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存在者は「客体的な事物連関」として理解され、存在は「実在性」という意味を帯びる! ハイデガー『存在と時間』(1927)「第43節」(序論)

2019-10-14 20:24:14 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第6章 現存在の存在としての関心」「第43節 現存在、世界性および実在性」(序論)

(1)存在者は「客体的な事物連関」として理解され、存在は「実在性」(Realitat)という意味を帯びる!
A 「存在の意味への問いは、そもそも、存在了解というようなものが、存在しているからこそ可能になる。」(200頁)「われわれが現存在となづける存在者の存在様式には、この存在了解が備わっている。」(200頁)

《感想1》「存在了解」とは、《ノエシスとノエマの分裂的統一としての超越論的意識(フッサール)》である。言わば《存在》が、無でなく《有》が、《世界そのもの》が、《宇宙そのもの》が、すでに常におのれに気付いていることだ。なんという不思議だ!
《感想1-2》「現存在」はすでに常におのれに気付いているつまり「存在了解」を備えているモナドだ。

B だが存在了解は、「頽落の存在様態」において、(ア)「内世界的存在者の存在」について「身近にそなわる用具的なものの存在」を飛び越し、(イ)「存在者はまず最初に、客体的な事物連関(res、事物)として理解されることになる。存在は実在性(Realität)という意味を帯びる。存在の根本的規定性は実体性(Substanzialtät)となる。」(201頁)

《感想1-3》「世間話と公開的な既成的解意とにおいて、世間(Man)のなかでわれを忘れて・・・・頽落する可能性を現存在に提供するものは現存在自身だ」。(177頁)

C かくて「現存在も、ほかの存在者なみに実在的に現前している(ist real vorhanden)ということになる。」(201頁)
D こうして「実在性の概念は、存在論的問題組織のなかで特有の優位を占める」。「存在様態は、すべて実在性を基準にして、否定的もしくは欠如的に規定される」。(201頁)

《感想1-4》事物が「客観」であり、それと対照的に意識・心が「主観」と呼ばれることになる。「客観」も「主観」も「実体」とされ「実在」するとされる。

(2)「実在性の問題」!
E 「実在性の問題」という問題のもとに様々な問題が雑居している。
(ⅰ)「『意識超越的』と言われる存在者はそもそも存在するのかどうか」((a)《「外界」の存在の問題》としての実在性)(※意識のうちに全てあるのではないのか、意識の外に意識が出ることなどできるのか、意識に意識の外がどうしてわかるのか、意識が外界の反映だとしてなぜ外界が反映しなければならないのか?)、
(ⅱ)「この『外界』の『実在性』は十分に証明されうるかどうか」((a)-2《「外界」の証明可能性の問題》としての実在性)(※そもそも外界なるものがあるのか?)、
(ⅲ)「この存在者が実在的であるとして、それはどこまでそれの自体存在において認識されうるのか」((b)《存在論的問題》としての実在性)(※外界があるとして、意識がそれをどうしてそれ自身として認識できるのか、あくまで影・反映であって外界の自体存在は認識できないのではないか?物自体の問題!)、
(ⅳ)「そもそも、実在性という、この存在者の意味は何を指意しているのか」((c)実在性と関心)(※モナドの実在性、これには感情・欲望・意図の実在性、意味世界のイデア的実在性、意味世界の展開としての夢・思考・想像・虚構の実在性、感覚における反映としての物の実在性、感覚における物自体の出現としての実在性・・・・)

《感想2》「実在性の問題」に含まれる(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)の問題についてのコメントは、上記(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)の後の()内の※を見よ。

(3)「第43節」の論究の3テーマ!
(a)《「外界」の存在と証明可能性との問題》としての実在性
(b)《存在論的問題》としての実在性
(c)実在性と関心

《感想3》ハイデガーが言う。「第43節」では①「現存在でない性格を持つ内世界的存在者を規定している存在様式」すなわち「用具性と客体性」について立ち入ってとらえる。②「従来、存在論的問題設定は、存在ということを・・・・客体性(「実在性」、「世界」=現実性)という意味で了解してきた」。「他方、現存在の存在の方は、存在論的に規定されずにいた。」③かくて、ここで「関心、世界性、用具性ならびに客体性(実在性)の間の存在論的連関」について論究する。④この論究によって、さらに、「実在性の理念」をめぐって行われている「実在論と観念論の認識論的問題設定」を検討しながら、「実在性(Realitat)の概念」を一層鮮明に規定する。(183頁)
《感想3-2》参考:「けれども存在(※無でなく有であること)は、存在了解(※ノエシスとノエマの分裂的統一としての意識)というようなものをおのれの存在にそなえている存在者(※現存在、モナド)の了解のなかにのみ『ある』のである。」(183頁)
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