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本来的時間性と非本来的時間性:「先駆」と「予期」、「瞬間(瞬視)」と「現持」、「反復」と「忘却」!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第4章」「第68節」(a)

2020-03-18 20:08:06 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第4章 時間性と日常性」「第68節 開示態一般の時間性」「(a)了解の時間性」(335-339頁)

A 「《関心》の具体的な時間的構成を挙示するためには、それの構造契機としての(a)了解、(b)心境、(c)頽落ならびに(d)話を、細目にわたって時間的に解釈する必要がある。」(335頁)Cf.「第6章 現存在の存在としての気遣い(関心、die Sorge)」
A-2 「ただひとつの時間性が、ただひとつのものとして、(a)了解、(b)心境、(c)頽落ならびに(d)話(語り、Rede)の可能的な構造的統一性を保証する。」(335頁)

「(a)了解の時間性」(335-339頁)
(1)了解(Verstehen)!
B「了解とは、現存在がそのつどそれを主旨(Worum-willen)として実存している存在可能へむかって、投企的に存在しているということである。」(336頁)

(2)了解の根底には、将来(到来)がある:「先駆」(Vorlaufen)と「予期(Gewärtigen)」!
C 「現存在がある実存的可能性において投企的におのれを了解しているとき、この了解の根底には、将来(到来)がある。」(336頁)

(2)-2 了解における「本来的将来(到来)」:「先駆」(Vorlaufen)!
C-2 「この将来(到来)は、《そのつどの可能性からおのれへむかってくること》として、その了解を可能にしている。」(336頁)
C-3 「投企は根本において将来(到来)的である。」(336頁)
C-4 「現存在は了解しつつ、おのれが存在しうる可能性をいつもすでに存在している。」(336頁)
C-5 「根源的に本来的に実存することは覚悟性(決意性、Entschlossenheit)である。」(336頁)
C-6 「本来的将来(到来)」が「先駆」(Vorlaufen)である。(336頁)

(2)-3 了解における「非本来的将来(到来)」:「予期」(Gewärtigen)!
D 「非本来的将来(到来)」は「予期(Gewärtigen)」 である。(337頁)
D-2 「非本来的了解」において現存在は、「配慮的従事のなかで、自分が配慮しているものごとの出来、不出来からおのれを予期している。」(337頁)
D-3 「現存在は、自分が配慮しているものごとをもとにして、おのれへ向来する。」(337頁)
D-4 このように「予期しているからこそ、現存在がなにごとかを期待したり、なにごとかを待ち受けたりすることができる。」(337頁)

(3)了解における現在(Gegen-wart):「瞬間(瞬視)」と「現持」(Gegenwärtigen)!
E 「了解」は「第一義的には将来(到来)的である」が、「了解」が「時間的」である限り「同根源的に既住性と現在によって規定されている。」(337頁)
《参考》ハイデガーは次のように述べている。「①将来(到来)、②既住性、③現在の諸現象」を「時間性の《脱自態》」となづける。(329頁)「時間性の本質は、これらの脱自態の統一において時熟することにある。」(329頁)

(3)-2 了解における「本来的現在」:「瞬間(瞬視)」(Augenblick)(338頁)
F 「瞬間(瞬視)」は「覚悟性の先駆」に属する現在であり、「決意」が「状況を開示する現在」である。(338頁)
F-2 「瞬間(瞬視)」は「覚悟性のうちに抱かれている出動(Entrückung)」である。(338頁)
F-3 「瞬間(瞬視)・・・・を《今》(das Jetzt)をもとにして解明することは、原理的に不可能である。」「《今》とは、内時性(Innerzeitigkeit)としての時間に属する時間的現象であって、なにごとかが《そのなかで》生成消滅し、あるいは客体的に《現存する》といわれるその《今》である。」(338頁)
F-4 「《瞬間(瞬視)において》は、なにかが出没するということはありえない。」「瞬間(瞬視)とは、本来的現在(die eigentlich Gegen-wart)として、用具的もしくは客体的に《時間のなかで》存在しうるものを、はじめて出会わせるものなのである。」(338頁)

(3)-3 了解における「非本来的現在」:「現持」(Gegenwärtigen)(338頁)
G 「本来的現在としての瞬間(瞬視)から区別して、・・・・非本来的現在を現持(Gegenwärtigen)となづける。」(338頁)
G-2 「現持」は「《配慮されるものごとのもとでの存在》」である。(337-8頁)
G-3 「形式的に理解すれば、(※人は日常性のうちで生きるのだから)いかなる現在も《現持的》であるが、しかしどの現在も《瞬間(瞬視)的》であるわけでない。」(338頁)
G-4 ただし以下では、「現持」は、「非本来的な現持」つまり「瞬間(瞬視)を欠く無覚悟的な現持」を指すことにする。(338頁)
G-5 「現持」は「配慮されている《世界》への頽落が時間的に解釈される」時に浮かび上がってくる。(338頁)
G-6 「非本来的了解は現持にもとづいて時熟する。」これに対し「瞬間(瞬視)は本来的将来(到来)から時熟する。」(338頁)

(4)了解における既住性(Gewesenheit、既在性):「反復」(Wiederholung)と「忘却」(Vergessen)
H 「非本来的了解は現持的(※現在)予期(※未来)として時熟するのであるが、それの脱自的統一態(※未来・現在・過去)には、それに応じた既住性(既在性)(※過去)がそなわっている。」(338-9頁)

(4)-2 了解における「本来的既住性(既在性)」:「反復」(Wiederholung)!(339頁)
I 「先験的覚悟性」において起こる「おのれへむかっての本来的向来」は、とりもなおさず、「おのれの孤独化」のなかへ投げられている「ひとごとでない自己」への「帰来」である。(339頁)
I-2 「現存在は先駆において《おのれをふたたび取りもどし》て、ひとごとでない存在可能に直面させる。」(339頁)
I-3 「《このように本来的に既住(既在)的に存在すること》を、われわれは《反復(Wiederholung)》となづける。」(339頁)

(4)-3 了解における「非本来的既住性(既在性)」:「忘却」(Vergessen)or「忘却性」(Vergessenheit)!(339頁)
J 「非本来的投企においては、現存在は《おのれが配慮しているものごと》を《現持》していて、《そこからくみとってきた可能性》へむかっておのれを投企する。」「このような投企が可能であるのは、現存在が《ひとごとでないおのれ自身》の《被投的な存在可能におけるおのれ》を《忘却》していることによる。」(339頁)
J-2 この「忘却」は「空無」ではなく、またたんに「「回想」が欠けている状態」でもなく、「既住性(既在性)の積極的な脱自的(※時間的)様態」である。(339頁)
J-3 「忘却」という「(※時間的)脱自態」は、「ひとごとでない自己の既住性(既在性)(※過去)からの脱却――しかもおのれ自身にとって閉ざされた脱却――」である。(339頁)
J-4 「この《忘却》にもとづいてこそ、配慮的=予期的(Cf. 先駆的)な現持(Cf. 瞬間or瞬視)がなにごとかを(すなわち現存在的でない、環境的に出会うものごとを)把持(behalten)することもできる。」(339頁)
J-4-2 これに対して《把持していないこと》が、普通には《忘却》と呼ばれている。(339頁)

(4)-3-2 回想(Erinnerung)は忘却(Vergessen)にもとづいて初めて可能になる!
J-5 「期待が予期(Gewärtigen)にもとづいて初めて可能になる」ように「回想(Erinnerung)も忘却にもとづいて初めて可能になる。」(339頁)
J-5-2 「配慮される《外面的な》仕事に紛れている現存在」が「なにごとかを回想する」ことができるのは、「既住性(既在性)が忘却性の様態において第一義的に《開示して》いる地平」のなかへ「回想が現存在を連れ込む」からである。(339頁)

(5)非本来的了解の時間性:忘却的=現持的予期(das vergessend-gegenwärtigende Gewärtigen)!
K 「非本来的了解は、その時間性に関していえば、忘却的=現持的予期という脱自的(※時間的)統一態に従って時熟する。」(339頁)
K-2 「非本来的な配慮的了解は、自分が配慮しているものの《現持》にもとづいておのれを規定している。」(339頁)

《感想1》ハイデガーは客観的時間という枠組みを使わずに「時間」を説明する。「客観的時間」という意味が発生してくる基盤の「出来事」=「時間性」を捉え描こうとする。だからわかりにくい。
《感想2》ハイデガーは「①将来(到来)、②既住性、③現在の諸現象」を「時間性の《脱自態》」となづける。「時間性の本質は、これらの脱自態の統一において時熟することにある。」(329頁)
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