皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

変化が訪れる時には葛藤がある - 節目で揺らぐ自分の価値観は飛躍の始まり -

2009-01-19 17:44:19 | 雑記

人間、新しい価値観に遭遇した時、悩み、戸惑い、時には拒絶し、ふさぎ込んでしまったりすると思います。

今まで当然と思ってきたことが揺らぐことは、自分の辿ってきた道を不透明にし、
今足をつけている地面が揺らぐのではないか?
と不安になり心が定まらなかったりします。

そのような時、「自分ってなに?」ってことを意識してみると、意外な事実に辿り着いたりするみたいです。


ユング心理学の紹介者、河合隼雄氏の著書によると、

「私は○○です。」

との問いの「○○」に20問書き込み、その後、消してもいいかな?と思う項目を消していくと、残った部分は大事であったりする場合が多い。

と述べています。


なるほど、なんでコレが残ってアレがいらないんだろう。
まあ、日本人の場合「職業」が残ることが多いのは、別の意味があったりしますがそこは置いておいて・・・
基本的に忙しいときに、「自分ってなに?」なんて馬鹿げた問いかけをしている暇はないですよね。

ワタシはここ数年、めちゃくちゃ暇ですので悶々と考えていたりしました。
考える時期、思い悩む時期、ふさぎ込み時期、薬に頼る時期、病院に行く時期・・・
自分ではいかんともし難い“タイミング”というものが、あるのだと思います。
それに対して強がって、粋がって、強情で、
「休んでられない」
と自分自身にむち打っちゃうと、やっぱり抑うつ状態になったりするんでしょうね。
結構軽く書いていますが、本人的にはもの凄く苦痛だったりします。

毎日「う゛ーん」としょーもないことで悩んで、自滅して「人生って苦行やなあ」と言っているワタシは、周りの人に言わせれば、

「バカなことで悩んでないで、きちんと働け!」

ってなとこでしょうが、“クリエイティブ・イルネス”なんてのがあったりします。
ワタシの脳内をくまなく調べたら、ほとんどが『生きていくためには特に必要ではない煩悩』だったりします。
この間、カウンセリングで「ペットボトルについて悩んでいる」
と深刻そうに話していたかと思うと、
今度は、「今年は皆既日食が日本でも見られるのに、今住んでるとこでは見られないのが悔しい」
と、まあ、ほんとうにあほらしい(一応深刻な悩みも少しくらいはあります)。

あほらしいですが、それそのものが“不定愁訴”と呼ばれるものであったりして、臨床心理士さんの手を煩わせています。

自己の内面にある壁を乗り越える時、大いなる葛藤がそこにはあり、その峠を越えることが『創造性』だったりします。
創造は何かを犠牲にしなきゃいけない、というのではなく、心理的葛藤であり、今までの自分の「常識」を打ち破る行為だったりするんでしょうね。


本人が思っているほど、この世の中は束縛や抑圧をされていなかったりすると思います。

 



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