外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

「言葉」の学習

2014年02月26日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

 「言葉」の学習

前のエッセイは、英語の先生へ向けるという形で、書かれたものですから、英語を学ぶ人へも一言。
述べるべきことは多岐にわたっていますから、まず一点だけ。

英語学習については、いろいろな固定観念、個人的な経験談が飛び交っています。その状況を利用して、詐欺まがいの商法も繰り返し行われています。

なぜでしょう。一つには、日本人は、欧州の人などと違い、子供の頃から、「外国語」の存在に親しんでいないから、という理由があると思います。変な言い方 に聴こえるかもしれませんが、日本人は「外国語が存在する」と思っていないのかもしれません。ある外国語があったとして、それが分からなくても、身近に見 聞きしていれば、自ずと「距離感覚」が生まれるでしょうが、そうでないので、「~すれば英語ができるようになる」という甘言にふらふらとなるのです。

では、「外国語が存在することが分かっている」とはどういうことでしょう。

それは、身近にまったく自分とは違う言葉を話す人が存在していることを身にしみていること、そして、そうでありながら、そういう人たちが自分とはあまり違 わない生活をしている人間だということもまた分かっていること。この二重の体験があると、外国語を知らなくても、また、学習を始めていなくても、外国語学 習についての幻想を掻き立てる広告には簡単に引っかからないと思うのですが…。

さて、世界には、日本人と同様、「外国語が存在しない」と思っている国民がもう一つあります。どこでしょう。それはアメリカです!。しかし、そうなった理由は、日本と逆。その理由とは…。

写真は、①斉藤博葬儀 グルー大使斉藤博の葬儀において遺族に挨拶するグルー米国大使


最新の画像もっと見る

コメントを投稿