大晦日の晩に蕎麦を食べる風習は江戸時代からのようですが、
時代が変わっても続いています。
夜遅くまで忙しい商家が、夜食に蕎麦を食べた習慣を起源と
しているようだが、定かではないようです。
蕎麦はシンプルな料理(食べ物と言うべきかな!)なのに、その奥の
深さは他には無いでしょう。
誰が作ろうと、蕎麦粉と水で打ち、数少ない節や昆布などのダシ
と醤油だけのつけ汁が基本でしょう。
それなのに、作り手により香りや歯ごたえ、のど越しなどの食感が
まるで違うのはなぜ。
それほど奥深く味わいのある食べ物だと思う。
知人のI さんから、蕎麦を打ったので取りに来るようにと連絡があった。
I さんは、自分で蕎麦打ち小屋を造り、本格的な蕎麦打ち修行をする
ほど手打ち蕎麦の美味しさを追求し、よりレベルの高いものをと今だ
情熱を傾けている。
打ちたてを、今までに何度と無く届けてくれたり、蕎麦が食べたい
なと思って居たりすると電話が鳴ったりして、以心伝心にビックリす
るやら嬉しやら。
蕎麦職人すら越えた、と蕎麦通を自認する知人仲間を唸らせるほ
どの評判だ。
蕎麦小屋を訪ねると、年越し蕎麦を待っている人たちの名前が
ズラーリと張り出してあり、注文数の多さと、それを打つスタミナ
にもビックリ。
私は太目が、Kさんは細目がそれぞれ好きなことを知り、いつも
2種類を用意してくれるので恐縮している。
今、久しぶりに集った家族全員で、その蕎麦をいただいた。
丹精こめて美味しく打った蕎麦を、茹で方次第で台無しにして
しまうといけないと、いつもKさんが茹で上げている。
私は信用が無いようだ。
香り、歯ごたえ、のど越し、ともに大満足の年越し蕎麦をいただ
きました。
贅沢な気分です。
I さんご馳走様でした。
Aさんモチをありがとうございました。
とても美味しくて、すでに半分は食べてしまいました。
この一年、いろいろな方々とのお付き合いや交流は、生きがいそ
のものに繋がっています。
みなさんと楽しく過ごすことができたことを感謝します。
来る年もどうぞよろしくお願いします。
みなさ~ん、良いお年を。