DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

小池昌代(1959-)「高度」『夜明け前十分』(2001年)所収:①「凛然」とし、かつ「冷酷」さのうちにある生! ②質料(マテリア)としての蜂の「生」とその形相(イデア)である「透明なガイネン」!

2018-05-17 22:16:05 | 日記
 高度 Altitude

蜂の飛び方は凛然としている The way of flying of a bee is definite.
はげしく羽をふるわせながら While it makes its wings severely tremble,
空間に停止し it stops in space.
それからきゅうに Then suddenly,
がくんと高度を上げたり、下げたりして it sharply pull up or lower its altitude.
蝶のように Different from a butterfly,
なだらかな飛行の曲線を描かない a bee doesn't draw a gradual curb of flying.
生き方の結果を It is like a line graph
冷酷に示す折れ線グラフのようだ that coldly shows the result of a way of life.

《感想1》
この詩人は、生は、「なだらか」な「曲線」を描かないと考える。
生には、停止か、急激な下降か、急激な上昇のいずれかしかない。
生は「折れ線グラフ」だ。
生き方の結果は、「冷酷」だ。

《感想1-2》
だが、評者が思うに、だらだらした人生もありうる。
「終わりよければ、すべてよし」で穏やかに終わる人生もありうる。
「凛然」かつ「冷酷」との人生観は、この詩人の、この時の感情だ。
彼女の精神は、「凛然」とした生の停止、急降下、急上昇に、「冷酷」にさらされるものとしてある。

ある高さから From certain altitude
ある高さへ to another altitude,

それ自体 it in itself
何も測らず measures nothing,
主張せず never maintains anything,
ただ and only
透明なガイネン exists there
としてそこに在るもの as a transparent concept.

《感想2》
この時、詩人が見ていたの、生き方の具体的・状況的な諸相でない。
人生の形象が、それ自身として、完成した永遠、他との関係を一切持たぬ個物として出現している様(サマ)だ。
それが「透明なガイネン」、言いかえれば、生のイデアだ。
それは「何も測らず」、つまり他と関係しない。
それは「主張せず」、つまり他に訴え依存することもない。

私が惹かれたのは What I was attracted was,
蜂よりも not a bee itself,
蜂の「生」をささえているかのような but its clear and noble
明確で崇高な altitude
その高度だった that looked like supporting 'the life ' of a bee.

《感想3》
詩人は、質料(マテリア)としての蜂、あるいは蜂の「生」を見ていない。
彼女は、蜂の「生」に形を与える形相(イデア)を見ている。(「透明なガイネン」!)
イデアの永遠性、完全性を、詩人は、(「折れ線グラフ」によって示される)「高度」と、名付ける。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北京の若者は「中国の政治制... | TOP | (1)幻 (2)現実(苦痛)、(3)... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | 日記