人間、新しい価値観に遭遇した時、悩み、戸惑い、時には拒絶し、ふさぎ込んでしまったりすると思います。
今まで当然と思ってきたことが揺らぐことは、自分の辿ってきた道を不透明にし、
今足をつけている地面が揺らぐのではないか?
と不安になり心が定まらなかったりします。
そのような時、「自分ってなに?」ってことを意識してみると、意外な事実に辿り着いたりするみたいです。
ユング心理学の紹介者、河合隼雄氏の著書によると、
「私は○○です。」
との問いの「○○」に20問書き込み、その後、消してもいいかな?と思う項目を消していくと、残った部分は大事であったりする場合が多い。
と述べています。
なるほど、なんでコレが残ってアレがいらないんだろう。
まあ、日本人の場合「職業」が残ることが多いのは、別の意味があったりしますがそこは置いておいて・・・
基本的に忙しいときに、「自分ってなに?」なんて馬鹿げた問いかけをしている暇はないですよね。
ワタシはここ数年、めちゃくちゃ暇ですので悶々と考えていたりしました。
考える時期、思い悩む時期、ふさぎ込み時期、薬に頼る時期、病院に行く時期・・・
自分ではいかんともし難い“タイミング”というものが、あるのだと思います。
それに対して強がって、粋がって、強情で、
「休んでられない」
と自分自身にむち打っちゃうと、やっぱり抑うつ状態になったりするんでしょうね。
結構軽く書いていますが、本人的にはもの凄く苦痛だったりします。
毎日「う゛ーん」としょーもないことで悩んで、自滅して「人生って苦行やなあ」と言っているワタシは、周りの人に言わせれば、
「バカなことで悩んでないで、きちんと働け!」
ってなとこでしょうが、“クリエイティブ・イルネス”なんてのがあったりします。
ワタシの脳内をくまなく調べたら、ほとんどが『生きていくためには特に必要ではない煩悩』だったりします。
この間、カウンセリングで「ペットボトルについて悩んでいる」
と深刻そうに話していたかと思うと、
今度は、「今年は皆既日食が日本でも見られるのに、今住んでるとこでは見られないのが悔しい」
と、まあ、ほんとうにあほらしい(一応深刻な悩みも少しくらいはあります)。
あほらしいですが、それそのものが“不定愁訴”と呼ばれるものであったりして、臨床心理士さんの手を煩わせています。
自己の内面にある壁を乗り越える時、大いなる葛藤がそこにはあり、その峠を越えることが『創造性』だったりします。
創造は何かを犠牲にしなきゃいけない、というのではなく、心理的葛藤であり、今までの自分の「常識」を打ち破る行為だったりするんでしょうね。
本人が思っているほど、この世の中は束縛や抑圧をされていなかったりすると思います。
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