父と子は、つい今しがたまで、この浜辺近くの仕舞屋の一室で時を過ごしていた。子は確かに、時を過ごしていた。特別に退屈もしていなかったけれども、単調な時間であった。男気の感じられないその部屋は、私にとっては、別に珍しくもなかったし、父が,女と対座している姿も、日頃の検番で見馴れていることであり、ことさらに憶測する気も起きなかった。
壁に二挺、三味線が掛っていたことは憶えている。だが、その時の父とその女性との会話がどんなものであったかは、何一つ憶えがない。というより、一向に言葉がやりとりされた光景がない。おそらく、商用に関することは私に分からなかったのであろう。しかし、はっきりと、その女性の姿態だけは私の網膜に焼きついてしまっている。姿態というのは気が引ける言葉である。小学校二年生の子供に、男が女を観る観察眼などあるわけがない。けれども、私にとっては、姿態であった。浮世絵を初めて見る者が、それ以前に、その類似の姿態を見たこともないくせに、昔から知っているように感じるのと似ている。
それと、私には、何の根拠もないのに、これが四郎さんの腕に残された志乃ではないのかと、盗み見以上に、その時間の終わるまで、その姿態に瞳を凝らしたのである。
この明石行きの思い出の中には、父からみれば、どこか他に私の子どもらしさがあったものか、私が大きくなってからも、父はよく口にしたことがある。
「電車の中に、折角拾った貝を、忘れてしもうて、わややったの。」
私は、「うん」といつも頷くことにはしていたが、それが事実だったとする記憶はあっても、拾った貝殻をどう持っていたのやら、電車の網棚に置き忘れたのやら、座席の上であったのやら、一向に絵としては思い出されてこなかった。父は、本当に、私が思い出すものが、拾った貝殻以外には及ばないとしているのだろうか。却ってわざと、貝殻に集中させることによって、私の口を封じようとしているのではないか、などと疑ったりしたほどであった。
壁に二挺、三味線が掛っていたことは憶えている。だが、その時の父とその女性との会話がどんなものであったかは、何一つ憶えがない。というより、一向に言葉がやりとりされた光景がない。おそらく、商用に関することは私に分からなかったのであろう。しかし、はっきりと、その女性の姿態だけは私の網膜に焼きついてしまっている。姿態というのは気が引ける言葉である。小学校二年生の子供に、男が女を観る観察眼などあるわけがない。けれども、私にとっては、姿態であった。浮世絵を初めて見る者が、それ以前に、その類似の姿態を見たこともないくせに、昔から知っているように感じるのと似ている。
それと、私には、何の根拠もないのに、これが四郎さんの腕に残された志乃ではないのかと、盗み見以上に、その時間の終わるまで、その姿態に瞳を凝らしたのである。
この明石行きの思い出の中には、父からみれば、どこか他に私の子どもらしさがあったものか、私が大きくなってからも、父はよく口にしたことがある。
「電車の中に、折角拾った貝を、忘れてしもうて、わややったの。」
私は、「うん」といつも頷くことにはしていたが、それが事実だったとする記憶はあっても、拾った貝殻をどう持っていたのやら、電車の網棚に置き忘れたのやら、座席の上であったのやら、一向に絵としては思い出されてこなかった。父は、本当に、私が思い出すものが、拾った貝殻以外には及ばないとしているのだろうか。却ってわざと、貝殻に集中させることによって、私の口を封じようとしているのではないか、などと疑ったりしたほどであった。