旅も4日目。
中盤に突入しました。
今日は、世界遺産デー!
敦煌の町から莫高窟へ向かいます。
天気も良好!
って、ここは雨降らないとこなんだっけ(笑)。
敦煌のトールゲート。
派手ですが、インパクトあるよね。
名古屋も、個性あるものに替えたらどうでしょう?
料金所の屋根にビックサイズの金のしゃちほこ、のっけてみるとかさ。
どうかな?
敦煌の夜のお楽しみ。
こういうのを京劇っていうのかな。
アクロバット演劇。
演劇といっても、全編セリフは全くなく、音楽とダンスで表現するから、
いわばダンスショーと言った方がいいのかな。
マジックの要素もあったような。。。
ストーリーもあって、
各幕の合間に1パラグラフ程度のプロットが、中国語、英語で幕上に映し出される。
つまり、当然のように英語の字幕が流れるということは、かなり観光客を見込んだエンターテイメントってことですね。
さて、開演。
きれいな女性が続々と舞台に現れ、完璧なダンスを披露。
こんなの見ると、文化的に体操競技にすぐれた人が多いの理解できます。
飛んでます!
踊りつつ飛んでます。
アクロバティック要素もかなりありますね。
ダンスの種類も様々。
さすが敦煌まで来ると、西域風ダンスも自然に出現します。
まさかの、ホンモノのラクダの出演!
ダンスもクライマックス。
蓮の花の中からお釈迦様が登場!
カーテンコールの後、観客へボール投げみたいなことをやって終演。
観劇、240元。
価格が印刷されていない入場券。
何割かはマージン取られていたとしても
盛りだくさん、異国情緒たっぷりの2時間弱のエンターテイメント、
楽しかったです。
この日の夕食は、
ちょっと演出?されていました。
数時間前までいた鳴沙山での、
ラクダ体験やサンドスライディング、砂丘散策など
ツアーメンバー各々が行ったアクティビティの
ドキュメンタリービデオを鑑賞しつつの会食。
知らない間に誰かによって、我々の、らくだにまたがったり、砂と戯れたりする姿が、
写真やビデオに収められていて、
(勝手に)
それを結果、とてもうまく編集して、喜多朗のシルクロードのBGMまでつけて
(たぶん著作権無視^^)
完成度高く仕上げられたものを、夕食をほお張りながらみんなで爆笑しながら鑑賞する。
もちろん、それが単なる、夕食時の小粋な演出で収まるわけもなく、
シルクロードの商魂、ここでも冴え渡り、
DVD化して1枚20元で販売されました。
結構売れたんじゃないかと思います。
らくだに乗るときには、両手ふさがれて写真も撮れないわけで、
そんな写真も収められているし、ってことで、旅も中盤、みんなお財布の紐も緩みました。
我が家も、
「せっかくだから」ということで1枚買ってしまいました。
ちなみに、帰国後まだ1度も見てませんけどね(笑)。
喜多郎 絲綢之路 Kitaro Silk Road
鳴沙山のふもと、
長さ約150m、幅約50mのオアシスがある。
形が三日月に似ていることから
月牙(中国語で三日月のこと)泉と呼ばれている。
オアシスの脇道も
散歩できるようになっています。
あー
海も山もいいけど、砂丘もいいね。
文明からも、俗世間からも、一切の日常からも絶ち、
見つめてみる。
今度来る機会があったら、真夜中漆黒の砂丘を経験してみたい。。。
鳴沙山では、各種エンターテイメントも用意されています。
(シルクロードの商魂、ここでも生きてます)
砂丘クライミング、砂丘スライディング(そりのようなもので滑り降りる)、
一瞬、目を疑いましたが、
ハングライディングなんかもできるそうです。
この時代、敦煌のエンターテイメントはラクダだけじゃないようです。
鳴沙山(めいさざん)。
敦煌といえば、この景色。
太陽の位置、周りの景色によって
少しずつ印象が変わります。
砂漠とはいえ、
近くにはオアシスもあり、
意外にも緑豊かです。
昔の人はこのオアシスを見て、生き返ったのでしょうね。
今回のツアーのメインイベントの1つ。
キャメルライディング。
鳴沙山入り口から月牙泉(げつがせん)までのラクダの旅。
10分程度とはいえ旅情くすぐるイベント。
ほんの少しだけ、三蔵法師の気分に浸れたりして?
て、それはないか。
ラクダにとって、立ったり座ったりの行為は
人間以上にしんどいようで、思うようにはいきません。
想像以上の衝撃もありますので、ご注意を。
来た~!
駐車場の奥に砂丘への入り口あり。
入り口を入ると、らくだ様一族が鎮座する。
(におい付き)
迫力ある!
本ツアーの醍醐味、ラクダライディング!
その後、砂歩きもあるってことで、
こんな靴カバーをレンタルする(10元)。
(歩きにくかったので、途中で取っちゃいました)
わくわく。
らくだに乗るってことくらいで、キモチがこんなに昂揚するとは!
ある意味、自分発見の旅だな。これも。
敦煌の西100km。
敦煌からタクラマカン砂漠を抜けカシュガルへ向かう「西域南道」への関所であった「玉門関」。
一辺が25m高さが10mほどの真四角な造りで、西側と北側に入り口がある。
一見石造り、実は日干し煉瓦で作られた物らしい。
陽関と同様、
「関所」であると同時に、西域からの侵略を防ぐ重要な軍事拠点でもあった。
2万を超える兵士が駐屯していたっていうけど、
今の姿からは到底想像できない。
玉門関という名前は、
新疆ウイグル自治区で産出された「玉石」がここを通って長安に入ったことに由来する。
玉門関の途中に立ち寄った、
漢長城跡。
何千年も前の遺跡というのに、
吹きッさらしのまま、たいした柵も付けずに放置されている。
(城壁跡)
この城壁跡だけから、当時の建物や生活について想像してみるが。。。
イメージは何も出てこない。
ぶどう農園でランチ。
年中、観光客が来るわけでもなく、
近所にレストランがないから
こういうビジネスモデルが成り立っているのでしょうね。
ぶどうは、
これまた、品種改良されていない素朴な味。
ごちそうさまでした!
「陽関(ヨウカン)」。敦煌市の南西70㎞。
中国、甘粛(かんしゅく)省敦煌(とんこう)。
古代東西交流の路・シルクロード、『西域南道』の東の関門。
2200年前に漢の武帝によって造られた軍事・交通の要所。
その後も魏、晋、南北朝、唐代まで西域南道の関所として利用された。
玄奘三蔵もインドから帰国した際ここを通過している。
陽関という名は玉門関の南(陽)にあることから名付けられた。
中国本土最西端の門戸(関所)であるとともに、
西方が侵入する匈奴などの遊牧民と対峙する重要な軍事施設でもあった。
さて、、まずは2003年オープンの博物館から。
シルクロードの歴史をはじめ、ようかんの解説、武器、出土品などが展示されていた。
(シルクロードを開設する、敦煌担当ガイド・程さん)
シルクロード発見者?張騫像。
博物館の裏手より電気自動車に乗り、丘を5分ほど登る。
遺跡といっても、現在はのろし台が残るのみ。
南の方角にはこんな景色がさえぎるものなく続く。
もはや、2200年前に
多くの人が往来していたとは想像できない、
西域への関所。