(1)
妖しい君だ。時間とともに生まれ続ける君。時間とは存在が生まれ続けることだ。無から、君が生まれ続ける。時間が止まる時、つまり君の存在がもはや到来しない。無だ。君とは、時間によってもたらされる存在の到来だ。あるいは、君とは、無から、今ここ(《存在の到来そのものである今における、宇宙の中心であるここ身体》としての絶対的な今ここ)への宇宙(存在)の到来だ。
(2)
宇宙は物世界(感覚)と非物世界(感情・欲望・意図)からなる。物世界は、感情・欲望・意図の道具となる物(身体)とそうでない物に二分される。不思議なことに到来する宇宙の中心(ここ)に身体がある。
(3)
なお感覚は物の到来(出現)そのものだ。物そのものが到来する。言い換えれば心の内に物が現出する。物は心だ。
(4)
存在するのは心のみだ。心は宇宙そのものだ。心(宇宙)は一方で物(感覚)であり、他方で非物(情・欲望・意図)だ。
(5)
もっとも確かな存在は、《存在の到来そのものである今における、宇宙の中心であるここ身体》(絶対的な今ここ)だ。
(6)
思考は、到来する存在(物世界と非物世界)のイデア化(類型化、存在の重なりの形成)作用だ。
(7)
宇宙(心)は、あちこちに無数に生まれる。諸宇宙(心)は物世界において出会う。つまり心の内に物が存在するのだが、その物が、他なる感情・欲望・意図(他我、他の君)の道具である時、その物は他身体となる。
(7)-2
一方で今ここの感情・欲望・意図、他方で自身体と接する物(その物は像でなく、物そのものだ)の出現。(Ex. 母が子に乳を与える。)その時、自他未分化の感情・欲望・意図が到来することがある。その自他未分化の感情・欲望・意図が分化して、一方で、ここの物(自身体)を動かし、他方でそこの物(他なる物)を動かす。
(8)
時間の到来、あるいは、ここへの宇宙の到来(出現)は、極めて混沌としている。ばらばらの物の出現、ばらばらの感情・欲望・意図の出現、また自他未分化の感情・欲望・意図の出現。この混沌の中から、自なる宇宙(心)、他なる宇宙(心)、自身体、他身体、以上のいずれでもない物、自なる感情・欲望・意図(狭義の心)、他なる感情・欲望・意図(狭義の心)が分化する。
(9)
宇宙としての心は、モナドと呼ばれる。モナドは物(感覚)と狭義の心(感覚・欲望・意図)からなる。モナドは無数に、無から存在へと到来し、その中の一つのみが君(自モナド)となる。
(9)-2
自モナドの根拠は、(肉体的)苦痛である。感覚は物の出現と等価である。苦痛は、一方で物の出現だが、他方でそれにさらに加わった剰余だ。その剰余は非物であり、欲望・意図のように能動的でないので、感情だ。苦痛感情が生じるモナドが、君(自モナド)だ。
妖しい君だ。時間とともに生まれ続ける君。時間とは存在が生まれ続けることだ。無から、君が生まれ続ける。時間が止まる時、つまり君の存在がもはや到来しない。無だ。君とは、時間によってもたらされる存在の到来だ。あるいは、君とは、無から、今ここ(《存在の到来そのものである今における、宇宙の中心であるここ身体》としての絶対的な今ここ)への宇宙(存在)の到来だ。
(2)
宇宙は物世界(感覚)と非物世界(感情・欲望・意図)からなる。物世界は、感情・欲望・意図の道具となる物(身体)とそうでない物に二分される。不思議なことに到来する宇宙の中心(ここ)に身体がある。
(3)
なお感覚は物の到来(出現)そのものだ。物そのものが到来する。言い換えれば心の内に物が現出する。物は心だ。
(4)
存在するのは心のみだ。心は宇宙そのものだ。心(宇宙)は一方で物(感覚)であり、他方で非物(情・欲望・意図)だ。
(5)
もっとも確かな存在は、《存在の到来そのものである今における、宇宙の中心であるここ身体》(絶対的な今ここ)だ。
(6)
思考は、到来する存在(物世界と非物世界)のイデア化(類型化、存在の重なりの形成)作用だ。
(7)
宇宙(心)は、あちこちに無数に生まれる。諸宇宙(心)は物世界において出会う。つまり心の内に物が存在するのだが、その物が、他なる感情・欲望・意図(他我、他の君)の道具である時、その物は他身体となる。
(7)-2
一方で今ここの感情・欲望・意図、他方で自身体と接する物(その物は像でなく、物そのものだ)の出現。(Ex. 母が子に乳を与える。)その時、自他未分化の感情・欲望・意図が到来することがある。その自他未分化の感情・欲望・意図が分化して、一方で、ここの物(自身体)を動かし、他方でそこの物(他なる物)を動かす。
(8)
時間の到来、あるいは、ここへの宇宙の到来(出現)は、極めて混沌としている。ばらばらの物の出現、ばらばらの感情・欲望・意図の出現、また自他未分化の感情・欲望・意図の出現。この混沌の中から、自なる宇宙(心)、他なる宇宙(心)、自身体、他身体、以上のいずれでもない物、自なる感情・欲望・意図(狭義の心)、他なる感情・欲望・意図(狭義の心)が分化する。
(9)
宇宙としての心は、モナドと呼ばれる。モナドは物(感覚)と狭義の心(感覚・欲望・意図)からなる。モナドは無数に、無から存在へと到来し、その中の一つのみが君(自モナド)となる。
(9)-2
自モナドの根拠は、(肉体的)苦痛である。感覚は物の出現と等価である。苦痛は、一方で物の出現だが、他方でそれにさらに加わった剰余だ。その剰余は非物であり、欲望・意図のように能動的でないので、感情だ。苦痛感情が生じるモナドが、君(自モナド)だ。