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昨年12月は残業時間が過労死ラインを突破したダーリンだったが
今年に入って1月もその状態は依然続き、今月も既に過労死ラインを軽く突破する勢い
法定休日さえも休めず、体も心もギリギリのところで持ちこたえている様子。
ダーリンからはいろいろと話を聞いたり、こちらから入れ知恵をしたりしているが
会社のなかでそんな働き方をしているのがダーリンだけではないと聞いた時
雇用者をここまで疲弊させるような働かせ方をしている会社に猛烈に腹が立った
しかも、お偉いさんに呼び出されたダーリンが掛けられた言葉は労いの言葉ではなく「本当にやっているのか?」
という、耳を疑うようなものだった。
そんな悲痛ともいえる日々を送るダーリンが、先週の日曜日、やっと休みになった。「一日中寝ていても良いんじゃないの~」
と思っていたが、映画に行こうと言うではないか。
しかも、公開前から観たいと二人で話していた『沈黙 ―サイレンス―』。
途中で眠くなったら寝られるから、それならそれで良いと思ったが
ダーリンとしてはせっかくの休日だからこそ、一緒にどこかに行きたいのだと言う。
その言葉を聞いた時、なんだか、とても切なくなった
ぴすけは遠藤周作の原作を読んでいたので
心身ともに切羽詰まった状態のダーリンがお気楽に観られるとはとても思えず
少々心配したのだが、長丁場の約3時間をかなりのめり込んで鑑賞できたそうだ。
それからは延々と信じることと信仰することの違いや、宗教について
一神教というものを発明したいろいろな意味でのとんでもなさや
イエズス会の日本での宣教活動の目的が、たんに布教にとどまらないことなどを話し合った。
恐らく、本作に関しての感想は、神の捉え方や信仰の有無などによってさまざまだろう。
奇しくも終演後に近くの席の男性が「どっちの味方(見方?)かわからないな」
と、つぶやいていた。
明確な答えを提示されないなかで戸惑いを覚える方も多いのかもしれない。
だが、原作にはないシーンだが、日本で棄教することを選び
日本名を与えられた宣教師ロドリゴが、家族によって十字架を死後の手に納められたように
屈辱と侮蔑にまみれたキチジローが度重なる棄教の後、いつもロドリゴに告解を求めたように
心の内で何ものかとつながること、そのことは誰にも咎めることができないものだ。
ただ、心の内で何かを信じ、何かとつながることは勝手だが
それが心の領域を飛び出て他人との同調を目指す・強制するようになるのが宗教の常だろう。
そこで映画鑑賞後、久しく読み返していなかった
なだいなだ『神、この人間的なもの ―宗教をめぐる精神科医の対話―』を読んだ。
この本は宗教学的な論考ではないが、精神科医としての立場から集団の狂気を論じている。
人間は弱い生き物だ。
孤独と絶望から逃れるために、集団になり、つながりを持とうとする。
「孤独で正気を守ろうとするよりは、集団の狂気に酔う方を選ぶのだよ」
と、著者は語る。
ご興味のある方は、ご一読を。
久しぶりのお休みに、映画に行かれたのですね。
ご主人お疲れなのに、ずいぶんと重たいテーマの映画を選択しましたこと。
わたしも読んだことありますか難し過ぎて解りませんでした!
孤狸庵先生はクリスチャンですね。
海と毒薬」もキリスト教がテーマでしたね。
キリスト教は愛です
許しと愛を説きます。全てのことそこに愛がなければ無だと 説いていますね。
わたしも聖書をよみますが
言葉の綺麗な事がすきなだけで本質は
何も解りません。
余談ですが
わたしが棄てた女✴はわたしの愛読書です。
💝ご主人の優しい気持ちが溢れていますね。
この間は湖に漂う乙女のミレーの
絵間違ってました。
教えてくださりありがとう🌹
今回、マーティン=スコセッシ監督作品を観て、篠田版を観てみたくなりました。
私は遠藤周作よりは北杜生をよく読んでいて、それこそ遠藤周作は『沈黙』と『海と毒薬』しか読んだことがありません。
内的規範を神に求めるというところが、どうも合わなくて…。
ダーリンはお疲れだったので、重いテーマで大丈夫かなと思いましたが、存分に楽しんだようですよ。
映画鑑賞後はずいぶん話が弾みました。