが関係なく自分のため、という面はあるのですが、
それでも当時、CDデビューする前提で動き始めて数年、膠着状態が長かったので、「えいっ!」とテンションを上げ突破する意味でも、「はばたきたいなあ」という新曲を作ったことはとても意味があったと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この曲のアレンジャー・サウンドプロデューサーは福原まりさん。
プリプロの時だったかな。びっくりしたことがありました。
歌のサイズの問題で、もともとあった箇所を「1ブロック、丸々カットしちゃだめ?」という提案でした。
確かAメロがもう一箇所あったのかな。
その部分の歌詞は他の部分の繰り返しではなく、丸々消えちゃうことになるので、最初は驚きましたが、全体の構成やアレンジを考えるとすぐに納得できました。
パーツをカットするという考えが、それまでの私にはなかったので、「そういうのありなんだ!」とびっくりしただけです。
よく私は頑固そうに思われるんですが、作品がよくなるための提案だったら結構すんなりokしちゃいます。
だって、そのほうが、自分の枠の中だけでやってるよりずっと面白いから。
ちなみに、作詞家として仕事する時も、「こういう理由でここを変えたいのだけど」と相談される場合があります。
基本的にはわかりました、と直します。私のための作品ではないから。
ただ、作詞家大塚利恵と名前は出るので、責任は私にあるってことになるんですよね。
だから、作品の魂が消えちゃうような要望、ダサすぎて耐えられない要望、「じゃ、作詞するの私じゃなくてもいいじゃん」って思ってしまう要望に関しては、戦うようにしてます。よっぽどの場合だけですけどね。
どうしても断れない場合もあって、その時は100%精神を病むんですけど、笑
それが流れなら仕方ない、と腹をくくります。
どうしていいかわからなくなったら、音楽の神様が喜ぶかどうかを基準にしようと、いつからかそう思うようになりました。
アーティストと職業作家の境目って、どこにあるんでしょうね。
アーティストって何なのかな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それはさておき、「はばたきたいなあ」が完成してリリースされたことで、もやもやが晴れ、気分がスッとしました。
今改めて聞いて、歌詞を見てみると、その時の気持ちをちゃんと書けてるじゃん、と思います。
作品に完璧はない。
その時その瞬間を作品の中に封じ込められたとしたら、たとえ拙いところがあったとしても、それがベストなのだと思います。
こねくり回して「もっとできるはず」と、いつまでも外に出さない、「はい、これで完成」と決めないのは不健全だと思う。
自分に与えられた時間は有限なんだし、私たちは常に変わり続けているんだから、えいっと線を引かないと何も残らないことになってしまう。
旬を見逃さないこと。
そう言えば、笹路正徳さんもおっしゃてました。
レコーディングの日にたまたま風邪をひいて声が枯れていたとしても、それはその日の記録だから、そのままでいいんだって。
CDを聞いて鼻声だったとしても、その日そうだったんだなーって思えばいいだけだと。
あの超A型人間な笹路さんが、です。
私にはそれがすごい説得力だった。真実だと思いました。
後から聞くと、その鼻声が味わいに感じられることもあったりする。
何が良いかって、究極わからないわけですよね、時間が経ってみないと。
ものを作る時、極限までこだわるのは当たり前として、どこかで区切りをつけることもものづくりの一部だと思うんです。
どこで区切るか、の見極め。
締め切りがあってもなくても。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、歌詞の解説を、敢えて細かくやってみようと思います。
くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの
>自分と他人の感覚は同じじゃないと一度気づいてしまったら、魔法は解ける。それが大人になるってことか。
まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい
>何も意識してなかった頃に戻りたい。客観的に自分なんか見たくない。でも戻れない。
落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった
>生きている実感が欲しい。何も余計なことを考えずにその実感を味わっていたい。
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
>はばたけて当たり前と思っていた時は終わった。でも、はばたきたいんだ。不安なまま。今の自分で。
なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ
>ここがこの歌の肝です。過去を美化するのは大嫌い。思い出のセピア色に騙されるな。
「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」
>今繋がっている人と。今繋がっているすべてと。今を踏んで、はばたく先を思い描く。
見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
>いつだって未来は予想を裏切ってくる。それに抗わず受け入れた時、「来たなー、想定外の未来!」って楽しめた時、きっとはばたける。
多分、明日書いたらまた違う解説になりそう。笑
福原まりさんのアレンジが、今聞いても本当にセンスが良くて、かっこいいでしょう?
元はもちろんピアノで弾き語ったデモでした。
歌詞に風景描写はほとんどないのだけど、景色が浮かぶサウンド。
不思議な曲です。
当時は渦中にいすぎてよくわからなかったけど、今聞くとすごくいいなーと思えます。
その時にしか作れないものを作ってよかった。
もっともっと作り上げておきたかった。
それは今にも言えるのかも知れない。
未来には、今作る作品が宝になっているのかも。生きた証というか。
もっと作らなきゃな。