彩彩日記 作詞家/シンガーソングライター 大塚利恵のブログ

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大塚利恵の歌解説vol.9「はばたきたいなあ」

2020-09-13 12:10:50 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.9は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)収録曲「はばたきたいなあ」。
この曲は唯一、アルバム制作に当たって新たに書きおろした曲です。

ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ


はばたきたいなあ
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり

くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの

まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい

落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」

なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」

見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ




デビュー時は、ほぼノイローゼで朦朧としていた話は前に書いた通りで、自分の曲への新鮮さは失っていました。
それでもやっとCDが出ることになってホッとしていました。
そんな私の心中を察してか、ディレクター熊さんから、新曲を一曲書いてと提案が。

ずっと書いていなかったわけではなくて、音楽出版社預かり時代にレコーディングまでしてお蔵入りしていた曲もあったりしました。
でも、たった今、デビューが決まった時点で全く新しいものを書くことが大事と。
私自身のための新曲作りだったわけです。

職業作家のようにちゃんと締め切りがあって、
「ここまでにアルバムに入れる曲を書いてね。以上。」
という経験は、思えばこれが初めてだったかも。
できなかったでは済まされない。

でも、あまり苦労した覚えはないんです。
今から書く曲は、ちゃんといついつにレコーディングされて、世に出ることが決まっている。
アルバムの他の曲も決まっているし、アルバム全体の雰囲気も思い描きながら、自由に書くことができる。
今を切り取るだけだ。
そう思ったらスッと書けた。

話は変わりますが、作詞家としても、世に出るか出ないかわからないものをあまりに沢山書いていると、自分がぶっ壊れそうになります。
これが人生最後の曲になってもいい、そういう熱量で全部書いていますから。
作詞したもののうち、今までリリースされたのは1割もないかな。
しんどいのは、いい曲がリリースされ悪い曲がリリースされないわけではないということ。
むしろ、すごくいいものに限って諸事情で出なかったりもする。
タイミングが合わなくて残念ながら出ない曲もある。
それでも書かないとどうにもならないので、書きます。
自分の精神が死なないように、自分の中でせめぎ合いながら、折り合いをつけながら。
こういうことって音楽に限らずみんなあるのかな。

一方、アーティストとして作る歌は、世に出ようが出まいが関係なく自分のため、という面はあるのですが、
それでも当時、CDデビューする前提で動き始めて数年、膠着状態が長かったので、「えいっ!」とテンションを上げ突破する意味でも、「はばたきたいなあ」という新曲を作ったことはとても意味があったと思います。

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この曲のアレンジャー・サウンドプロデューサーは福原まりさん。
プリプロの時だったかな。びっくりしたことがありました。
歌のサイズの問題で、もともとあった箇所を「1ブロック、丸々カットしちゃだめ?」という提案でした。
確かAメロがもう一箇所あったのかな。
その部分の歌詞は他の部分の繰り返しではなく、丸々消えちゃうことになるので、最初は驚きましたが、全体の構成やアレンジを考えるとすぐに納得できました。
パーツをカットするという考えが、それまでの私にはなかったので、「そういうのありなんだ!」とびっくりしただけです。
よく私は頑固そうに思われるんですが、作品がよくなるための提案だったら結構すんなりokしちゃいます。
だって、そのほうが、自分の枠の中だけでやってるよりずっと面白いから。

ちなみに、作詞家として仕事する時も、「こういう理由でここを変えたいのだけど」と相談される場合があります。
基本的にはわかりました、と直します。私のための作品ではないから。
ただ、作詞家大塚利恵と名前は出るので、責任は私にあるってことになるんですよね。
だから、作品の魂が消えちゃうような要望、ダサすぎて耐えられない要望、「じゃ、作詞するの私じゃなくてもいいじゃん」って思ってしまう要望に関しては、戦うようにしてます。よっぽどの場合だけですけどね。
どうしても断れない場合もあって、その時は100%精神を病むんですけど、笑
それが流れなら仕方ない、と腹をくくります。
どうしていいかわからなくなったら、音楽の神様が喜ぶかどうかを基準にしようと、いつからかそう思うようになりました。

アーティストと職業作家の境目って、どこにあるんでしょうね。
アーティストって何なのかな。

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それはさておき、「はばたきたいなあ」が完成してリリースされたことで、もやもやが晴れ、気分がスッとしました。
今改めて聞いて、歌詞を見てみると、その時の気持ちをちゃんと書けてるじゃん、と思います。

作品に完璧はない。
その時その瞬間を作品の中に封じ込められたとしたら、たとえ拙いところがあったとしても、それがベストなのだと思います。
こねくり回して「もっとできるはず」と、いつまでも外に出さない、「はい、これで完成」と決めないのは不健全だと思う。
自分に与えられた時間は有限なんだし、私たちは常に変わり続けているんだから、えいっと線を引かないと何も残らないことになってしまう。
旬を見逃さないこと。

そう言えば、笹路正徳さんもおっしゃてました。
レコーディングの日にたまたま風邪をひいて声が枯れていたとしても、それはその日の記録だから、そのままでいいんだって。
CDを聞いて鼻声だったとしても、その日そうだったんだなーって思えばいいだけだと。
あの超A型人間な笹路さんが、です。
私にはそれがすごい説得力だった。真実だと思いました。
後から聞くと、その鼻声が味わいに感じられることもあったりする。
何が良いかって、究極わからないわけですよね、時間が経ってみないと。

ものを作る時、極限までこだわるのは当たり前として、どこかで区切りをつけることもものづくりの一部だと思うんです。
どこで区切るか、の見極め。
締め切りがあってもなくても。

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さて、歌詞の解説を、敢えて細かくやってみようと思います。


くっついた 小指と小指に
気付かない なんてことあるの

>自分と他人の感覚は同じじゃないと一度気づいてしまったら、魔法は解ける。それが大人になるってことか。

まばたきや 笑うタイミングも
できるなら 忘れてしまいたい

>何も意識してなかった頃に戻りたい。客観的に自分なんか見たくない。でも戻れない。

落とし穴に落ちてみたら
かすり傷が愛しかった

>生きている実感が欲しい。何も余計なことを考えずにその実感を味わっていたい。

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」

>はばたけて当たり前と思っていた時は終わった。でも、はばたきたいんだ。不安なまま。今の自分で。

なくしたのは たいした羽根じゃないわ
過ぎた時間に だまされてるだけ

>ここがこの歌の肝です。過去を美化するのは大嫌い。思い出のセピア色に騙されるな。

「はばたきたいなあ」
「はばたけるかなあ」
「手を離さないで」
「はばたきたいなあ」

>今繋がっている人と。今繋がっているすべてと。今を踏んで、はばたく先を思い描く。

見たこともない一日が浮かぶ
こんな気持ちになりたかったの
はばたけるわ
>いつだって未来は予想を裏切ってくる。それに抗わず受け入れた時、「来たなー、想定外の未来!」って楽しめた時、きっとはばたける。


多分、明日書いたらまた違う解説になりそう。笑


福原まりさんのアレンジが、今聞いても本当にセンスが良くて、かっこいいでしょう?
元はもちろんピアノで弾き語ったデモでした。

歌詞に風景描写はほとんどないのだけど、景色が浮かぶサウンド。
不思議な曲です。

当時は渦中にいすぎてよくわからなかったけど、今聞くとすごくいいなーと思えます。
その時にしか作れないものを作ってよかった。
もっともっと作り上げておきたかった。

それは今にも言えるのかも知れない。
未来には、今作る作品が宝になっているのかも。生きた証というか。
もっと作らなきゃな。


大塚利恵の歌解説vol.8「Oh Dear」

2020-09-02 18:14:26 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.8は、1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)のタイトル曲「Oh Dear」。
INAX「かべ美人」のTVCMソングになったので、99年リリースの4th.Maxi Single「東京」にも、カップリング収録されました。


Oh,Dear
作詞作曲歌ピアノ:大塚利恵

Oh Dear 僕は
真面目すぎて
石の家を砕いてしまった
Oh Dear 僕は
知らなかった
あたたかい石もあるということ

Oh Dear もしも
家の中に
僕の好きな花が咲いてたら
Oh Dear それを
知っていたら
花を摘むことさえしなかったのに

ほら 何もしなくても暮れてゆく
今日も明日も
溶けていく 僕がしたこと
数え切れないほど

Oh Dear もしも
僕があのとき
石の家を壊さなかったら
Oh Dear 君は
そこに 今も
何も変わらず住んでいたのかな

ねぇ 素直になるほど
許せないことが増えるね
ひとつだけ願ってること
愛をなくさないこと

僕たちは 愛のかたちを
探しているから 深く傷つく
忘れたい 忘れ切れない
日々を抱えて歩いている

Oh Dear
君は僕がしたこと
知っていても
笑ってくれるの
Oh Dear
君に知らせないで
あのときの花 飾ってみたよ



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別曲の回で書いた通り、同じ音楽出版社に伊藤銀次さんがプロデューサーとしていらっしゃって、ある時ご本人の8cmシングル「涙の理由を」をいただきました。
調べてみたら、93年にキューンから、94年にはNewMixがアンティノスから出ている。
私がいただいたのは、アンティノスの方かな。

大学1年か2年の時。池袋の音大生用マンションの部屋で、いい曲だなーと思って聴いていました。
「Oh Dear」は、この銀次さんの曲に影響されています。
曲調も歌詞の内容も全然違いますが、出だしのメロディの雰囲気や間が似てると思うので、もし良かったら聞き比べてみて下さい。

他の音楽にどう触発されるかっていろいろだと思うんですが、私の場合は内容を模倣することはまずなくて、ムードをもらってくる感じです。
「好き」「素敵」などと感じた、その曲の‘音楽の魔法’的な部分が、自分の新しい曲作りのインスピレーションになってくれます。
コード進行や歌詞の表現が参考になることはもちろん沢山あるけれど、単純に「よし、このコード進行で曲を作ろう」みたいなのはあまりないかな。
一度自分の栄養にして、形がなくなるくらい消化してからじゃないと、表面的な真似はつまらない。
テクニックとか理屈からスタートするのも、テンション上がらないんです。
それは作詞家として書く時も同じ。
いつでも‘音楽の魔法’スタート。それは自分のため。
音楽の神様と自分の約束事みたいなものかもしれないです。

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「Oh Dear」はINAX「かべ美人」のTVCMソングに採用していただきました。
「かべ美人」って、家のリフォーム商品なんですけれど、この歌、家を砕いて後悔しちゃってる歌詞なんですよね。笑
大丈夫なのか?!と思いますよね。笑
この曲をプレゼンしてくださった恩人であり、その後ナレーションのお仕事等でも大変お世話になっている三田さんによると、やはりこの歌詞の表現で結構迷ったとのことでした。
でも最終的には全体的な意味も含め、やはりこの曲の力が強いなと思いプレゼンに出してくださり、決まったということでした。
ありがたや。

CMでは、家の前に集合した家族の写真が次々出てきます。
『いつかは巣立ち、いつかは帰ってくる この子たちのために。』『タイルで、リフォーム かべ美人』。
歌詞は2ブロック目の「Oh Dear もしも 家の中に 僕の好きな花が咲いてたら〜」からの部分が使われていました。
ギリセーフかな。笑
でも、歌もじっくり聞いてもらえるCMだったし、温かい雰囲気がとても良くて、嬉しい限りのタイアップでした。

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この曲はピアノ弾き語りで、1st.Albumのタイトル曲です。
自分でアルバムタイトルに決めた記憶はないので、スタッフの会議で決まったのかな。
でも、本当にベストな選択だったと感謝しています。

サウンドプロデュースは、「夏気球」(8cmシングル/アルバム弾き語りver)と同じく、石川鉄男さん。
多分、ピアノと歌を一緒に録ったと思います。


改めて歌詞を見てみると、すごく普遍的なことを歌ってるなーと思います。
整合性とかストーリーとか、感覚でバランスは取っていたけれど、あまり論理的に整理しようとはしていなかったと思います。
そのせいか、「Oh Dear〜」で始まるブロック以外は、いい意味で飛躍しています。

「Oh Dear〜」で始まるブロックがAメロ、「ほら〜」「ねえ〜」のブロックがサビ、「僕たちは〜」が大サビ、と一般的には呼ばれるのかな。
でもいわゆるJ-popの、サビが一番強い構成ではないですね。
Aメロがサビみたいなものというか、Aメロが一番印象に残る曲かと思います。
確かにサビはサビで熱いんですが。


歌詞は、「許し」じゃなくて「赦し」の方の「ゆるし」がキーワードかな。
英語だと、permission(許す)、forgiveness(赦す)の違い。
君は僕を赦した;まるごと受け入れた、責めなかった、という感じでしょうか。
「赦し」というとキリスト教を連想するかもしれないけど、特に宗教的な意味を込めたわけではありません。

良かれと思って取り返しのつかないことをしてしまい、後悔している「僕」。
それを赦してくれた「君」。
赦されたことで、自分が台無しにしてしまった「あのときの花」をそっと飾り、前を向くことができた「僕」。
抽象的なので、自由に捉えてもらえたらと思いますが、

例えばもしその花が「愛」だとしたら、「僕」は「君」に赦されたことで、本当の愛とは何かを知った。
そしてきっと、「僕」からも誰かに愛が連鎖していくことになった。

でももし、家を壊したことを責められたとしたら?
「僕」は、自分を責め続け、他の人や世界に愛を伝えることもなく、ただただ俯いていたかもしれません。


2番サビで、
「ねぇ 素直になるほど
許せないことが増えるね
ひとつだけ願ってること
愛をなくさないこと」
と、permissionの方の「許す」が出てきます。
他人に対して「僕」が‘許せない!っていう気持ちになった時に、君の赦しを思い出す。
そして、愛をなくさないことを自分に誓う。
僕も、君のように、「許せなくても、赦す」努力をしようと思うのは、あの時君が赦してくれたから。


また、ちょっと違う角度からの話になりますが、「僕」は真面目なんだけど、アタマが固くて型にはまって、自分の考えを他人に押し付けるようなことをしてしまった。
でもそれは、‘絶対’ではなかったことを思い知ります。
この、‘型に嵌まる’ ‘自分の考えしか認めない’ ことによる後悔は、大サビの「僕たちは 愛のかたちを 探しているから 深く傷つく」と結びついてゆきます。

今、ネット社会になりSNSで自分の考えを発信しやすくなって、白か黒か、善か悪かと、どちらかに決めつけて攻撃するような姿勢をよく見かけます。
グレーゾーンが許されないような風潮も感じます。
でも、見方を変えれば善が悪、悪が善になることだってある。
常にそういう視点も持っていないと、危ないなと思っています。
この歌のテーマはそういう話とも繋がるかもしれません。

この歌は、何か特定の出来事があって書いたのではありません。
当時、なんでこういうテーマを書いたのかわかりませんが、いつも真実を書きたい、真実しか書きたくないとは漠然と思っていました。
もちろん今も、真実だけを書きたいと思っています。




大塚利恵の歌解説vol.7「ウワサの僕」

2020-09-01 17:45:01 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.7は、3rd.シングル「夏気球」(98年10月31日リリース)のカップリング曲、「ウワサの僕」。
1st.Album「Oh Dear」にも収録されています。

ウワサの僕

作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:笹路正徳

引っ越した君が
手紙もくれないで
僕のウワサを
流している

僕は君の友達で
君は僕の親友だって

昔の僕は
自信ばかり食べて
太ってたことも
君だけが知ってる

離れた君のところにも
たまには僕のウワサが
着くんだろうか
それでもきっと君は信じないよ
君の知ってる僕以外は

お願いだから
これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の姿は見えるの

手紙を出しても
会いに行っても
僕だってことに
気付かないんだから

僕をつくってばかりいないで
ときどきは僕のところに
遊びに来てよ

ウワサの僕の正体は
僕のウワサがつくったものさ

お願いだから
これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の姿は見えるの

好きな色も
好きな人も
みんな変わったのに
君のなかでは
あの頃のままの
僕だけが生きてる

これ以上これ以上
ウワサはしないで
君の街からも
僕の心は見えるの





この曲は、作った時の状況を覚えていません。
多分、高校生の時に実家で作ったのかな。大学に入ってからのような気もするけど。

茨城から東京へ、時々ソニーのSD制作部(新人開発部署)を訪れて、担当だった山下さんにカセットテープに入れた新曲を聞いてもらっていたのだけど、オーディションの後は他のスタッフさんにもダビングして持って行っていたんです。それと、仮契約していたSMAにも。
いつもテープを何本か携えて上京していました。
オーディションでは最年少で、小僧みたいだったので「りえぞー」って呼ばれて、みんなに可愛がってもらっていました。
担当ではなかったけれどごはんに連れて行ってもらったり、新曲を聞いてくれていたスタッフのお一人が、「ウワサの僕」をすごく気に入って口ずさんでくれて、嬉しかった。
一生懸命どの曲も作り上げてはいたけれど、いつも不安でピリピリしていた私は、認められたくて褒められたくて仕方なかったんです。

私は中学が私立の女子中、高校は県立の元男子校と、全然違う環境に飛び込んだのだけど、中学の友達に久しぶりに会って話して感じたことがこの歌詞のベースになったと思います。
書いていると色々思い出しますね。
記憶だから、全てが定かではないけど、とにかく思春期の曲には間違いありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜
「あなたってこう」と一度焼きついたら、その人の中ではなかなか変わらないことがある。
自分はこんなに変わり続けてるのに、と辛く感じることもある。
だからあの頃のこととか、いつまでも言ってるのはやめてよ、前に進ませてよ。
懐かしさとか、変わらなくてホッとするとか、そういうのももちろんわかるけれど、それはまた別なんだ。
本人が前に進むのを阻むようなことって、一体誰の何のためになるの。

けどそれはこちらの勝手な思いであって、忘れてと言って忘れてもらえるものではない。

「君のなかでは あの頃の僕だけが生きてる」ようなことが何層にも重なって、逆に「僕のなかでは あの頃の君だけが生きてる」ことだって沢山あって、人生はできていると思います。
ポジティブにも、ネガティブにも。
過去の自分が誰かの中で生きてることが嬉しいこともあり、煩わしいこともあり、何だか切ないこともあり。
うまく言えないけれど、この曲で描きたかった感情は、良い悪いじゃないってことは確かです。
それに、「君のなかでは あの頃の僕だけが生きてる」ことを受け止めつつも、やっぱり変化し続ける自分を生きていく、ということかなと思います。
結果、君とはもう会えないかもしれないし、またピタッと繋がるかもしれない。全ての可能性を決めつけない。
でも決して、「お前なんかサヨナラだ」と振り切っていく生き方ではない。
本当はそういう生き方の方がラクなのかもしれないけど、豊かではないと思います、きっと。

面倒臭いよね、人って!
そして面倒臭くて愛おしい。

〜〜〜〜〜〜〜〜
この歌詞には「僕」「君」という人称がたくさん出てきます。
歌詞で人称を使う時は、必要なところだけ最低限、と生徒さんには教えるのですが、この曲の歌詞はちょっと特殊かもしれないですね。
ストーリーっぽくて。
でも、人称が多いけど、必要最低限にはなってると思います。
ストーリーを語るために、必要なところに必要なだけ使ったら結果多かったという感じ。

デビュー前に、南青山MANDALAでライブをした時、この曲を歌ったのですが、僕が君か君が僕か、途中でよくわかんなくなっちゃって、噛んでしまったことがありました。
ライブなんてどういう意識でやればいいのか、全くわからないままやっていたから、アップアップして混乱したのかもしれません。
何をやったら喜ばれ、どうだったら怒られるのか、当時のプロデューサーさんの機嫌を伺っていた気がします。
お客さんのためとか自分のためとか、音楽そのもののためとか、一番大事なことに思いを馳せることもできず。

〜〜〜〜〜〜〜〜
ソニーの音楽出版社の預かりだった頃、プロデューサーさん2人と飲みに行って、この曲の話になりました。
その時、私の担当じゃないプロデューサーさんが、「りえちゃんの曲の中で、俺はあの曲だけは嫌い。認めない。」とおっしゃったんです。
歌詞が後ろ向きだからとか、過去にこだわっているのは俺は許せない、みたいな理由だったかと。
でも、全然そういう歌詞じゃないんだけどなーと思って聞いていました。笑
解釈って人それぞれなんだな、と。
何かがその人の中で引っかかって、そういう風にしか聞こえなくなってしまったり。
歌は印象もとても大事だし、直感的に受ける印象はスルーしてはいけない真実だと思う。
けど、その人の歴史や考えあっての、個人的な印象は別です。フィルターがかかっているから。
プロの音楽プロデューサーさんでもそうなんだと思って、ちょっと驚きでした。
個人的な感想として言っただけかもしれないですけどね、担当じゃなかったから。
その後、こと作品の良し悪しに関しては、あまり人の言うことを聞かないようにしようと決めました。キリがないから。笑

〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、「ウワサの僕」は、笹路正徳さんがアレンジをしてくださいました。
木管楽器の音色が本当にこの曲の世界観にぴったりでしょう?!
イントロのメロディは、もともとピアノ弾き語りの時弾いていたフレーズが使われています。
スタジオでは、「日本昔ばなし」が始まったみたい!と誰かが言っていた記憶が。
笹路さんが書いてくださった間奏が大好きです。言葉よりも雄弁で、いろんなことを含みながら、歌詞の思いを膨らませてくれている。

この曲も「さかなの夜」などと同様にあまり音域が広くなく、私の曲の中では歌いやすい方です。
ストーリーを語るのに、曲があまりにドラマティックだと歌詞が聞こえにくくて、バランス悪いですからね。
自然にこういう穏やかな曲になったのだと思います。

これはアルバム「Oh Dear」の歌詞カードです。


シングル用、アルバム用、カップリング用、と意識して曲作りしていたわけではありませんが、「ウワサの僕」はカップリング然とした曲かもしれませんね。
陰陽で言えば陰的な。
もしこの曲が好き、深く共感するという方がいたら、ぜひ詳しくお話を伺ってみたいです。
共感してもらえるにはきっと背景があると思うので、そのストーリーを聞きたいな。