10月1日(日)~3日(火)まで木曽の歴史紀行・中山道2宿・千畳敷と
欲張り旅行をして来た。
1日は9時前に家を出て「義仲館」に着いたのが12時半頃
来る途中のコンビニでお弁当を買い、義仲館と隣接してる公園のベンチでお弁当を食べ
お腹を満たしてから義仲館に入った。
旅行に出掛ける際は沢山の資料を持ち観光を決めてるのですが
木曽義仲と巴御前の名前は知ってましたが、詳しい事は知らなかったのです。
資料館に入るまでは何時の時代の人だったかも定かでなかったのですが
資料館では源義仲と書いてあり、頼朝・義経と従兄弟なのですね。
この木曽では英雄なのでしょう、生い立ちから討死までをビデオや絵で詳しく説明してます。
この資料館、とても面白かったです。
平家10万の大軍に対し義仲軍は5万の兵士、兵力は半分だったが夜襲を掛けて大勝利
平家一門は義仲の追撃を恐れて神戸、九州へと都落ちしていく。
後白河法皇を保護し平安京に入る。
都の人々は傲慢な平家を追い出してくれた英雄として義仲軍を喝采で迎えが
その後に好き勝手をやる義仲に、法皇は義仲の留守中に頼朝に接近し「義仲追討」の令を発布。
巴御前ですが死ぬまで義仲に寄り添うと言ってきかない。
「巴!お前は私のことを、“最後の戦に女を連れていた”と世の笑い者にしたいのか!」
しかたなく巴は東国へ落ち延びて行く。
墓は義仲を憐れんだ近隣の大津・膳所(ぜぜ)の村人たちが造った。法名、徳音院義山宣公。
その数年後、尼僧が墓の側に草庵を結び朝夕に菩提を弔い始めた。
人が名を尋ねると「名は捨てました」。後に村人は彼女が巴御前と知り
没後に草庵を「無名庵(むみょうあん)」といつしか呼び始める。
今回、義仲館に行き、義仲と巴御前の事を知ったのですが
義仲没後510年後に(1694年)、一人の俳人が遺言を弟子に残す「私の亡骸は義仲公の側に葬って欲しい」。
その俳人の名は松尾芭蕉。
所要で向かった大阪で逝去した芭蕉の亡骸は、遺言に従って弟子10名(去来、基角他)が舟に乗せ
淀川を上がって義仲寺・無名庵の前に埋葬した(正面右から芭蕉、義仲、巴御前の順で並んでいる)。
境内には弟子の又玄(ゆうげん)によって句碑が刻まれた「木曾殿と背中合せの寒さかな」。
このような一生だったそうですが、生きて行くのが如何に大変だったことか
今のご時世が如何に気楽で楽しいものか、そして我々のように年金で生活出来る事がありがたい・・・
その後に行ったのが「福島関所跡」日本四大関所の一つ(箱根、新居、碓氷、福島)
中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まった関所だったようです。
隣接してる「高瀬資料館」、日本遺産に指定されていて此処が面白かったですね。
このお宅に島崎藤村のお姉さんの嫁ぎ先であり、「家」のモデルとして知られていると書いてありました
現在の高瀬家は19代目だそうで、私達二人の為に細かく説明してくれました。
顔出しの了解を頂いてます。
第九代目の当主が徳川家に献上した「奇應丸」の製造販売を始めたそうです。
第十三代目が最後の武士で、昔は↑写真に写ってる高い所までが庭だったそうで
高い所にある家が建ってる場所が道場?っだたそうで、其処で反対派に寄って首を切られたそうです。
今では庭の中に線路が走り電車が通ってるそうですが、電車が走る為に土地を譲られたそうです。
2階に上ると島崎藤村に関係する資料が凄~い
お姉さんの園さんは第十四代目に嫁いでいるので、その関係から独身の頃から高瀬家に来て
2か月間ほどよく滞在してたそうです。
結婚し妻の冬さんが何人目かの子供を産んだ後肥立ちが悪く 亡くなってしまい
子供の養育に困った藤村は、姉の園さん宅に子供一人を10年間ほど預けたそうです。
①島崎藤村 ②高瀬家16代目当主 ④預かった子供 ⑤16代当主の妻
16代当主は現在の19代当主の父親の祖父と話しは聴きましたが、③はもしかして18代目(父親)の赤子の頃・・・
お姉さんが亡くなられた後も島崎藤村は、よく遊びに来てたそうです。
子供を預かって貰ったお礼に掛け軸2本をお礼に書いてくれたそうです。
邸内にはお休み処も設けられゆっくり出来ますし、今回は当主さんからお茶まで戴きました。
とてもすべては載せ切れませんが、とにかく面白いので興味のある方は是非いらして下さい。
その後は「木曽馬の里」に行きましたが、木曽馬は長野県の天然記念物として1200年にも及ぶ
歴史の中で優れた馬として名声が高まり、木曽義仲が京都へ攻め上る際の軍馬の主力だったそうです。
このお馬さん可愛い、おとなしくて触らせてくれます。
雑草をとって掌に乗せれば手から直接雑草を食べてくれますよ
これで予定は全部行きましたので、ホテルに向かい
今日・明日の宿の「木曽駒高原ホテル」に16時頃に着き、部屋に向かいました。
夕食まで温泉に浸かり、お腹が空いてたので17時半の夕食にして貰い
部屋に戻ってベッドに横になったらそのまま寝てしまい、夜中に目が覚めやる事が無いので
スマホで木曽義仲の勉強をしました
2日目は次回ね!
木曽でしたか。
義仲館も高瀬資料館も知りませんでした。
「夜明け前」は読みましたが、ちゃんとモデルがあったのですね。いろいろな事情がとてもよくわかりました。
勉強になりますね。
「福島関所跡」見られたのですね。
東海道にはこの4つのうち2つ、そのうち新居関に行きます。箱根も私はまだ行っておりません。
木曽馬立派ですね。
良い旅をされてきましたね。
なかなか行けない所ではないでしょうか?
木曽義仲と巴御前 は「新平家物語」を読んだ時 詳しく書かれてありまして京都へ入っていて平家を追い出した下りなどとっても面白かったことを思い出しました。
田舎者の義仲は都の公家たちとの付き合い 暮らしになじんでいけなったことはそうだろうなぁ~って思いました。
私もいつか行ってみたいですね~~。
続き楽しみです。
とても興味深く読ませてもらいました
由緒ある高瀬家のこともなるほどでした
藤村の資料が多いのはお姉さんの嫁ぎ先であったことからなのですね
今古い文庫本を引っ張り出して「夜明け前を」読み返しているので
地名や名前などもう一度注意しながら読みたいです
旅行って楽しいです。
毎回、旅行先で全国には名前が知られて無くても、その土地の名士だった方で
銅像が立ってたり生家が保存してあったりで勉強になります。
教科書や人から聴いても覚えられないのですが、直接知る事により覚えていられます。
今回は3日目も島崎藤村漬けでした。
「夜明け前」を読んだのですね、その中に13代目が植松昌助として登場してるようです。
箱根の関所は人形で当時の関所を再現してます。
中々面白かったですよ。
我が家からは中央高速が近いので長野方面が多いのですが
木曽は去年の7月に行ってて2回目です。
「新平家物語」を読まれたのですね、yasukonさんは物覚えがいいですね。
私は木曽義仲と巴御前の名前は知ってましたが、どんな方だったか忘れていて
今回「義仲館」に行って分かりました。
此処、面白かったです。
私の記事を興味深く読んで下さって嬉しいです。
高瀬家ですが沢山の資料がありますが、今回19代当主の方が細かく説明してくれたので
凄く面白かったです。
何処の資料館でも説明を聴くか聴かないかで頭の中に入る度合いが違います。
「夜明け前」を読み返してるのですか、偶然ですがその中に登場してくる植松昌助が
13代目で最後の武士で首を取られた当主だそうです。
私も説明を聴きながら、読んだのに殆ど覚えてないので
もう1度読んだら内容が更に分かると思います。
昨日投稿したはずなのに、なぜか
消えていました。
ラッシーママさん、今回も珍しい所に行かれましたね。
義仲館も、高瀬資料館も知りませんでした。
大河ドラマで木曾の義仲が出てきても
たいていは脇役で、巴御前の事も
何となくしか知りませんでした。
このブログで人とても勉強になりました。
ラッシーママさん、いろいろな所に行かれるようになって、さらに歴史好きになられたようですね。
高瀬家資料館も興味深いです。
藤村は馬籠宿の家が好きで3回ほど行った事がありますが、小説はほとんど覚えていません。
地方には立派な家が残っているのですね。
投稿したのに消えていた・・・私も経験あります。
今回泊まるホテルが木曽ですので、その近くの観光地を調べたら出てきました。
私も義仲も巴御前も名前を知ってる程度でしたが、「義仲館」に行ったら凄い人だったのが分かりました。
頼朝が平家を滅亡させたように歴史では習いましたが、その前に義仲が平家を追いやって
その結果が頼朝に軍配が上がったのです。
西に平家・京に義仲・東に頼朝と、日本を3分断してた時があったようです。
今回勉強して中々魅力的な武将だったように思いました。
NHKの大河ドラマになると面白いかなぁ・・・
高瀬家の資料館、藤村の事が一杯あります。
3日目も藤村関係が一杯でした。
今回の説明が面白くて、じっくり読ませてもらいましたよ。
木曽義仲と源頼朝、義経が従兄弟も知りませんでした。
義仲と巴御前は睦まじかったんですね♪
飾ってある像が人間に近くて、ビックリでした。
次回も楽しみです~
私も木曽義仲については名前を知ってる程度でしたが、義仲館に入って凄い人だったのだと知りました。
読んでると人間臭くて不器用ですが飾り気のない男のようで好きになりました。
皆に知って欲しくて細かく載せました。
此処の人形も立派ですので、機会があったら行ってみて下さい。