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デイリーからカルトワインまで、日々探し求めては飲んだくれているワイン屋のおはなし。

金鍔次兵衛のおはなし

2016年05月22日 | マイナー探訪
きょうはちょっと変わって、どーでもいいおはなしを書いてみますね。


「金鍔」(きんつば)という場所をご存知でしょうか。

長崎市内から戸町のトンネルを抜けて、ほんの少し先です。
バイク屋さんの「レッドバロン」やクロネコヤマト南長崎支店があるところです。



ここがなぜ金鍔と言われるようになったのか・・・というおはなしです。

お菓子の「きんつば」を作っていたから・・・ではないのです。



かつて大村で生まれた「トマス次兵衛」という人がいて、キリシタン追放令を受けて
マカオに行き、そこで宣教師となり、長崎へ変装して(武士の格好をして)戻ってきました。

その後キリスト教の伝道師となり1600年代前半に暗躍。
役人から追われ、逃げて回っていたのです。結局は密告により捕らえられ、処刑された
のですが、武士の格好をした時に「金色の鍔」をつけていたことから「トマス金鍔次兵衛」
と言われたのでした。

で、彼が潜んでいた洞窟というのが、この地にあり、「金鍔」と言われる由来となったのです。





この岩山がそうです。(別名 金鍔谷ともいう)



道路から登るとすぐに行けます。しかし当時は道路はなく、崖と海(小さな湾)だったので、
ここへ近づくのは難しかったことでしょう。


登り口には「金鍔大師院」という霊場にもなっている旨の看板。




登っていくと洞窟が出てきます。





さあ、上がりますよ。


安全のためチェーンまでもあります。



中はこんな感じ。







洞窟から当時の入り江を見るとこうです。



外海の先、神ノ浦地区に「次兵衛岩」(その山中にも潜んでいた)というのがあるのですが、
そこへは山道を1時間以上登らないと行けないそうなので、いつかはチャレンジしてみたいのです。
そこは金鍔岩とは言わなくて、次兵衛岩なんですけどね。入口にはこんな案内板が立っています。



戸町の金鍔と、神ノ浦地区(外海地区)、宣教師、キリシタン弾圧がつながります。
(遠藤周作の「沈黙」もこうした題材です)

ちなみに彼が処刑された1637年は「島原の乱」が勃発した年です。
いかにこの頃、幕府がキリシタン弾圧に相当躍起になっていたのか想像できますね。


そんなわけで金鍔の由来をお話ししてみました。

詳細は検索されるといいでしょう。いろいろと出てくるので長崎人にとっては意外と面白いと思います。

正直、他県の方は禁教だの、弾圧だの、と言われてもピンと来ないかもしれません。
ちなみに私自身も無宗教です。

でも、どんな思想や宗教であれ、為政者が人の心をまでを支配しようとしてもそれは無理なんです。
それは現在も、そして未来もずっと同じです。歴史の証明だと思います。


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