れっつ、すっぴん、トーク

晴れたり、曇ったり、時には雨に降られたり。
空模様と心模様って似ているかもしれません。
すっぴんな思いを綴ります。

鬱っぽいけど、すだちサワー

2019-06-27 16:43:40 | Weblog
私が大好きな12歳上のお友達。
彼女にはテレパシーがあるのだろうか?
私が辛い時にいつもラインをくれる。

今朝は彼女からのラインで目が覚めた。
鬱っぽい最近の私。
過食、過眠である。

ランチに誘われて行くことにした。
バスで駅まで行って、そこから参道を歩いた。
フランス料理のお店である。
でも、そんなにはお高くない。

父の話にも耳を傾けてくれた。
私の事を待っていてくれたのよ、と言う。
一番遠くに住む私。
今回の経験はまさにそうかもしれない。

以前、彼女から頂いた大量のすだち。
一つずつスライスして種を取ってお砂糖を入れてタッパー
に入れ、冷蔵庫に常備している。

すだちサワーにして美味しく飲んでいる話を彼女にした。
笑っていたなぁ。

麻婆ナスを一品だけしか作れない。
掃除機は何日ぶりかでやっとかけた。
来月には実家へ行かないといけない。
管理組合の仕事もある。

大丈夫かな?

大丈夫だよね?お父さん。

そんな最近の私である。
難儀な病だなぁ、、、
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cちゃんのこと

2019-06-25 14:54:58 | Weblog
母から手続きで必要だからと電話をもらい、市役所
へ行って来ました。
市役所は駅の向こう側にあるので、はっきり言って
行きづらい場所にあります。
食べているのに笑われますが、私のダイエットは歩く
ことなので、徒歩で行って来ました。

印鑑登録をして、印鑑登録証二枚と、戸籍謄本一枚を
出してもらって来た。
私は千円行かないかな?と思っていたが全部で1350円
かかった。意外と高い。
でも、必要な物なので仕方がない。

父の葬儀で、いとこ達と何十年ぶりかで会った。
私は、近しい人達からは、あこちゃんと呼ばれていた。
いとこ達から、あこちゃん!と呼ばれ不思議な感じがした。
まるで子供の頃に戻ったかのようだった。

私が一番好きだった大阪のIちゃん。
一歳上の男性である。
いつも一緒に遊んでいた。

Iちゃんは一人っ子。
だけど、Cちゃんと言う妹がいた。
正確に言うと、いとこにあたる子なのだが、両親が亡くなり、
引き取られて来たのだ。
おじさんも、おばさんも、我が子同然に可愛がっていた。
私もよく遊んだものだった。

でも、IちゃんはCちゃんのことを一言も言わなかった。
今、どこで何をしているのか?
結婚したのだろうか?
私も、何となく聞きそびれた。

父の関係でもそういうおじさんがいる。
私のおばあちゃんが引き取って育てたおじさん。
父とは11歳離れている。

でも、そのおじさんからこんなエピソードを聞いた。
父が働いている時、高校生だったおじさんは、父のタバコを
隠れて吸っていたらしい。
それに気づいた父は叱らず、隠れて吸うな、火事になったら
大変だからな。と一本タバコをくれたらしい。
あの父が、という印象だった。
案外、話が分かった人だったのだ。

自分がお腹を痛めて産んだ子と、そうでない子を同じように
育てることは、並大抵ではないと思う。

Cちゃんが、どこかで幸せに暮らしているといいな。
そう思っている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨が洗い流してくれたね

2019-06-21 18:03:49 | Weblog
バタバタとした日々もようやく落ち着いて来ました。
少し鬱の傾向かな?
よく眠れます。
今朝も二度寝していてチーム新潟の先輩からラインが来て
いたのに、だいぶ経ってから気がつきました。
ごめんなさい🙏

前々から髪が気になっていた。
前回美容院へ行ったのが約二ヶ月前のこと。
私は、二ヶ月おきに美容院へ行っている。
ショートヘアなのでそれぐらいの周期がちょうど良い。

晴れていたら自転車で行こうと思っていた。
ところが、外は土砂降りの雨。
腹をくくって、大きな傘、濡れてもいい靴で出かけた。
それにしてもハンパではない振り方だった。
泣きたくなった。

美容院に着いたら、店長がタオル片手に出迎えてくれた。

はっきり言って、全身ずぶ濡れである。
でも、我慢して、カットとカラーをしてもらった。
髪はいつもよりも短めにしてもらった。

帰る頃には雨も止んでいた。

今思う。
あの雨が、私の心に降る涙も洗い流してくれた。
すっきりした襟足を触りながら、ふと、思った。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぬくもりを忘れない

2019-06-15 14:56:39 | Weblog
長い長い一週間を実家で過ごしました。
父を看取り、お通夜、お葬式を終えて昨夜我が家に
帰宅しました。

母からの電話を受け取ったのが6日の夕方だった。
父の主治医から、もう後一週間でしょうと言われ、
私の所に電話をくれたのだ。
私は母に明日新幹線で行くからと答えた。
本当は11日が精神科の日だったが、とりあえず
薬を出してもらおうと7日に行った。
それから、用事を済ませて、夫と娘にドライカレーを
作って出かけた。

電車の中でも無性に泣けて来た。
その日は実家に夕方着いた。そのタクシーで母と父の
グループホームに向かった。
痩せてやっと呼吸をしていた父。
ホームのスタッフに呼ばれて、夜勤は一人なので出来たら
ご家族の人に夜泊まりこんで欲しいと言われた。
私は、翌日泊まる事にした。

父と二人で過ごした8日の夜。
ずっと父の手を握り、足をさすってあげた。
そして、父に感謝の気持ちを伝えた。
父は一度だけ頷いて笑ってくれた。
私は、もうこれで充分だと思った。

9日は夕方ホームから連絡が来た。
呼吸が浅く、意識が朦朧としているので早めに来て
欲しいと言う。
母、私、弟の3人で駆けつけた。
往診に来た主治医から、今晩か明日の昼までが峠でしょうと
告げられた。
私は、母と二人で泊まる事にした。

父は、もう頷く事も出来なかった。
ホームのスタッフに、お酒を飲ませてあげましょうか?
と言われ、母が少しだけ唇を濡らせてあげた。
父は嬉しそうな表情だった。
お父さん、お酒好きだったものね。

だんだん、呼吸が早くなって行き、最後は大きく二度呼吸をした。
もう、それきりだった。
父は旅立ってしまったのだ。
6月9日、午後11時59分。
86歳9ヶ月の生涯だった。

翌朝、父をホームから葬儀社の人が来て運んだ。
スタッフ全員、入居者全員が見送ってくれた。
私は泣きながら、お世話になりありがとうございましたと
お辞儀をした。
愛されていたんだなぁと嬉しかった。

お通夜の時も、お葬式の時も、私が一番泣いていた。
伯母さんたちに、私が一番心配かけたと泣きながら言った私。
伯母さんは、お父さんはそんな風に思っていないよと言われた。
ありがとうございます。

まだまだ泣くと思うけど、父を看取る事が出来て本当に
良かったと思っている。
父とつないだ手のぬくもりは忘れない。

お父さん、本当にお世話になりました。
これからも見守っていてくださいね。
私も、前を向いてしっかり生きてゆきます。
ただ、今は気持ちの整理がつかない。

少しずつ、ぼちぼちとでいいんだよね。お父さん。
嫌なこと、辛いことがあったら空を見上げるといい。
その言葉を忘れないからね。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レシピなしでは

2019-06-04 17:16:59 | Weblog
いいお天気でした。
ひたひたと梅雨は近づいているようです。
こんな時こそと思い家族の毛布を洗いました。
夫の毛布、くたびれていました。今度新調した方が良さそうです。

私は家事の中でお料理が苦手である。
レシピなしで作れる料理は数少ない。
それが苦手だと言う証拠だろう。

母も夫も、何も見ないでお料理を作る。
いい加減、そう、いい意味でのいい加減なのだ。
何度も繰り返し作っている内に、指先が記憶したのだろうか?
私には到底出来ない技だ。

いつも、ご飯の支度をする時は、レシピを見ながらである。

先日、バンバンジーを作った。
レシピでは、鶏むね肉を茹でていた。
なので時間どおりに見ながらやっていた。
側で見ていた夫は、そんなの肉を切れば早く火が通るのに、
と言い出した。
確かにその通りだと思う。
でも、レシピ至上主義の私は、書いてある通りにやりたい。
だって、失敗したくないんだもの。

朝、気まずく会社に行った娘。
振り返りもせずに行ってしまった。
リアルに家を出ようと思ってるって、本気だろうか?
いずれは出て行く娘だけど、喧嘩別れだけは嫌だな。
もやし入りハンバーグ、作り過ぎちゃったな、、、

私が子離れ出来ていないんだとは分かっている。
昨夜、あんなに笑いながら夕ご飯を食べたのにね。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする