今日はもう2月3日で節分で、私が子供の頃は夕方になるとあちこちから「鬼は外、福は内」と豆まきの声が聞こえ
撒いた豆を拾って自分の歳の数だけ食べる・・・今では全く聞こえませんが他所様では豆撒きをやっているのでしょうか?
我が家でもラッシーが健在だった頃は、ラッシーを鬼に見立て豆をぶつけては「鬼は外、福は内」とやってましたが
ラッシーは遊んで貰ってると撒かれた豆を喜んで食べてましたわ。
撒く豆もラッシーがいた頃は大豆でしたが、ラッシーが亡くなってからは殻付きの落花生に替えましたが
その後は何も撒かなくなって何年になるかしら?
今は節分と言うと恵方巻ですが、その恵方巻も関西発祥らしく関東に出回ったのは10数年前からですよね。
最初、スーパーに売り出された頃は、今のように大々的に売れるとは思ってもいなかったですが
今日、買い物に行ったら恵方巻の種類が沢山あって、後から後から追加して持って来てましたが
皆さん、買ってますね、私も買ってきて夕飯は簡単に済ませてしまいました。
2月になったので部屋をお雛様バージョンに替えました。
伊東に家を買ってから12,3年になりますが、買ってすぐに伊豆稲取の「雛のつるし飾りまつり」を観に行き
すっかり魅了され自分で作りたいと思ったのですが、伊豆では教えてる教室は多いのですが
今でこそ吊るし飾りはあちこちで教えてますが、私が済んでる地域では10年以上前は教えてる教室が無くて本を見て自己流で作りだしたのが初めです。
1つ1つの作品は作ったのですが纏め方が分からず、小物の作品は沢山作ってありました。
その後2,3年経った頃に地元のカルチャーセンターで吊るし雛の教室が開講されました。
その教室で吊るし雛が完成したのは2年後、やっと纏め方も分かったので教室は辞め
それまでに作ってあった小物も纏めたので、やっと二つの吊るし飾りが出来たのです。
それでも部屋に飾った時は嬉しかったですが、今思うと寂しい部屋でしたね。
毎年一つづつ大物を増やし去年は御殿まりを作り上げる事が出来ました。
今年もお雛様を作りもう時期に完成するので、出来あがったら見て下さいね。
昨日(2日)歌舞伎座に「二月大歌舞伎」を観に行って来た。
十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」
加茂堤・筆法伝授・道明寺で「学問の神様」菅原道真を描いた壮大な歴史絵巻
この日が初日だった。
この芝居は十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言で3男の現片岡仁左衛門さん兄弟が演じてるようで
私は現片岡仁左衛門さんの名前は知ってる程度でしたが
先日観たシネマ歌舞伎の「廓文章 吉田屋」での仁左衛門と玉三郎の演技に魅了され
偶々チケットを持ってた方に急用が入り行けなくなったのでと、1等席のチケットが安く手に入ったのです。
学問の神様と親しまれる菅原道真(片岡仁左衛門)の太宰府流罪の悲劇の義太夫狂言です。
養女にした刈屋姫と帝の弟・斎世親王が恋仲になり、菅原道真の政敵の藤原時平の陰謀で太宰府に流罪となり
船出を待つ間、伯母覚寿(玉三郎)の館に立ち寄ります。
此処には覚寿の実の娘でもある刈屋姫も匿われていますが、流罪のきっかけとなった娘に菅原道真との対面を許しません。
この覚寿は白髪頭の老婆なのですが、その役を玉三郎が演じてるのです。
あの玉三郎が、こんな老け役を演じてるのかとビックリしましたが流石玉三郎、気品があって真の強さを打ち秘めた情愛に溢れた女性
菅原道真も娘の顔を見たいのですが罪を背負った自分が観る事は叶わぬ事と、去ってゆくのですがその心境の辛さを見事に演じてて
仁左衛門と玉三郎の演技に神髄惚れました、素晴らしかったの一言です。
観てる私も胸に迫るものがありました。
私には未だ歌舞伎と言うものがどんなものか分からないのですが、これが本当の歌舞伎と言うものかと思い心底楽しめました。
又、菅原道真(仁左衛門)と刈屋姫(千之助)は祖父と孫だそうですが、刈屋姫は可愛かったですよ。
撒いた豆を拾って自分の歳の数だけ食べる・・・今では全く聞こえませんが他所様では豆撒きをやっているのでしょうか?
我が家でもラッシーが健在だった頃は、ラッシーを鬼に見立て豆をぶつけては「鬼は外、福は内」とやってましたが
ラッシーは遊んで貰ってると撒かれた豆を喜んで食べてましたわ。
撒く豆もラッシーがいた頃は大豆でしたが、ラッシーが亡くなってからは殻付きの落花生に替えましたが
その後は何も撒かなくなって何年になるかしら?
今は節分と言うと恵方巻ですが、その恵方巻も関西発祥らしく関東に出回ったのは10数年前からですよね。
最初、スーパーに売り出された頃は、今のように大々的に売れるとは思ってもいなかったですが
今日、買い物に行ったら恵方巻の種類が沢山あって、後から後から追加して持って来てましたが
皆さん、買ってますね、私も買ってきて夕飯は簡単に済ませてしまいました。
2月になったので部屋をお雛様バージョンに替えました。
伊東に家を買ってから12,3年になりますが、買ってすぐに伊豆稲取の「雛のつるし飾りまつり」を観に行き
すっかり魅了され自分で作りたいと思ったのですが、伊豆では教えてる教室は多いのですが
今でこそ吊るし飾りはあちこちで教えてますが、私が済んでる地域では10年以上前は教えてる教室が無くて本を見て自己流で作りだしたのが初めです。
1つ1つの作品は作ったのですが纏め方が分からず、小物の作品は沢山作ってありました。
その後2,3年経った頃に地元のカルチャーセンターで吊るし雛の教室が開講されました。
その教室で吊るし雛が完成したのは2年後、やっと纏め方も分かったので教室は辞め
それまでに作ってあった小物も纏めたので、やっと二つの吊るし飾りが出来たのです。
それでも部屋に飾った時は嬉しかったですが、今思うと寂しい部屋でしたね。
毎年一つづつ大物を増やし去年は御殿まりを作り上げる事が出来ました。
今年もお雛様を作りもう時期に完成するので、出来あがったら見て下さいね。
昨日(2日)歌舞伎座に「二月大歌舞伎」を観に行って来た。
十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」
加茂堤・筆法伝授・道明寺で「学問の神様」菅原道真を描いた壮大な歴史絵巻
この日が初日だった。
この芝居は十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言で3男の現片岡仁左衛門さん兄弟が演じてるようで
私は現片岡仁左衛門さんの名前は知ってる程度でしたが
先日観たシネマ歌舞伎の「廓文章 吉田屋」での仁左衛門と玉三郎の演技に魅了され
偶々チケットを持ってた方に急用が入り行けなくなったのでと、1等席のチケットが安く手に入ったのです。
学問の神様と親しまれる菅原道真(片岡仁左衛門)の太宰府流罪の悲劇の義太夫狂言です。
養女にした刈屋姫と帝の弟・斎世親王が恋仲になり、菅原道真の政敵の藤原時平の陰謀で太宰府に流罪となり
船出を待つ間、伯母覚寿(玉三郎)の館に立ち寄ります。
此処には覚寿の実の娘でもある刈屋姫も匿われていますが、流罪のきっかけとなった娘に菅原道真との対面を許しません。
この覚寿は白髪頭の老婆なのですが、その役を玉三郎が演じてるのです。
あの玉三郎が、こんな老け役を演じてるのかとビックリしましたが流石玉三郎、気品があって真の強さを打ち秘めた情愛に溢れた女性
菅原道真も娘の顔を見たいのですが罪を背負った自分が観る事は叶わぬ事と、去ってゆくのですがその心境の辛さを見事に演じてて
仁左衛門と玉三郎の演技に神髄惚れました、素晴らしかったの一言です。
観てる私も胸に迫るものがありました。
私には未だ歌舞伎と言うものがどんなものか分からないのですが、これが本当の歌舞伎と言うものかと思い心底楽しめました。
又、菅原道真(仁左衛門)と刈屋姫(千之助)は祖父と孫だそうですが、刈屋姫は可愛かったですよ。