スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

クロアチア旅行その5

2012-08-10 23:27:11 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
空港からバスで市街に近づく。この近辺は急斜面であり、道路はいずれも切通しの様な状況である。中には一方通行の道路も見える。しかしこの急斜面から見下ろす海の光景は美しい。青い海面に船が浮かび、その脇を玩具の様に見えるクルーザーが通り抜けて行く。
紛争の続き。包囲は7カ月に及んだが、結局街が陥落する事はなかった。現代の戦争は良くも悪くも情報戦、宣伝戦の側面がある。この包囲戦もクロアチアサイドの宣伝に最大限に活用されたのである。前述の通りこの街並みは世界遺産であり、これが砲撃を受けている(画像をご覧になりたい方は、「Dubrovnik, war」でyoutubeなどで検索されたし)状況は西側ジャーナリスト達によって各国に報道され、国際世論の形成に少なからず貢献した。圧倒的に悲惨な戦場で死傷者数もケタ違いであったブコヴァルよりも、こちらの方が注目を集めるというのは何とも皮肉であるが、情報戦というのはそういうものなのだろう。
最終的に街を救ったのは隣国ボスニア・ヘルツェゴビナでの内戦開始である。人民軍側は部隊の一部をボスニア・ヘルツェゴビナ側に移動せざるを得なくなり、この機に乗じたクロアチア軍の攻撃で撤退して行った。ドブログニクとしては良かったのであろうが、このボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はユーゴ内戦の中でも最悪かつ最も悲惨な戦闘となる。民族浄化という単語は皆様も聞き覚えがあるだろう。なお、イビチャ・オシム前日本サッカー監督はこの内戦の体験者である。(戦火は逃れたが、戦地の家族と離れ離れになる体験をしている)
Wikipedia「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」
戦争の話を少し長く続け過ぎてしまった。ひとまずは美しい景色の写真を何枚かご覧頂きたい。下右がバスから見えたドブログニク旧市街である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クロアチア旅行その4 | トップ | クロアチア旅行その6 オノフ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行(クロアチア・ドブログニク2012)」カテゴリの最新記事