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黒田三郎(1919-1980)「遺書」『もっと高く』(1964年):死は気まぐれな風のようにやってくる

2016-09-24 00:10:59 | 日記
 遺書
生きている間に
さんざ迷惑をかけたうえに
死んでからまで
このうえなお
誰だってわずらわそうとは思わない

十分に生きなかった者は
十分に死ぬこともできない
死のうと身構えもしないうちに
死は
気まぐれな風のようにやってくる

あすこそはそれを言おうと思って
まだ果たさないうちに
いや
そんなことなんか
まだ何にも思いもしないうちに

ちょっとと言って借りた百円を
何となく忘れて
まだかえさないうちに
ポケットに入れたハガキを
まだポストに入れないうちに

うすぼんやりと
よそ見をしているうちに
不義理と汚辱と
ちょっとばかりの心の痛みと
けちな心躍りのうちに

犬をけしかけるように
美辞と麗句と
殊勝なまなざしで
あなたを
何かへけしかけないうちに

《感想1》
①ここでは遺書は、“遺族にあれこれ希望を指示する面倒な書類”とイメージされる。例えてみれば、“法律通りに財産相続すればいい”と、詩人は思うのだ。
《感想2》
②「十分に生き」るとは、死に対する「身構え」ができていること。それが「十分に死ぬこと」である。
②-2 死に対する「身構え」ができていなければ、まさしく、「死は気まぐれな風のようにやってくる」。これがこの詩の、主題である。
《感想3》
③「明日こそはそれを言おう」と決意しても、その前に死んでしまう。大事なことが、大事な人に伝えられる前に、死ぬ。無念な死。だが、「死は気まぐれな風のようにやってくる」。
③-2 それどころか、本人が、人に伝えるべき大事なこと(「それ」)が何か分かる前に、死ぬこともある。大事な人との不安定な関係が続いたまま死ぬ。残念な死。この時も、「死は気まぐれな風のようにやってくる」。
《感想4》
④「百円」を借りて「かえさない」うちに死んだら、借金は子どもが相続して返済するから、この場合は「十分に死ぬこと」ができたことと同じ。とはいえ、この場合でも、予測できない限り「死は気まぐれな風のようにやってくる」。
⑤「ポケットに入れたハガキ」は、大事なことを、大事な人に伝えるハガキ。それを「ポストに入れないうちに」死ぬのは、無念である。「死は気まぐれな風のようにやってくる」。
《感想5》
⑥「うすぼんやりとよそ見をしているうちに」「死は気まぐれな風のようにやってくる」。これは、よくありそう。
⑦人生は「不義理」が不可避。また「汚辱」つまり汚いことをしないと生きていけない。そんな時「心の痛み」を伴うが、うまくいって「けちな心躍り」もする。そんな人生に熱中しているとき、突然、「死は気まぐれな風のようにやってくる」。
《感想6》
⑧本人の死は、この本人によって「何かへけしかけ」られる「あなた」(他者)にとっては、僥倖。もちろん、死ぬ本人にとって、死は不幸である。本人の不幸な死は、「あなた」(他者)の僥倖である。皮肉な出来事。
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