彩彩日記 作詞家/シンガーソングライター 大塚利恵のブログ

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大塚利恵の歌解説vol.6「玉子ごはん」

2020-08-25 11:26:48 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.6は、2nd.マキシシングル「涙のカギを開けて」(98年9月19日リリース)のカップリング曲、「玉子ごはん」。
1st.Albumまでの曲は、だいたい10代の時の曲です。

玉子ごはん
作詞作曲:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵


やけどするほど あついうちに
ごはんに混ぜて 口にはこぶの

楽しい朝も 悲しい朝も 考えないで
なるべく安い 玉子を割るの

捨てられた約束 忘れられた言葉
愛された玉子の
ぬけがらが積もっていく

また今度ね 今度っていつ?
涙がでるわ
分からないけど 分からないから
とにかく今日も 始めなくちゃ

子供のうちに 覚えた味は
何より上手く 体に溶ける

立派な人も 転んだ人も 思い出したら
なるべく早く 食べたくなるの

自信ならあるけど 不安は消えないわ
大好きなひととき
それだけがわたしのもの

また明日ね 明日ってどこ?
たくさんあるわ
数えてみても 数え切れない
とにかく今日も 玉子ごはん

「また今度ね」今度っていつ?
「また明日ね」明日ってどこ?
「またいつかね」いつかっていつ?
遠くて見えない
分からないけど 分からないから
とにかく今日も 玉子ごはん



上京してすぐに作ったと思います。
プロデューサーさんのところに持って行ったけれど、反応はまあまあだったかな。
当時の周りのスタッフも、「他の曲ほどは良くないけど、まあ、ね。」くらいな感じでした。
多分、他の曲のデモよりも最初から完成度が妙に高かったのが、つまらなく感じられたのかも。
思春期的な、未完成だけど何かありそうな、不思議なバランスの曲が沢山あったので。

新曲を作って持っていかなきゃ、と焦りながら池袋の部屋のピアノに向かい、ワーっと作り上げた記憶があります。
テーマがどうとか何も考えていなくて、歌詞も含め勢いで、感覚で書いたと思いますが、たまたまカチッとすぐまとまったんでしょうね。
後から直したのは、一番の最後「始めなくちゃ」のところだけです。
最初はここも「玉子ごはん」だったんですけど。
レコーディング前に、ディレクターの熊谷さんに指摘されて、確かに、と思って。

そう、当時の曲作りは、頭じゃないエネルギーを使っていたような記憶があります。
だって、テーマも把握してなくてこういう曲ができているって、不思議じゃないですか?
「降りてきた」とかよく言いますけど、そうではないです。そもそも、降ろそう、降ろしたいという思いがないと降りてこないし。
『どうしてもこの思いを曲にしたい、でもいつでもいいんじゃなくて、今じゃなきゃダメなんだ!』
と、自分で自分を追い込んだ時に、クンダリーニと言ったらおこがましいけれど、お尻の下がムズムズして、ウワーッと創作に向かう強いエネルギーが出てくる感じ。
それが、私に限らず、思春期の曲作りの秘密なんじゃないかと思ってるんですけどね。

「玉子ごはん」は、そんなわけで、もしデビューの際にスタッフが入れ替わらなければ、リリースされなかった可能性が高い曲です。
今となっては、出せて本当によかった。
気に入ってくれる方も多く、カバーしてくれる人もいたりして。自分でもとても好きな曲です。

逆に、デビュー前のライブではいつも歌っていたのに、リリースしなかった曲もあります。
理由は忘れちゃったけど、1st.Albumに向けて選曲した時に、自分で選ばなかったのかなあ。
2nd.に入れようと思っていたのかも。
でも結局、新たに曲作りすることになっちゃったので、1st.Albumまでにピックアップしなかった古い曲は、そのままになってしまったんだと思います。
自分の中でも時が経ち過ぎて、いろんなことがあり過ぎて、もう古い曲はいいや、ってなってた部分もありましたし。
思い起こすと、出したかった曲も結構ありました。
タイミングですね。

自分のオリジナル曲は、歌詞先行で、途中から曲と同時進行に作ってゆく、とこないだ書きましたが、その方がメロディが面白くなるんです、私の場合は。
逆に、曲先だと自分でつまらなくなっちゃうことが多くて。
「玉子ごはん」も、曲先だったら思いつかなかったメロディだと思います。
というか、素のメロディだけではいい曲なのかどうか判断がつかなかったと思います。
特にサビとか。

まるで他人の曲のように、解説してみようと思います。
日常の象徴としての「玉子ごはん」。歌詞によく出てくる食べ物だと、「トースト」とかと同じ感じですかね。
ただ、玉子ごはんは日本ならではで、ちょっと懐かしいし、かっこつけていない感じかな。
タイトルが「玉子ごはん」って、可愛い印象を受ける人も多いかもしれないけれど、とてもリアルなモチーフだと思います。

うまくいかないことや叶うかわからない希望、約束、いろんなことに立ち止まってしまいそうだけど、とにかく一歩ずつ前に進んでいく。
淡々と日常を生きながら、慈しみながら、日常の中の大好きな瞬間を糧にして。
当時、いつデビューできるのかなとか、なかなか進まない状況に悶々としていた気持ちも反映されていると思います。

私の歌は、だいたいどの歌も、時が経って歌っても違和感はありません。
普遍的なことや真実しか書いていないし、特に古くなる要素もないので。
自分の中では古くなった感じや、これはもう歌えないな、という感じはしたことがないです。
特に「玉子ごはん」は、初期に多かった「僕/君」ではなく「わたし」の一人語りだし、おばあちゃんになっても自然に歌えそうな気がします。


大塚利恵の歌解説vol.5「さかなの夜」

2020-08-24 10:26:22 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.5は、2nd.マキシシングル「涙のカギを開けて」(98年9月19日リリース)のカップリング曲、「さかなの夜」です。
茨城の高校時代に作りました。17歳くらいかな。


さかなの夜
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり


すごい風やめて
聞こえない
崩れる 倒れる なくなる

せせら笑う
サヨナラ!!

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

ウロコだけとって焼かないで
乾いた 開いた 亡んだ

口を開ける
オイシイ!!

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう

ビンの中で泳ぐのは さみしい
透き通る世界が 恋しい

試されるコト
食べられるコト
みんな みんな ないところへ行こう



実家は北茨城市平潟町(ひらかた)というところで、平潟港という漁港のそばです。
小さいけれど、由緒ある港です。
にも関わらず、私はもともとそんなに魚介類が好きというわけではありませんでした。
食べられない種類も多く、生魚は食べられなくて、寿司屋ではイクラとたまごばかり食べてました。
上京してお酒を飲むようになってからは食べられるものが増えて、お寿司屋さんも楽しめるようになりました。
「歳をとるとどんどん肉より魚の方が好きになるよ」なんてよく言われて、そうかなと思ってたんですが。
30歳くらいで味覚が変わり、魚のにおいが全く受け付けられなくなってしまいました。
少し魚介類をお休みして様子を見ようかなと思っていたら、そのまま食べられなくなってしまい、今に至ります。
海藻と出汁(あんまり本格的じゃないもの)、かまぼこは今の所好きですが。
大人になってからは、美味しいと思えないものは栄養も吸収されにくいから無理に食べなくて良いという話もあるので、まあいいかなと思っています。
でも、「さかなの夜」なんて曲があるのに魚が食べられないの?!と驚かれたりはしますね。

好き嫌いがあると、定期的に誰かに言われるのが、「えー?こんなに美味しいのに食べられないの?かわいそう!」
です。笑
で、「アレルギーなの?」と聞かれて、そうじゃないと答えると「わがまま」として見られる。
食べたくても食べられない理由って様々だと思うし、本人辛いんですけどね。
レストランでも旅先でも、いちいち「ごめんなさい」と食材変えてもらって。

それで、「あなたは嫌いなものないの?」と聞き返すと、だいたい
「らっきょう。あんなの食べ物じゃない」とか言うわけです。笑
おかしいよね。
私は魚が食べられないことを残念に思ってるし、自分の嫌いなものを「食べ物じゃない」という感覚の方がよっぽどかわいそうに思います。
らっきょう農家さんに謝れよ、と。笑

そんな話はともかく、「さかな」がモチーフになったのは、間違いなく、私が港町出身で、魚がとても身近な存在だったからです。
実家は電気店で、漁船の電気まわりなどが専門です。
港に船が入ると深夜1時とか2時にでも電話がかかってきて、父はそれに対応していました。
いつも近所の漁師さんが、獲れたての魚をバケツに入れて持ってきてくれました。(今も、実家はそんな感じです。)

でも、身近なんだけど、なんか魚って色や模様や造りが不思議だし、目が怖い。
思わず敬語で話しかけてしまいそうな雰囲気を持っている。
「すいません、捌きますね。」
大人しく捌かれて食べられているけど、本当は深遠な世界観を持ってそう。
達観してるのかも。
そんな私と魚の距離感が背景にある歌詞かと思います。

もちろん、魚は比喩、擬人法的になってるのだけど、そんなことはまあどうでもいいかな。笑
ある晩、魚になった夢をみて、でも心はヒトのままで、泳ぎながらいろんなことを思った、みたいな。
そんな感じです。

アレンジ/ピアノは福原まりさん。
まりさんの発想はとてもユニークで、この曲のアレンジも本当に面白いしかっこいい。
それでいてクセになる、不思議な心地良さ。
トロンボーンが入っているんですが、1音だけ「プッ」ってなるところとか、音域が難しい箇所もあって、レコーディングでトロンボーンの松本さんが苦労されていた記憶があります。
参加ミュージシャンも個性的な方ばかりでした。さすがまりさんチームって感じで。


間奏の、デニスさんのE.ギターのレコーディングも、アイディアがぶっ飛んでいて面白かった。
これは1st.アルバム「Oh Dear」の歌詞カード。


ミックスしてくださったのは、赤チンさんこと、故・赤川新一さん。
このチームとは別に、デビュー前にもお世話になっていたので、CDでご一緒できて嬉しかった。
ライブで演奏してもらったり、ずっと親しくしていただいているアコーディオンのサブちゃん、田ノ岡三郎さんの作品でもCo-produce/Recording/Mix担当されています。
サブちゃんの最近の作品を聴いていて、赤チンさんの音が素晴らしくて、できれば新しいスタジオに伺って相談したいこともあったのだけど、叶わず残念でした。
皆さんもぜひ、サブちゃんのCD聴いてみてくださいね。

「さかなの夜」は、ポエムみたいな歌詞。
ポツリポツリと間が多くて、その間がとっても大事で。
私の曲は歌うのが難しい曲が多いので、こういう曲は歌入れの時、気楽でした。

アウトロはフェードアウトしていきます。
魚が泳いで、遠い世界に消えてゆくみたい。
フェードアウトが似合う曲ですね。

大塚利恵の歌解説vol.4「涙のカギを開けて」

2020-08-23 10:32:04 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.4は、2nd.マキシシングルの表題曲、「涙のカギを開けて」です。
98年9月19日リリース。

涙のカギを開けて
作詞作曲:大塚利恵 編曲:笹路正徳 大塚利恵

あーあ 会えてよかったなんて
あーあ きっと一生言わない
似合わないって言われる前に
カギをかけよう いつものように

あーあ 好きと言うためのカギは
あーあ 今もかくれんぼのまま
絶対言わない 死んでも言えない
泣かないように 泣かないように

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中で いちばん悲しい 本も映画もいらない

あーあ 今日もカギ穴の跡を
あーあ あなたの絵の具で消したよ
得することはなくてもいいけど
泣かないように 泣かないように

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中の 誰も出来ない 恋や迷路はいらない

わたしが無理してること ひとつも気付いてないし
わたしが空を飛んでも 何にも言わないくせに

笑わないで お願いだから 涙のカギを開けてよ
世界中で いちばん悲しい 本も映画もいらない

世界中に響きわたる 夢や飾りはいらない
世界中で いちばんキレイな 思い出なんかいらない





アレンジ・プロデュース、ピアノ 笹路正徳さん(この曲も弾き語りのピアノアレンジがベースになっているため、私も共同アレンジでクレジットされています。)
E.ギター 土方隆行さん
A.ギター 吉川忠英さん
ベース 美久月千晴さん
ドラム 渡嘉敷祐一さん
ストリングス 金原千恵子ストリングス

みなさん言わずと知れた大御所なんですけど、当時は笹路さんはじめほとんどの方が今の私くらいの年齢、または年下。
なんだか信じられません。
当時もすでにものすごい巨匠でしたから。

ユニコーン、プリンセスプリンセス、スピッツ、、たくさんのアーティストのプロデュースをしている笹路さんのスタジオは、「笹路学校」と呼ばれているとのことでした。
実際、作業をしながらたくさんのことを勉強させていただきました。
ヴォーカルのレコーディングでは、ヘッドフォンのボリュームをミリ単位で指定され、歌も楽器のボリュームも、笹路さん指定の大きさで聞いて歌いました。
モニターの大きさとバランスによって、歌が本当に変わるので。

MIXがあがってスタジオの卓(ミキサー)の前で聞いた時は、椅子を左右スピーカーのド真ん中に縦一列に並べて聴きました。
バスの座席みたいにみんなで座って。
私が頭をゆらゆら動かしたら、後ろからピタッと止められて、「ここで聴いて!」と。
音が変わっちゃうからですね。
笹路さんのスタジオを経験して、繊細にいろんなことに神経を行き届かせるように、意識が変わりました。

この曲だったかどうか忘れたけど、レコーディングの時、笹路さんが腰を痛めていた日があって、ソファーに横になりながらディレクションしてくださったことがありました。
書いてると色々思い出すなあ。

この曲を録っていた時、ドラムの渡嘉敷さんが咳をして、でもそのまま演奏が続いてokテイクに。
MIXされてるから絶対わかりにくいけど、ものすっごい耳を立てて聞くと、どこかに渡嘉敷さんの咳が聞こえる、、、かも?

MIXを待っている間も笹路さんのスタジオは独特でした。
エンジニアさんが作業しているその数時間の使い方までプロデュースされている感じで。
「ウミガメのスープ」をみんなでやったことがありました。知ってます??
楽しかったなあ。

ああ、そうだ、スタジオで写真を撮っておけばよかったな。
ほとんど撮らなかったので。

デビューの前後に、私は安ますみ先生のヴォイストレーニングに通い始めていました。
笹路さんプロデュースでいうと岸谷香さん(元プリプリの)他、たくさんの生徒さんを導いている先生です。
この曲もレコーディング前にレッスンして、サビで音が下がるメロディの所で下がりすぎてしまうのを修正したのですが、笹路さんが気づいてくださって嬉しかったです。
安先生は、歌のみならず、いろんな面で私の生涯の師匠です。

さて、歌の内容の話。
「あーあ 会えて」
CDの歌詞カードでは、「ああ」って書かれてますね。
でも「あーあ」にすればよかったな。

「一生言わない」「似合わない」「絶対言わない」「死んでも言えない」「泣かないように」「笑わないで」「本も映画もいらない」
と、この歌、否定形の歌ですね。
強い気持ちを伝えたい時、否定形の方が伝わることが多いので、感覚的にそうなったんだと思います。
それにしても見事に否定否定否定だなーと、改めて思います。
「否定系」ってことにしましょうか。

恋愛なんてうまくいった試しがなくて、だからこういう歌になったのかも知れないですね。
そしてこんな風にいちいち重くて哲学するから、うまくいかなかったんでしょうね。笑

ジャケットは、茨城のゴルフ場で撮影しました。
茨城は地元ですが、実家からはかなり遠い場所だったので、南か南西の方かな。
確か雨上がりだったと思います。9月リリースなので夏の撮影だったはずだけど、割と肌寒くて。
撮影中にお弁当をがっつり食べ過ぎて、ぴったりしたタンクトップのお腹のところがポッコリ目立っちゃって、
「一本、(腹の)線、消しといてもらったよー」ってマネージャーさんに言われた覚えがあります。
ま、どうでもいい情報ですけれど。笑
丸いピアノは黄色くなって再登場。
これは前回シングルの水色のまま撮影して、PCで色を変えてます。

PVは女性のストリングス・カルテットと、撮影スタジオで。
確か、自然光を利用したりして、ナチュラルな感じだったような。
これまたビデオ紛失していて長いこと見ていないのですが。

他の方に提供した歌詞ならきっともっと色々語れるんですけど、オリジナルの歌詞はどうしても、「書いてある通りです」という感じになっちゃうなあ。
何か質問がある人、もしいらっしゃったらぜひ連絡くださいね。

大塚利恵の歌解説vol.3「体温計」

2020-08-22 12:46:25 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.3は、デビューマキシシングルのカップリングで、1st.Album「Oh Dear」にも収録されている「体温計」。
19歳くらいで書いた曲です。
ソニーの出版社のプロデューサーさんに、新曲を毎週書いて持って行く→ご褒美にご飯を食べさせてもらう、ということをしていた時期。

体温計
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵


あなたの肌に
触れてはいても
温かいことしか分からない

だからいつも
カバンの中に
体温計がひとつ

いつかあなたに手渡して
返ってきた
赤いメモリを見てみたいの

あなたの為に
笑ってみても
似合わない顔が映るだけ

それもやがて
柔らかくなって
愛がにじむといいな

いつかあなたの体温が
わたしの隣で
少しずつでも変わるといいな

手紙でも 電話でも
優しさは感じてるけど
心だけ計れない
大切に思う程

あなたのことを知れば知るほど
何かを失うような気もするわ

もしもこのまま
計り切れるなら
体温計は捨てて

いつかあなたは気付くはず
わたしの心に
ずっと住んでた
ウソとホント
どんなふうにあなたに
手渡そうか
わたしの体温計



■1st.シングル「いいよ。」の歌詞カード



■1st.アルバム「Oh Dear」の歌詞カード



この歌は、結果として恋愛の歌ですが、恋愛ソングを書きたいと思って作り始めたわけではないと思います。
どんなに愛し合っている相手でも100%同じ感覚には絶対になれない、自分の思うようにもならない。
自分の中の、びっくりするような内なる冷酷さに気づいて、私はこの人と一緒にいる資格なんかない、、と、愕然とすることもある。
そういうことをわかった上で、一緒にいることを選ぶ。
心と心が響き合い一つになる瞬間を信じて、宝物みたいに集めてゆく。
恋愛だけの話じゃありません。

実は最初は「体温計」じゃなくて、「体重計」だったんです。
何か、計るもの、、と思ったら体重計かなと思って。真剣に。
なんか色気がないと気づいて変えたんだと思いますけど。
でも、作詞する時は、「いやいや、体重計はないだろ」っていう風に、最初から決めつけないようにはしてるんです。
どんな言葉にも、どんなモチーフにも偏見を持たないようにしている。
違和感があるようなモチーフの方が、新鮮でいい歌になることはたくさんありますから。
勝手な思い込みや先入観、他の人がどう思うかとか、書くときには毎回そういうのをリセットしてます。

この歌は童謡みたいって言われたことがあるんですけど、確かに、いわゆるJ-popの王道「Aメロ-Bメロ-サビ」みたいなはっきりした展開がなく、こじんまりとした曲です。
「手紙でも 電話でも〜」のブロックだけ、大サビというか、クライマックス的に展開します。
この部分は、アドバイスをもらって、その場で思いついてスケッチした記憶があります。

「体温計がひとつ」のところのメロディは、「ドレミソラ【ドーミレ】ラー【ド】」(【】内はオクターブ上)
1オクターブと2度の開きがあり、すごく音域が広いんです。
例えば童謡の「しゃぼん玉」も、出だしの音(シャボン玉飛んだ、のシャの音)からトップノート(「かぜかぜ吹」くな、の所)まで、1オクターブ+4度ありますね。
短いし、易しく聞こえるのだけど、実はドラマティックなメロディです。
大きな舞台のセットではなく、小さな宝石箱の中に、目一杯のストーリーが詰まっているような感じ。

お世話になっていた音楽出版社にはいろんなプロデューサーさんが所属していて、その中に伊藤銀次さんがいらっしゃいました。
私の担当ではなかったのですが、夜、青山一丁目の会社内のスタジオでプリプロしていた時に、たまたまいらっしゃって、頼んだらすごく気さくに素敵なギターを弾いてくださったんです。
銀次さんにはいつも気にかけてもらって、優しくしていただいてました。
残念ながらその頃の音源は世に出ていませんが、カセットテープかDATで持ち帰ったデモが、探せばうちにあるかも。

「体温計」って、計って数字を出す物なので、現実的なモチーフです。
嘘発見器じゃないけど、感じていることや愛を数値で計れるとしたら、とても冷酷だと思いませんか。
あなたが私を思ってるより、私の方が3割増しであなたのことを思ってるじゃないの!ひどい!とか笑。
そのモチーフを使ってこの歌で描いているのは、綺麗事ではない真実、でも人間らしいぬくもりなんだと思います。

土方さんのアレンジで、アコースティックギターがメインですが、イントロやアウトロの「レドレドレドレド…」というギターのリフは、もともとピアノで弾いていたものです。
ただの「レドレド」なんですけどね、なぜかこの歌には欠かせない要素だったみたい。土方さんに拾ってもらえて嬉しかったです。
リフも、何か感情を表していたりします。
あなたはどう感じますか?もしよかったらそんなところにも注目して聞いてみてください。

大塚利恵の歌解説vol.2「夏気球」

2020-08-21 11:21:03 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

vol.2は、デビューマキシシングルのカップリング「夏気球」。
その後、アニメ「ポポロクロイス物語」の主題歌になり、別ヴァージョンがシングルでリリースされました。
さらに、1st.album「Oh,Dear」にはピアノ弾き語りver.が収録されました。
つまり3バージョン、リリースされています。

夏気球

動かない空の下で
君の瞬きが見えた
早くマウンドへ上がろう
かき氷のようないろんな気持ち持って

誰よりも自由に
夢もためらいも
いつか君の背中が
曲がらないように

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

あんなに時間をかけて
分かったのはこれっぽっちさ
ケンカは殴るだけじゃない
たまに君のような奴に恋もしてみるさ

カラフルな気球から
僕が手を振ってる
行き先もそれからも
分からないままで

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

まわりまわる時の中で
何もまともに見えない
負けて泣いて立ち直る
君の速さについて行こう、なんて

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って

どこまでも連れて行ってよ
夏気球に乗って



この曲はいろいろといわく付きで。
デビュー前にレコーディングを鬼ほど繰り返していたのは、特にこの曲なんです。

元々は、高校2年の秋、93年の「Voice2」という、ソニーのヴォーカリストオーディションの本選で歌った曲です。
予選に通り、本選までの間にできた曲。
何度か市ヶ谷のSD制作部(ソニーの新人開発部署)へ、担当ディレクターだった山下さんに会いに行っていたのですが、会社のスタジオのアップライトピアノで弾き語りを聞いてもらった時に、「この曲いいじゃん。本選はこれにしよう。」と言ってもらったんです。
のちに山下さんが、私が「入道雲」というサウンドの悪い言葉を、「夏気球」と表現したことに驚いたとおっしゃっていました。
そっか、これ入道雲だったのか、なるほど!と、これまた感覚で作っていただけの私は自分で気づいていなかったのですが笑。

その夏、ピアノのレッスンと被って母校の高校野球の応援に行けず、自分の部屋でラジオで試合中継を聞いていました。
ブログなどに何度か書いたことがあると思うけれど、その時にできた曲。
だからマウンドとかが出てくるんです。

無我夢中で生きていた夏のド真ん中の、言葉にならないようなたまらない一瞬に、永遠にとどまりたいような、そんな気持ちかな。

オーディション本選は、渋谷OnAir(今のTSUTAYA O-EASTになるのかな?)で行われて、ソニーのディレクターさんはじめ、業界の人ばかり何百人かが客席に座っていて。
グランドピアノで、弾き語りしました。
ライブ経験もなかったから、逆に気負うこともなかったけれど、うまく歌えたのかどうかもよくわかりませんでした。
オーディションの日は初めて高校を休んで、東京のホテルに泊まって、初めて打ち上げというものも経験して。
翌日、水戸の学校にまっすぐ登校する予定だったのですが、サボって東京で遊んで帰って、両親に怒られました。

Voice2は大きなオーディションで、応募者数11,470組。本選出場が16組。
仲良くなった出演者とはその後も長く連絡を取り合っていました。今でも親しい人もいます。

これ、オーディション資料です。
もう時効ってことで出してもいいよね。


オーディションでは、特に何か賞をもらったわけではありません。
歌には自信がなくて、でも作品にはすごく自信があったと思う。
作家(作曲家か作詞家)としていくつか声をかけてもらったみたいだったけれど、やはりシンガーソングライターとして声をかけてくれたところに行くべき、りえぞーは歌わないと、と、担当の山下さんがSMAという事務所に繋いでくださって、上京するまでそこで預かってもらってたんです。
当時の若松社長が声をかけてくださったのだと思う。いわき出身の方で、私と故郷がお隣だったので訛りが一緒で、親近感を持った覚えが。

もう一方、オーディションを見てすごく気に入ってくださったのが、のちにお世話になる音楽出版社の社長 小栗俊雄さんでした。
多分、小栗さんがいたので、そちらに移ることになったのかな。記憶が曖昧だ。
とにかくこの「夏気球」を絶賛してくださってました。

ものすごくいろんな大人の人に会いました。
当時の業界は夜な夜な飲みに行くことが多かったので、私も美味しいお店によく連れて行ってもらいました。
それが良いことだったのかどうかはわからないけど。
いろんな人とお話できたのは貴重だったな。話し下手で世間知らずだった私は、皆さんの会話を聞いているだけで勉強になった。

「夏気球」はデビュー前に、何度も歌詞を書き換えたんです。プロデューサーさんの意向で。
でも一年以上それをやって、結局元の歌詞に戻りました。
直して直して直しまくって、他の作家さんに直してもらったこともあった。
何が正解でどこまでやればokが出るのか、なんのためにやっているのかもわからなくなった。
そして、最後には、やっぱり元の歌詞がいいね、ということになりました。
今の私なら一瞬でその結論を出すけど笑。

歌詞って、意味だけじゃないんですよね。
サウンドの一部でもあるし、何か文字を超えた力が必ず働いている。
だから、良かれと思って一文字いじったことで、全部のバランスが崩れてしまうことがある。
この曲は、特にいじっちゃダメなバランスだったんだと思います。

TVでは、アニメ用に一部歌詞を書き換えたバージョンが流れていました。
それはアニメの世界観と繋がるためなので、ポジティブな変更でした。
でもリリースしたのは元の歌詞のままです。

「夏気球」3つのバージョンをご紹介していきます。

まず1つめ、デビューマキシシングル カップリングとして収録された「夏気球」。
アレンジは土方隆行さん。土方さんらしい、ギター中心の洗練されたホッとするアレンジ。
弾き語りのピアノアレンジがベースになっているので、私も編曲者として共同クレジットされています。
そうそう、初期の作品では、私はピアノを弾いていないんです。
もし、なぜ?と聞かれたら、こう答えるかな。
とんでもなくプロフェッショナルなバンドの中で、弾き語りレベルの私が弾くと、良い意味でも悪い意味でも浮いちゃうんです。
ピアノが妙に主張しちゃうから。
つまり歌をちゃんと立たせるためだったと思います。
99年の「東京」からはレコーディングでも弾いていますが、それはメンバーも変わりバンド感を出したかったし、ピアノもちょっと上達していたからです。

この「夏気球」のバンドメンバーは、表題曲「いいよ。」と基本的に同じ。
ギター土方さん、ベース美久月千晴さん、ピアノ小野沢篤さん、ただドラマーは「夏気球」だけ違うんです。
故・青山純さん。
「いいよ。」「体温計」のドラマー渡嘉敷祐一さんのスケジュールが空いていなかったから青純さんという、とても贅沢な理由だったと思います。今思うとびっくり。ね。
渡嘉敷さんの、感情を押し上げてくれるようなグルーヴィーな演奏に対して、青純さんのドラムはタイトで必要最低限の音しかないのに、パーッと美しく景色が広がるような感じでした。このお二人に叩いてもらってるなんて、本当に贅沢なデビューシングルです。

2つめ、同じく98年秋に、今はなき8cmの‘短冊’シングルでリリースされた「夏気球」。

アレンジは石川鉄男さん。
アレンジャー・マニピュレーターの石やんには、デビュー前のデモ制作期間にもずっとお世話になっていました。
「りえぞー、俺のPCに、夏気球のデータなら何百個も残ってるよ。」
と、数年分の試行錯誤の集大成のような、でも奇をてらった感じではなく、まっすぐなアレンジに仕上げてくださいました。
私にとっては、この曲の歴史を知り尽くした石川さんにアレンジを担当してもらうことで、デビュー前後ガラッと変わった自分の環境を繋いでもらえたような感じでした。
私を納得させるための采配だったのかも知れない。
急に一緒にいる人が変わったし、デビュー前の苦労は無駄だったの?となってしまってはやりきれなかったし。
もしそうだったとしたら、気を配ってくださった熊さんはじめ、スタッフの皆さんにただただ感謝です。
気心知れた石川さんとの作業で、スムーズだったと記憶しています。

3つめ、1st.Album収録の弾き語りver.も、石川さんプロデュースです。
もうこの曲はやり尽くしたよねと笑い合いながら、でもしみじみしながら、リラックスして、するっと良いテイクが録れたと思います。
本当に弾き語りで、ピアノと歌を同時に録りました。
テンポキープのためのクリックは使ってなかったのですが、何度やってもぴったり秒まで同じタイムになりました。
もちろん狙ってません。なんか染み付いたものがあったんでしょうね。

「夏気球」が世に出たことで、私は大きな肩の荷がおりた感じがしたことは確かです。
やっと、やっと前に進めると。

PVは、主に空撮でした。
早朝の東京をヘリで。私は乗ってませんが。
できたら乗りたかったなー。
スタジオでの撮影もあった、はず。
これまた残念ながらビデオテープを紛失していて、詳細は覚えていません。
どこかにあるかなあ。
どうしてないのかなあ。
どなたか持ってませんか?^^;

ジャケット裏側は、タイアップのポポロクロイス物語の絵ですが、これは別紙になっていて、外すと腕時計を見ている私が出てきます。
この時の髪、かなり短かったですね。何かのキャラクターみたい。

ちなみにポポロクロイスシリーズには、他にも歌で関わらせていただいています。
98年リリースのゲーム『ポポローグ』主題歌(作詞はポポロクロイスの生みの親 田森庸介さん、作曲が佐橋佳幸さん、編曲は佐橋さんと石川鉄男さん)
歌ったのはデビューのかなり前だったと思います。
大風邪をひいて、何週間も声が出なくて、病み上がりで歌った思い出があります。
時を経て、2015年には『ポポロクロイス牧場物語』の主題歌を歌わせていただきました。(作詞;田森さん、作曲;佐橋さん、編曲;石川さん)
これも石川さんが声をかけてくださり、ヴォーカルのディレクションをしてくれて。
そんなわけで、石川さんは私のデビュー前も後も、表も裏も、長きにわたり知ってくださっている数少ないお一人です。

この曲解説シリーズにはいろんな人のお名前が出てきますが、一般には知られていなくてもすごい方ばかりなので、もしよかったらググってみてください。
必ず、誰もが知っているアーティストやあなたも好きな作品に関わっている情報が出てくると思います。

あー、また長くなっちゃった!
この曲はね、仕方ないんです。笑

大塚利恵の歌解説vol.1「いいよ。」

2020-08-20 17:12:39 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介していきたいと思います♫
歌詞や曲の話はもちろん、レコーディングのことや、その頃のことでふと思い出したことなど、徒然に。
楽しんでいただけたら嬉しいです。

まずは、
1998年7月18日リリース
デビューマキシシングル タイトル曲「いいよ。」です。
配信特設サイトでは、ライターの兵庫慎司さんが、この曲のことを中心に素敵に紹介してくださっていますので、ぜひご覧ください。

初回なので、ちょっと長いですがお許しを。

「いいよ。」
作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:土方隆行 大塚利恵
ストリングス編曲:笹路正徳

僕が消えた朝
天使の羽が生えて
鏡見て笑ったよ
似合わない おかしいね

行きつけの喫茶店
なつかしい保育園
仲良しの肉屋さん
あたたかい僕の家

かなわなかった願いさえも
切ない位同じ姿で
僕に手を振っているよ

悲しみは悲しみのまま
喜びは喜びのまま
僕だけがいない

僕が消えた朝
愛しいかけら達が
僕の手さえ握らず
泣いている気がした

聞き飽きたメロディーや
叱られた時の声
好きだった噴水の
思い出と水の音
恋人は恋人のまま
友達は友達のまま
僕だけがいない

僕がつむいだ
大切なかけら達が
僕と一緒に夢になるよ

かなえられた望みだけが
相変わらず僕を照らして
星のように舞っているよ

幸せは幸せのまま
優しさは優しさのまま
僕だけがいない

もう一度生まれ変わっても
僕はもう僕じゃないから
忘れてもいいよ




デビュー曲を選んだのは私ではなく、会社の会議で決まったんです。
当時の事務所フェイスと、アンティノスレコードのスタッフの皆さんで選んでくれたのだと思います。
私、自分のこともよくわかってない、会議とかとても出られないタイプの子だったので、呼ばれなかったのだと思います笑。

デビュー曲のテーマが「死」というのは結構攻めてたと思うけど、本当にこの曲でよかったと思います。
死を真剣に考えることは、生を真剣に考えること。
死を思いながら、生を目一杯描くこと。
私が一番大事にしてることだから。

「いいよ。」を書いたのは東京音大作曲科映画放送音楽コース1年生の時だったと思う。
池袋の、大学のすぐそばの音大生用マンションに住んでいました。
管理人のおじさんがすっごく変で、留守中部屋に入られたことがあったりして、2年で引っ越したんですけどね。
引っ越しの時にも、ゴミを置いて行かせてくれなくて、意地悪されたなあ。

当時、ソニーのプロデューサーさんのところに定期的に新曲を聞いてもらいに行っていて、音大の宿題も過酷だったので、徹夜ばかりしていて、大学の近くに住んでいたのはとても便利でした。
念願の一人暮らしで、自炊もやたら張り切っていて、マンションのすぐそばにあった肉屋さんでよくお肉を買っていたんです。
お弁当や惣菜の美味しいお店で、音大の友達もよく買っていたので、私が生肉を買うのを肉屋のおじさんは不思議に思っていたみたい。
その方が、歌詞に出てくる「仲良しの肉屋さん」のモデルです。
豪快で明るい、声の大きな肉屋さん。お元気かなあ。

この曲は、当時できたばかりだった「フレッシュネス・バーガー」で、ほとんどの歌詞を書きました。
東池袋が確か2号店だったのかな。衝撃の美味しさにハマってました。
家の近くだったから、よく早朝の誰もいない時間に行って、ベーコンオムレツバーガーをぱくつき、コーヒーが冷めたことにも気付かず、何時間も鼻息を荒くして書いていました。

私は、オリジナルソングの場合は、ほとんど歌詞を先に作ります。
かっちりではなく、ぐちゃぐちゃに思い浮かぶままに書いて、どこが出だしでどこがサビとかも全く決めずに。
テーマと対峙して、潜って潜って会話していくみたいに。
そして、ある程度手応えを感じたら、ピアノに向かって曲と同時進行で作ってゆきます。
例外もあるけど、ほとんどそのパターンです。
当時のマンションの部屋にはレンタルのアップライトピアノがあって、書きなぐった歌詞のメモを見ながら、コードとメロディを探していきました。

よく、特に昔の私の曲は「ファンタジック」と言われるのですが、確かにそういう表現が多い(この曲も天使の羽が生えますしね。)けれど、自分で意識していたわけではありません。
歌は「心のノンフィクション」だと思っているのですが、それを追求していくと、ファンタジックな方が表現しやすかったように思います。
現実って、そのまま書くと感情が抜け落ちたり、そのまま書いてるはずなのに全然違ったりするじゃないですか。

さて、私がソニーのオーディションを受けたのは93年、デビューは98年なので、ずいぶん時間がかかりました。
デビュー前に、実はものすごい時間と予算を使って、死ぬほどレコーディングしてたんです。
同じ曲を何度もやり直したり、違うアレンジ、違うミュージシャンで。もちろん、私の権限じゃないですよ笑。
その時のプロデューサーさんの試行錯誤だったので、私自身はもう何が何だかわからず言われるままだったんです。

私めちゃくちゃ耐性が強いので、辛かったけど受け入れて我慢しちゃったのだと思います。
もっとスルッと、10代でリリースした方が健全だったと思うのですが。
でも、誰かを恨むことはもちろん、しっかりしていなかった自分を責めることももうしないと決めています。
そういう自分だからこそ、作ることができた楽曲たちだと思うので。

そんなわけでノイローゼ気味でのデビュー笑。
あんまり、嬉しい!とか、やった!という感情はなかったと思います。
関わってくれる人、応援してくれる人への感謝を伝える余裕すらなかった。
病んでましたね、嫌な思いをさせた方がいたら、本当に申し訳なく思います。

デビュー前は、ソニーの出版社預かりの立場だったんですけど、レコード会社へのプレゼンライブがあって、10社か11社だったかな?すごくたくさん手をあげていただいて。
でも、色々諸事情ありまして(言えない話が多いから割愛(^^))
出版社の目の前にあった、同じソニーのアンティノスレコードからデビューが決まりました。
事務所も決まり、デビューに向け準備が進んでいたのですが、、
またまた、なかなか音源が仕上がらなくて。

ある日、事務所の社長さんに呼ばれました。
「ねえ、りえぞー、ちょっと気分転換にさ、違う人とレコーディングしてみる?」
「あ、、はい。」(朦朧)という感じで、デモテープを録るつもりでスタジオへ。
そこで録ったのが、そのままデビュー音源となりました。
騙されたのではなく笑、うまく誘導してもらえたと思っています。
いろんな人間関係が絡んでいたし、周りにいる誰をも失いたくなかった。そして流されるままの私一人ではどうにもならなかったと思います。

ディレクターをしてくれた熊谷さんは、同じ事務所の大先輩 エレファントカシマシのディレクターさんでした。
超多忙な中、いつも歌舞伎揚の袋を小脇に抱え、ものすごいスピードでキレッキレのディレクションをしてくれました。
でもすごく的確で、ありがたかった。
色々あったけれど、リリースしたものすべてを今でも心から誇れるのは、ほんと、熊さんのおかげが大きくて、感謝しています。

この曲のアレンジャーは、ギタリストの土方隆行さん。
クレジットを見てもらえればと思うのですが、すんごいメンバーのレコーディングで。
私は「これまた豪華なデモ録りだな〜」とぼんやり思っていました。

「いいよ。」だけじゃないんですが、私の曲のアレンジは、イントロ、間奏、曲中も、もともとピアノで弾いていたフレーズをそのまま取り入れて生かしてもらっているのがほとんどです。メインのフレーズに関しては。
でも、「いいよ。」のストリングスを初めて聞いた時は、わあ!っと思いました。
元の世界観はそのままに、笹路正徳さんが徹底的に感情に寄り添い、本当に素敵に膨らませてくださって。
特に間奏の、サワサワとクレッシェンド&デクレッシェンドするところがとっても好きです。
こんなアプローチがあるんだ、、と感激した記憶があります。
ストリングスの譜面をいただいて帰りました。

実は最初は、ストリングスは違うアレンジャーさんが書いてくださったんです。
でもレコーディングで実際聴いて、熊さんと目を合わせ、「違うね」となってしまって。
そういう時って、決してアレンジャーさんが悪いわけじゃないのだけど、(それだけは強調しておきたい)
何か、パズルのピースが違った!となってしまう時があるんですよね。

どうしようか、、となっていたその時、たまたま同じスタジオの別室でレコーディング作業をしていた笹路さんが、遊びにきてくださいました。
盟友の土方さん、熊さんもいたので、興味を持ってくださったのかも。
そこで「いいよ。」を聞いて、気に入ってくださいました。
「僕、書くよ。」とその場でスケジュール帳を開いて、予定入れてくださって。

そうして出来あがったのがこの曲です。
その後、笹路さんにも土方さん同様、がっつり関わっていただくことになったのですが、その話はまた他の曲の回で。

あと、歌詞の話ですが、「僕」という人称については、インタビューでかなり聞かれることが多かったです。
なぜ私が女性なのに「僕」なのか問題ですね。
他にも僕/君を使った曲は多々あります。
私/あなたのものもあります。
でも、正直あまり考えてそうしたわけじゃなかったと思います。
主人公の設定が変わるから、とかでもなく。(提供する歌詞ならそうなのですが)
曲やテーマがそれを求めたから、という感じかなあ。
でも、「私」でも「俺」でもなく「僕」が一番中性的で、人物の性に焦点が当たりにくく、テーマに集中できる、というのはあったかも。
当時は本当に、何も考えずに衝動に突き動かされて書いていたという感じでした。

そういえば、「いいよ。」には「君」が出てきません。
大切な存在は確かにいるのだけど、二人称が直接出てこない歌は意外と少ないかも。

「死」がテーマの、この曲を愛してくださっている方から、思いがけないお話を聞くことがあります。

昔、旦那様を事故で亡くした方。
私はそれを知らずに、彼女のヨガのクラスが好きで通っていたのですが、何年も経って再会して、初めてお茶をした時に打ち明けられたんです。
実はずっと辛くて辛くて、どうしていいかわからず生きていた時期があった。
この歌をもっと早く知っていればよかった、って。
本当に辛い別れをした方が、この歌をどう捉えるのかは私にははかりしれなかったけれど、新たに出会った旦那様と娘さんに恵まれ、一緒にこの歌を聞いてくれていると知って本当に嬉しかった。
死を考えることは生を考えること。逃げずに向き合うことで前を向けるということ。
多分、、私は何も変に思い巡らせることなく、純粋に自分ごととして書いた歌だから、ちゃんと真意が伝わったのかなと思います。

何人かの友達が、子供に私の歌を聞かせると泣き止むと報告してくれたことがあります。
謎!だけど、「歌声が子供の泣き声みたい」って言われたことがあるから、周波数がちょうどいいのかな??
テーマがなんであっても、もっとその奥にある波動だけで感じ取ってもらえるなんて、嬉しいし興味深いなーと思いました。

「いいよ。」を書いた時の私が、それまでの人生で経験した身近な人の死は、二人。
私が中学生の時に亡くなったおじいちゃんと、ピアノの先生です。
二人の死を強く思いながら書いた記憶があります。

死はもちろん普遍的なテーマだけれど、今の時代にはどう響くんでしょうね、この曲。
配信が決まって、自分でも久々にじっくり聞きました。
いい曲だよね?笑




★追記8/21;
ジャケットのこととPVのことを書くのを忘れてました。
この丸いピアノは見るとびっくりされるのですが(ですよね)音は出ません。大道具です。
撮影当日、現場で鍵盤を大道具さんがセットしてくれたのを目の前で見ていて、とても楽しかったです。
この白鍵は、実は透明なんですよ。

ジャケットのデザインはタイクーングラフィックスさん。
ね、すっごいでしょ?!笑
ピアノ弾き語りで素朴だから「ナチュラル系」、みたいな捉え方は大嫌いだったので、タイクーンさんが歌を聞いて提案してくださったこのぶっ飛んだデザインはとても嬉しかったです。1stアルバムもそうだけど、今でもすごく好き。
後ろに写っている赤いメトロノームが欲しかったんだけど、気づいた時には倉庫が整理されて捨てられていて、残念でした。
もしもらっていたら、宝物だっただろうな。
今はデジタルメトロノームも、アプリもあるけど、アナログのメトロノームが一番いい。
拍と拍の間が目で見えるって、とても大事なことだと思うんです。音楽的だし。
時計もそうですよね。秒と秒の間の、確かにある時の流れを、自分の感覚から抜け落ちさせないこと。

話が逸れました。
ヘアメイクは中野明美さん。やはり当時から売れっ子で、今や神。
魔法のように魅力を引き出してくれるメイクで、鏡を見て本当にびっくりしました。
何をどう塗ったらこうなるんだ?!って。
当時はうまく話もできない子だったので、ちゃんとその感動を伝えられず、支離滅裂になってしまって、後悔したものです。
あ、今も別に話はうまくないけれど笑。

プロモーションビデオの撮影は、早朝でした。
池袋から引っ越して、梅ヶ丘のマンションに住んでいたのですが、マネージャーさんたちが車で迎えにきてくれて、3時くらいだったかな。
二子玉川の河川敷(広場かな?)に行って。
そこになんとグランドピアノをどーんと置き、ピアノは私ではなく男性のピアニストが弾いて、私は寝ぼけ眼で、確かサッカーゴールの前に置かれた椅子に座って歌いました。
だんだん明るくなってくると、散歩中の皆さんやワンちゃんたちに見られて、恥ずかしかった。
もうビデオテープ(データじゃなかったので)もどこに行ったかわからず、20年以上見ていないので記憶違いがあるかもですが。

PVの中で、大サビの「僕がつむいだ〜」のところは、撮影時の生歌だったんです。
PVはそこだけ音が差し替えられて。
あとで笹路さんがそれを見て「CDもそういう風にしたのかと思って、画期的だと思ったよ。」と言ってくださったのを覚えています。
でも声も起きてなくて眠そうだったし、私は、マジで、これで大丈夫なの?!と思った。それが生っぽくてよかったのかもしれないですけどね。

PVのデータ、どこかに残ってないかな。
っていうか、そういう大切なビデオテープの在り処もわからなくなっている私のずさんな管理。。
当時は自分の、特に過去になってしまったものを大切にすることができなかったのです。
雑誌の記事も、写真も、ほとんどとっていなくて。
捨ててしまって後悔したものも数知れず。
でも逆に、今みたいになんでもデータでとっておける方が幸せかというと、わからないですけどね。

そう言えば、レーベル名のアンティノスAntinosって、「アンチ・ソニー」(後ろから読むとソニー)ってことだったんですよ。
ソニーのレーベルだったけど。
若い社長だった坂西伊作さんは、PVの名監督でもあって。「いいよ。」の監督も伊作さんです。
のちに、50代の若さで、訃報を聞いた時には驚きました。
やっぱ探さなきゃダメだな、ビデオテープ。

近藤智洋さんからの最高のプレゼント♫

2020-08-10 14:34:43 | Weblog
近藤智洋さんから、このコロナ禍の中、なんと二枚の新譜が届きました!
すごい〜!
聴く前にすでに尊敬、聴いてさらに大尊敬です。

一枚は、新しいバンド、「my funny hitchhiker」の、そしてもう一枚は、最近の自宅ライブからのセレクトライブ盤「KDTH sing in my room SELECT Vol.2」

すごくチープな言い方しかできなくてアレなのだけど、近藤さんの新譜を聴くたびに、すごく元気をもらいます。
最高にキラキラした、生きた音楽がいつもそこにあるから。
近藤さんに引き会わせてくださったライターの松村雄策さんが、以前、
「僕は、幾つになっても17歳の感性で作ってる人が好き」というようなことをおっしゃっていたのを、近藤さんの新譜を聴くたびに思い出す。
そして、あ、やっぱ私もそれ大事にしようと、もう一度胸に留める。
新鮮さ、衝撃、恍惚、理屈を超えること、弾けること、飛ぶこと、勇気、いい意味で人の言うこと聞かないこと、純粋さ、作為のなさ、自分を信じること、熟したってありのまま、魂、音楽は何よりも楽しいってこと。

近藤さんに私のソニー時代の音源が配信になったことを伝えると、とても喜んでくださって、なんとHPでも紹介してもらってます。
http://kondotomohiro.com/word/
次の更新をしたら、消えてしまいますが。。とのことなので、皆さんぜひお早めにご覧ください。


なんか、いつも軽やかに見えるんだよな〜、近藤さんって。
絶対、大変なことたくさんあるはずなんだけど、そう見えないのってすごいなーと憧れます。
重たい心に、状況に、ふわっと羽根を付けてもらえるような、全然また角度の違うこの二枚をぜひ皆さんも聴いてみてください!


長崎原爆の日に。

2020-08-09 13:58:15 | よりよい世界のために
上京してすぐ、大学生の時に、一人で高速バスと青春18きっぷを乗り継いで、初めて広島を訪れました。
茨城では修学旅行の行き先に選ばれやすい場所だったと思うのだけど、私の通った中学は東北へ、高校は修学旅行がないという変わり種だったので、行ったことなかったんです。
平和祈念資料館で受けた衝撃は忘れられない。
現地で感じたことや考えたことは、今思えば自分の創作にも当然影響を受けたし、いろんな考え方のベースにもきっとなったのだろうと思う。

昨年末、ひょんなことから長崎へ。
プライベートでは初めて、今思うと奇跡的なタイミングで行くことができました。原爆資料館や平和公園、爆風を受けた鳥居など、夫婦でゆっくり話し合いながら回ることができました。
世界中の人々の平和と平穏を、毎日祈っています。
自分も少しでもそれに貢献できますようにと。
長崎市長の平和宣言にあったように、「ひとりひとりが当事者」
ということを、祈るたびに身にしみて感じます。
祈りの科学的効果云々の前に、目をそむけないために祈り続けるというのもあるかなと思います。
またきっと何かの節目に、訪れたいな、広島も長崎も。

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今日の長崎市長の長崎平和宣言
世界中のひとりひとりに本気で伝える気持ちがしっかり伝わってきて、響きました。
みんなに読んで欲しいです。できれば映像で見て欲しい。
日本の、核兵器禁止条約批准を私も心から望みます。

こちらの平和宣言全文、最後に賛同ボタンがあって、賛同の意を示すことができます。
https://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

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■これは2019年12月の旅行後にFacebookに書いた日記です。
『フランシスコ教皇が訪れたばかりの長崎。
やはりまずは平和公園、原爆資料館へ。
そして浦上天主堂、大浦天主堂、出島など。

平和への願いと、キリスト教の歴史と。
イスラエル旅行からの流れ、導きを感じました。

エルサレムも猫が多かったけど、長崎も多かった。
尾曲がり猫が多いのだとか。
平和公園で寒い中じっと佇む白い猫が印象的でした。
近づいても全然逃げない、懐こい子ばかりだったのが不思議。

軍艦島も行ったけど、台風の被害で上陸できず周遊のみ。
何億もかけて直しても、毎年被害に遭ったんじゃたまらないですよねえ。

長崎といえば、私にとっては造船所のイメージ。
父が昔からよく出張に行っていたので。
今回初めてフェリーから見ましたが、すごいスケールでびっくり。一部世界遺産になっていることは初めて知りました。』



これがフェリーから見た造船所。

広島原爆の日のマントラ

2020-08-07 00:04:28 | よりよい世界のために
5月から、ヨガのマントラ・チャンティングのオンラインクラスを、週一回受けています。

広島原爆の日の今日は、
「生きとし生ける者全てが自由で幸福でありますように」という、このマントラ。

いつもは一緒に大きな声でチャンティングするLOVOTの「まある」も、なぜか今日は黙って空を仰ぎながら、先生のチャンティングにじっと意識を合わせて聞いていたみたいだった。

ベイルート、新疆ウイグル、、
衝撃的なニュースを追いながら、原爆被爆者の方の記事を読み、いろんなことを改めて考え、夫婦で話し合った一日でした。
虚しくて悲しくてやるせなくもなるけど、自分にできることはないと決めてしまったら終わりだ。と思うことにしている。線は引かない。

サンスクリット語は60音あって、全て違う振動数、エネルギーを持つそう。間違えない正しさではなく、エネルギーをしっかり感じて唱えることが大事とのこと。
マントラを真面目に練習し始めてから、自分の歌(普通に歌う方の)がすごーく変わった。
日本語も言霊だし、ポップスの歌だってエネルギーだから、当たり前なのかもしれないけど、当たり前のことを丁寧にもう一度積み上げていこう、という練習になってきている。

作詞もそう。
実際、コロナ禍以降は、提供する歌詞はほぼ書く機会がないのだけど、今後はもっともっとエネルギーを意識して書いていこうと思った。言葉は本当に、表面の意味だけじゃないから。
どうして歌詞を書くのか、その目的の目的の目的の、、、最終の目的は何?って話をいつも生徒さんとするようにしていて、
私は「世界平和」だよと打ち明けます。
変に思われる時もあるけど、だって、最後にはそれしかないから。
どんなテーマのどんな歌だって、ほんのちょっぴりでも、平和に貢献できるように願いとエネルギーを込めて書きます。

このマントラの言う「自由」は、「(誰も)何にも生きる権利を害されない(ように)」という意味合いの自由だそうです。
沢山沢山唱えていこうと思う。


大塚利恵 ソニー時代の音源 全曲配信決定♫

2020-08-05 13:00:00 | Weblog
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​​​​90年代に活動していたアーティストに特化した配信・サブスク化プロジェクト
“DISCOVER the 90’s”第9弾配信開始!
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Sony Musicのアーカイヴ・セクションとしてSony Music Directがお送りする、
90年代に活動していた邦楽アーティストに特化した配信・サブスク化プロジェクト“DISCOVER the 90's”の第9弾アーティストとして”大塚利恵”のサブスク全曲配信が決定!!

Sony Musicのアーカイヴ・セクションとしてSony Music Directがお送りする、
90年代に活動していた邦楽アーティストに特化した配信・サブスク化プロジェクト“DISCOVER the 90's”。
百花繚乱にして非常に芳醇な音楽にあふれた90年代に再びスポットを当てるべく、
これまでリイシューされていなかった邦楽アーティストを中心に毎月ピックアップ!!この時代を彩った名曲たちを随時配信していきます。

第9弾アーティストとして“大塚利恵”をピックアップ。
ソニーミュージック在籍時代の全音源を配信・サブスク化!!
“DISCOVER the 90's”特設サイトでは、 音楽ライター兵庫慎司氏によるアーティスト解説文が掲載されており、当時の状況を垣間見る事が出来ます。

Sony Music Direct presents ~
“DISCOVER the 90's” 第9弾~
”大塚利恵”
試聴URL

https://smdr.lnk.to/OtsukaRie



“DISCOVER the 90's”特設サイトURL
http://www.110107.com/discover90s




本日8/5、廃盤になっていたソニー(アンティノスレコード)時代の音源が、全曲配信されることになりました♫
わーい!!
配信に向け動いてくださったスタッフの皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

久しぶりの方も、初めましての方も、この機会に大切な私の歌たちを聞いていただけたらとても嬉しいです。
配信スタートを記念して、これから一曲ずつ、ブログでじっくり紹介していこうかなと思いますので、どうぞお楽しみに!



★98年リリース作品★


★99年〜リリース作品★