ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』 ~露骨でなく体の良い弱肉強食~

2017-04-07 23:55:24 | 映画

ダーリンが仕事を休めたので、二人で『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観に行った。
「ゆりかごから墓場まで」…、既に34年も前のことであるが
私は高校の現代社会の授業で、イギリスの社会福祉政策についてそう学んだ。
それが現在はどうだろう。
ケン=ローチ監督が描く現在のイギリスは、全く別の社会になってしまったかのようだ。
そしてそこに、日本の近い将来を見ているのは私だけだろうか。
いや、近い将来の話ではない。
日本も既に、弱者に厳しく、福祉が切り捨てられていく社会になっているではないか。


あらすじは…
59歳のダニエル=ブレイクは心臓発作を起こし、医師から大工の仕事を止められている。
職を失ったダニエルは、国からの雇用支援手当の継続のため審査を受けたが
不条理な質問の連続にうんざりしたばかりか、「就労可能で手当は中止」と通知される。
医師から止められているにもかかわらず「就労可能」と認定され
憤慨して行政の窓口に電話をするも、“サッカーの試合より長く”待たされたうえに
認定人からの連絡を待つように言われてしまう。
手当の中止によって収入を断たれたダニエルは
仕方なく職業安定所に求職者手当の申請をしに行くが
申し込みはオンラインのみと言われ、途方に暮れる。
その時、約束の時間に遅刻したために給付金を受け取れないばかりか
減額処分の違反審査にかけると宣告されているケイティと出会う。
ケイティは幼い子供2人を連れたシングルマザーで
ロンドンからニューカッスルへ引っ越してきたばかりだった。
仕事もお金もない二人は、矛盾した制度と容赦ない現実に追い詰められていく…


とにかく、身につまされる内容である。
行政としては、弱者を救済する手続きの体裁は整っている。
しかし、それは制度の厳格さと徹底した機械的公平性を堅持して運用されていて
目の前の人間が路頭に迷おうが、飢えようが
条件に適合しなければ容赦なく排除することを厭わないシステムだ。
収入がないにもかかわらず、電気代が払えないケイティにお金を置いていくダニエル…
極度の空腹に自分を見失い、フードバンクで渡された缶詰をその場で空けて食べるケイティ…
壊れた靴のせいで学校でいじめられ、ケイティにそのことを打ち明ける娘・デイジー…
求職者手当を受けるため、働けないのに求職活動を続けなければならないダニエル…
それらの場面では、やりきれない思いと行き場のない怒りで、涙が溢れた。

上映館のヒューマントラストシネマ有楽町では
賞味期限が1か月以上ある缶詰のチャリティを呼びかけている。
私はこの企画を知らず、缶詰を寄付することはできなかったが、これから行く方はどうぞ。

また、有料入場者1名につき50円が寄付される仕組みになっている。
付箋には、たくさんの方からのメッセージが添えられていた。


私の母は2月に要支援1の認定を受けた。
先月から体力維持と社会的交流のため、1週間に1回のデーサービスに通い
ヘルパーさんが1週間に1回、1時間程度の室内の掃除を手伝ってくれるようになった。
サービスを受けられるようになるまで、申請→審査→認定→担当者会議→契約と
段階を経ていろいろな書類を用意しては、いろいろな手続きを踏んだ。
各段階で私は同席していたが、そのなかでも契約書の署名欄に
本人の欄の下に家族代表者の欄があることに、少なからず驚いた。
症状によっては本人の署名が難しいことや、判断力が低下していることもあるだろうし
悪質な業者に騙されることを防ぐためもあるだろうが、身寄りのない人はどうするのだろう。
私はある業者の担当者に
「家族がいない人はどうすれば良いのでしょう?」
と尋ねてみたが、その担当者は
「今まで家族がいない人との契約はしたことがないんです。どうするんでしょうね」
と答えた。
これは私の勝手な推測だが、もしかすると、家族がいず、体力も低下している高齢者は
情報も得られず(もたらしてくれる人もいないし、インターネットは利用しないだろう)
申請すらせず(制度があることを知らないか、知っていても体力的に行けない)
他者との交流を断っている人も、多いのではないだろうか。
行政の支援を受けられる人は、環境的にも家族的にも恵まれている方で
体力が落ちて孤立してしまっている、本当に切羽詰まった状況の人こそ
支援を受けられずにいるのかもしれないのだ。
一見整っていて、合理的に見えるかのような制度も
実は露骨でなく体の良い弱肉強食でしかない場合もある。
消費税などはその最たるものだと私は考えている。
どのような社会をめざし、どのような制度を構築するか
進むべき未来の方向性を示し、変革できるのは政治の力だ。
政治家を選ぶのは、我々市民である。
露骨でなくて体の良い弱肉強食なら、見えないところで発揮されている残虐性なら
知らんふりを決め込むことができるのだろうか。
いや、できない、と私は思う。
なぜなら、ダニエル曰く
「わたしは人間だ。犬ではない」からだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。