< 17日 >
例の電動チャリンコに乗って、お花を買って、じっちゃんのお墓のお掃除にでかける。霊園内、トンネルから先の急こう配は手押し車となる。確か 25キロ位だったかな?バイクよりは軽いけれど・・・。きつい。
< 18日 >
弘明寺さんに出かける。このところ、ずっと体調がいまいちなので、行くのをよそうかな?と思っていたが、マンマミーヤが、「 行こう 」と言うので思いきって出かけた。さすがに地震の後だったせいか、人数はいつもの2/3 位だった。
ここの本堂は、関東大震災の時も、戦時中の横浜の空襲のときにも、大丈夫だったらしい。木組みという工法は大層丈夫で、 1000年間 持つように作られているのだそうだ。形あるものは、いずれなくなるとはいえ、1000年もの間、壊れずに建っている建築物をみると、日本の匠、宮大工の仕事に大層憧れる。母方の先祖は宮大工だったらしい。こころ魅かれるのはそれ故なのか?
この日は、特別、”自分や自分の家族の為だけではなく、東北の地震でお亡くなりになった方々の菩提と被災地の復興の為に祈ることになった。ワタシも 祈りは天に通ずるものだと思っている。
しかしながら、もにょもにょの観音経は相変わらずである。
< 19日 >
家族でじっちゃんのお墓参りに行く。おはぎと道明寺をお供えする。お茶とリンゴジュースも。
ジャパンは仕事なので欠席。帰り途 買い物。必要なものだけを買うようにしている。
< 20日 >
マンマミーヤとお買いもの。500円の買い物券 + 全品10%引きの日だったので、学校に通うためのスニーカーを買う。バスケットシューズみたいなスニーカー、白。(これは高かった、お祝いじゃ)あと 閉店するらしい靴屋さんで、パンプス。1000円、可愛い。
ワタシも欲しい、かる~~い バックがあったが、マンマミーヤに却下された。まあなくても特に不自由はしないから、いいや。
こういった、バーゲン、セールをやっている場所にいくと、得した気分になって買いたくなるので要注意だな。帰ってよく良く考えると、買わなくてよかった~って思う。荷物が増えるだけ。
その後、ロッテリアでハンバーガーを食べ、一人、I ちゃんの病院に向かう。面会時間にちょっと間があったので、週間朝日を読む。フューチャ―リーダーのみよこ先生の人生相談みたいなのに、病気ばっかりしているヒトの相談が載っていた。
確か、体半分、左側は先祖がそのヒトを頼ってきているんだ とか? ワタシもず~~~っと 左半身をやられてきたので、なるほど ふむふむと読んだのだけれど、先祖供養をやるのがいいらしい。何もきちんきちんとお墓参りをしなくたって、気づいた時に、お茶を入れて、どうぞ!って供えるだけでもいいのだそうな。
< 病院面会 >
I ちゃんは 面会をとても喜んでくれた。地震はこわかったけれど、看護師さんも、食堂の係の方も頑張って働いてくださるので、全く不自由ではなかったらしい。唯一 食事についている牛乳だけはないらしい。
部屋の片づけをしていて出てきた、S ちゃんの写真。スターさん達の写真をあげたらとても喜んでくれた。5月の Sちゃんの命日には 二人だけでお墓参りに出かけたい と言われた。こんな事を言ってはいけないのだけれど、A 牧師さんとでかけると、お話が 恐ろしくなが~~いのだ。
< 21日 >
朝から 掃除 & 家事。 おじさま(=とうちゃん)と マンマミーヤと ワタシの バラバラの個性が、三日も一緒にすごすと、限界点がきた。ワタシと マンマミーヤ
の 喧嘩が・・・とうちゃんと マンマミーヤの
喧嘩になり・・・ホント こんな時にどうよ?と思うけれど、相性の悪い家族ってあるんですわ。
それにしても喧嘩の度に思うんですけど、話せばわかる。なんていうことありませんから。どちらかが我慢してるだけです。我慢比べ。そして、ある日突然、晴天の霹靂なんです。
> 希望
各々の独立。もう古い因習にのっかるのはやめにした。アホらしいんでね。その上で、ルームシェア―みたいなのが理想。明日のいのちがわからないんだから 尚のこと、自分の人生しっかりかんがえなくちゃね。と思った。
>写真は、カーテンレールにフックをかけて、洗濯ものを干せるようにしてみた。一応放射能対策のつもり。この先どうなるんだろう?それにしても 節電する気のあまりない人々と暮らすのは気分が悪い。
例の電動チャリンコに乗って、お花を買って、じっちゃんのお墓のお掃除にでかける。霊園内、トンネルから先の急こう配は手押し車となる。確か 25キロ位だったかな?バイクよりは軽いけれど・・・。きつい。
< 18日 >
弘明寺さんに出かける。このところ、ずっと体調がいまいちなので、行くのをよそうかな?と思っていたが、マンマミーヤが、「 行こう 」と言うので思いきって出かけた。さすがに地震の後だったせいか、人数はいつもの2/3 位だった。
ここの本堂は、関東大震災の時も、戦時中の横浜の空襲のときにも、大丈夫だったらしい。木組みという工法は大層丈夫で、 1000年間 持つように作られているのだそうだ。形あるものは、いずれなくなるとはいえ、1000年もの間、壊れずに建っている建築物をみると、日本の匠、宮大工の仕事に大層憧れる。母方の先祖は宮大工だったらしい。こころ魅かれるのはそれ故なのか?
この日は、特別、”自分や自分の家族の為だけではなく、東北の地震でお亡くなりになった方々の菩提と被災地の復興の為に祈ることになった。ワタシも 祈りは天に通ずるものだと思っている。
しかしながら、もにょもにょの観音経は相変わらずである。
< 19日 >
家族でじっちゃんのお墓参りに行く。おはぎと道明寺をお供えする。お茶とリンゴジュースも。
ジャパンは仕事なので欠席。帰り途 買い物。必要なものだけを買うようにしている。
< 20日 >
マンマミーヤとお買いもの。500円の買い物券 + 全品10%引きの日だったので、学校に通うためのスニーカーを買う。バスケットシューズみたいなスニーカー、白。(これは高かった、お祝いじゃ)あと 閉店するらしい靴屋さんで、パンプス。1000円、可愛い。
ワタシも欲しい、かる~~い バックがあったが、マンマミーヤに却下された。まあなくても特に不自由はしないから、いいや。
こういった、バーゲン、セールをやっている場所にいくと、得した気分になって買いたくなるので要注意だな。帰ってよく良く考えると、買わなくてよかった~って思う。荷物が増えるだけ。
その後、ロッテリアでハンバーガーを食べ、一人、I ちゃんの病院に向かう。面会時間にちょっと間があったので、週間朝日を読む。フューチャ―リーダーのみよこ先生の人生相談みたいなのに、病気ばっかりしているヒトの相談が載っていた。
確か、体半分、左側は先祖がそのヒトを頼ってきているんだ とか? ワタシもず~~~っと 左半身をやられてきたので、なるほど ふむふむと読んだのだけれど、先祖供養をやるのがいいらしい。何もきちんきちんとお墓参りをしなくたって、気づいた時に、お茶を入れて、どうぞ!って供えるだけでもいいのだそうな。
< 病院面会 >
I ちゃんは 面会をとても喜んでくれた。地震はこわかったけれど、看護師さんも、食堂の係の方も頑張って働いてくださるので、全く不自由ではなかったらしい。唯一 食事についている牛乳だけはないらしい。
部屋の片づけをしていて出てきた、S ちゃんの写真。スターさん達の写真をあげたらとても喜んでくれた。5月の Sちゃんの命日には 二人だけでお墓参りに出かけたい と言われた。こんな事を言ってはいけないのだけれど、A 牧師さんとでかけると、お話が 恐ろしくなが~~いのだ。
< 21日 >
朝から 掃除 & 家事。 おじさま(=とうちゃん)と マンマミーヤと ワタシの バラバラの個性が、三日も一緒にすごすと、限界点がきた。ワタシと マンマミーヤ










それにしても喧嘩の度に思うんですけど、話せばわかる。なんていうことありませんから。どちらかが我慢してるだけです。我慢比べ。そして、ある日突然、晴天の霹靂なんです。
> 希望
各々の独立。もう古い因習にのっかるのはやめにした。アホらしいんでね。その上で、ルームシェア―みたいなのが理想。明日のいのちがわからないんだから 尚のこと、自分の人生しっかりかんがえなくちゃね。と思った。
>写真は、カーテンレールにフックをかけて、洗濯ものを干せるようにしてみた。一応放射能対策のつもり。この先どうなるんだろう?それにしても 節電する気のあまりない人々と暮らすのは気分が悪い。