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清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?):①「説教の講師(コウジ)は」、②「小白河といふ所は」、③「七月ばかり、いみじう暑ければ」!

2020-01-25 18:38:06 | 日記
(1)「説教の講師(コウジ)は」(30段)
当時、説教聴聞が流行した。清少納言が言う。「説教の講師は美男子なのが良い。なぜなら夢中になってひたと講師の顔を見て、仏法のありがたさを感得できる。顔のみにくい講師だとよそ見したり、上の空になってしまう。このような不信心の罪をおかしたくないので美男子の講師がよい。」
《感想1》「私の考えは罪深い」と清少納言自身が言っている。仏への信心の程度は、今とあまり変わらないようだ。非常に信心深い人は少ないのだ。
(2)「小白河といふ所は」(32段)
小白河殿で上達部(カンダチメ)の方々が集まって結縁(ケチエン)の八講を催された。参会しない上達部はいらっしゃらない。着ているものがいずれも涼しげで、ありがたい法会(ホウエ)の催しというだけでなく、綺羅を飾ったショーの観がある。
《感想2》清少納言の時代、どんな色の服を着るか、またどんな色の取り合わせで着るかが、貴族たちの間で関心を惹いた。
(3)「七月ばかり、いみじう暑ければ」(33段)
朝方、どこからか帰って来た男(殿上人)が後朝(キヌギヌ)の文を書こうと思って、歌を口ずさんで歩いていた。その途中、今男を帰したばかりといった女が御簾の向うにいてまだ寝ているのに、その男が気づく。男はニコニコしながら長押に寄りかかって座わる。女がそれに気づくと、「これは未練たっぷりの朝寝ですね」と男が、女をからかう。女は「露の置くよりも早く帰ってしまった男がにくらしい」と答える。
《感想3》別の女のもとから朝、帰って来た男と、別の男が今しがた帰ったばかりの女との会話だ。二人は、女が「顔を見せない」ほど他人行儀でないが、「そうなれなれしくしてもいい」わけでない関係だ。つまり二人は、男と女だが友達関係だ。恋愛が自由だった時代の、恋人関係でない男と女の一風景!
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