筑波山神社入口バス停→筑波山神社→御幸ヶ原→男体山山頂→御幸ヶ原→女体山山頂
→つつじが丘バス停
夕方に雨か雪という予報が出ていたものの、ダーリンの年末・年始の休日最終日とあって
2人で山を歩ける機会を大切にしようと、どこかに歩きに行くことにした。
候補としては、一度は行ってみてもいいかなと思っていた筑波山か
3年前の1月に撤退した奥武蔵の伊豆ヶ岳か
先日富士山駅へ向かう途中の中央高速から見て気になっていた岩殿山が挙がっていた。
4日は仕事始めの日とあって、新宿越えをしなければならない岩殿山は早々にあきらめたのだが
伊豆ヶ岳か筑波山かで、ああでもないこうでもないと迷っていると
普段は行く山に関して全くといっていいほど関与しないダーリンの
「一度は行ってみてもと思っているのなら、行こうよ。」
という鶴の一声で、あっさりと筑波山に決定。
6時16分最寄り駅発の東武伊勢崎線に乗る予定だったが、11分発に間に合ってそれに乗り
春日部駅で東武野田線に、流山おおたかの森駅でつくばエクスプレス(以降、TXと表記)に乗り換え
つくば駅に到着したのが7時45分であった。
つくば駅のバスターミナルには、たくさんのバスが行き来しており
1番バス乗り場から出る筑波山シャトルバスの、8時ちょうどの便に乗車。
バスはハイカー姿の乗客でほぼ満席になり、筑波山の人気が伺える。
8時37分、筑波山神社入口バス停で下車した時には、バス停から見下ろす関東平野の
遥か彼方に、新宿のビル群と東京スカイツリーを目視することが出来た。
大鳥居をくぐって道なりに歩くこと約10分で、筑波山神社に到着。
時間もたっぷりあるので、神社に詣でてみる。
随神門では、向かって左にヤマトタケルノミコト、右にトヨキイリヒコノミコトが睨みを効かせている。
ここでも出ました、各地を行脚していた()ヤマトタケルノミコト。
彼は東征で筑波山にやってきて、ここから両神山(りょうかみさん)を認めてその威容に心打たれ
筑波山から8日間眺めながら辿り着いたために八日見山(ようかみやま)と名付けた。
山は険しく、登るのに難儀していると、どこからともなくヤマイヌが現れ
その後をついていくと無事に山を越えることが出来たという。
そこで、山頂にイザナギ・イザナミの二神を祀り、両神山としたとも言われている。
また、道案内をしたヤマイヌは神の眷属とされており、今でもお札に刷られている。
おっと、筑波山から両神山に行ってしまった
拝殿では、大勢の参拝者が参列して、神官のお祓いを受けている。
ここからそのまま左手に進めば登山道だったのだが、知らずにいったん石段を降り
ぐるりと境内を回りこむようにしてケーブルカーの宮脇駅に向かう。
途中に「宇宙の卵」と題された、科学万博つくば’85のシンボルモニュメントが移されているが
強化プラスチックで出来ているとはいうものの、剥離やひび割れが痛々しい。
ケーブルカーの宮脇駅と分かれて、登山道が始まるが、最初はなだらかで歩きやすい道だ。
途中、ケーブルカーがすれ違う中間地点の脇が、木が伐採されてちょっとした広場になっており
休憩しながら見物したり、間近で写真を撮ったりできるようになっている。
ぴすけ達は、あとほんの少しで中間地点というところでケーブルカーがすれ違い、ちょっと残念。
この中間地点から、少々斜度が増し、コンクリートの偽木製や木製の階段、岩場を登る。
すると、男女川(みなのがわ)の水源地の近くだという看板があり、岩の間から水が流れている。
そこには、「役公之窟」と彫られた石柱があり、どうやらその奥に石窟のようなものが見える。
後から知ったのだが、この石窟には役の小角と前鬼などの石像が祀られているようだ。
行ってみれば良かったと、いまさらながらかなり後悔
このような感じで木段が延々と続き、行く手に空が見えると、ポンと広場に飛び出る。
登山道に入ってから約1時間20分であった。
ここが御幸ヶ原で、ケーブルカーの山頂駅やら土産物店やら売店やら展望台やらが立ち並び
ハイカーやら観光客やら部活のトレーニング中の高校生やらでごった返し、俗世そのままだ
まずは、再び木段が続く男体山へと向かう。
男体山には10分ほどで登れ、山頂にはイザナギノミコトを祀る筑波山神社の御本殿がある。
男体山山頂から東の眺め。
遠方は霞んでしまい、どこがどこやらさっぱりわからない。
御幸ヶ原に戻り、時代と俗世をたっぷり感じるコマ展望台のレストランへ。
筑波軍鶏を使用したという親子丼と、みそこんにゃくを頼んだが、この食券も時代を感じさせる。
ここは京成系列なのか、食券の地模様に「けいせいでんてつ」と印刷されている。
筑波軍鶏は、ブロイラーと比べて肉質が硬めで、むしろ鶏の臭みがないようだが
親子丼もみそこんにゃくも、味はこれといって可もなく不可もなくといった程度。
食後に、屋上の展望台に上がってみる。
肉眼では霞ヶ浦が見えたのだが、この写真では空と一体化してわかりにくい。
かろうじて、左端になんとなく、水際が蛇行しているのが見える程度だ。
こちらは男体山。
こちらは、これから向かう女体山。
こちらは、御幸ヶ原に立ち並ぶ売店。
女体山へ向かう途中にある、ガマ石。
本来の名称は雄龍石(おたついし)で、その尾は霞ヶ浦に達するそうな。
言い伝えも面白いし、雄龍石で良いではないかと思うのだが、ガマ石などと名付けて
その口に石が乗ると良いとかなんとか言って、あくまで俗っぽくする魂胆が見え見えである
この石の名前をとって、つつじが丘からのハイキングコースは「おたつ石コース」と名付けられている。
女体山の山頂は、手すりがつけられているものの高度感は抜群で
おまけに後から後から観光客やらハイカーやらが押し寄せてくるため
引き返すに引き返せない状況が生まれ、ちょっとした渋滞になっている。
振り返れば、御幸ヶ原のコマ展望台と男体山が見える。
こちらは北の加波山方面。
女体山の山頂の渋滞をやっと抜けたかと思うと、下山するつつじが丘へ向かう登山道からは
次から次へと、主に家族連れの観光客(装備はほとんどなし)が登ってくる。
道は岩場で狭いため、うまく譲り合ったりすれ違わないと、結構時間が掛かることもあるかもしれない。
このコースは、いろいろな奇岩や巨岩を眺めたり、通り抜けたりして歩ける。
こちらは、座った大仏に形が似ていることから名付けられた、大仏岩。
こちらはもともとは「熊野の鳥居石」と言い、船玉神を祀るそうだが
今では「出船入船」と名付けられている。
かつてはここから紀州熊野を遥拝したというが、妙な名付けでどこまでも俗世に迎合。
ということで、ほかにもいろいろと名付けられた岩を眺めながら歩いていたのだが
何を思ったのか、突然岩を持ち上げた()ダーリン
高天原と名付けられた場所の巨岩は、磐座なのではないかと思われる。
ここがこのおたつ石コースの奇岩・巨岩のなかでよく知られている石門…
おっと、あくまでも俗っぽく、「弁慶七戻り」である。
本来は、高天原(聖界)と現世(俗界)を分ける結界なのだが
「弁慶七戻り」と名付けた段階で、一気に俗化したように思えるし
ここから登る時に、聖の世界に入る心構えというか、気構えのようなものを
登山者に、ましてや観光客に気付かせることはできないだろう
おたつ石コースは、大変見晴らしの良いコースで、風のない日は快適だ。
御幸ヶ原を出てから女体山経由で約1時間、つつじが丘の駐車場が見えてきた。
ここから10分ほどでつつじが丘に到着。
ガマに乗って現れるは、石川五右衛門ならぬダーリン
つつじが丘はよくわからぬ建造物がひしめき合う、俗世の集合体のようであった。
13時30分発のTXつくば駅行きバスの出発まで、バスの中で待たせてもらい
バスの出発後は西日の強さに負けてTXつくば駅まで昼寝
あまりにも早い時刻なので、少々駅周辺をうろついてから、15時25分発のTX快速に乗り
流山おおたかの森駅で東武野田線に、春日部駅で東武伊勢崎線に乗り換え、帰路に就いた。
それにしても、神社側からもつつじが丘側からも、俗世にどっぷりという筑波山は
登山道に落ちているゴミ(特にティッシュペーパー)が多かった
女体山で、ゴミを拾っているボランティアの方を見かけたが、それは山頂周辺だけだろう。
せめて神域だけでも清浄を保つためか。
男女川を詠んだ陽成院の
つくばねの 峰より落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる
に畏れ多くもあやかり、鼻持楢姉(ぴすけの狂歌の号:はなもちならねえ)がここで一首。
つくばねの 峰より落つる みなのゴミ ちりぞつもりて 山となりぬる
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すごいんですね。
100名山には無縁な私ですが、遠くから見る秀麗なお姿は、いいなあと思います。
富士山もそうだといますが、遠くから眺めるほうがいい山もありますよね。
私は相変わらず、イノシシにおびえながら低山徘徊をしています。
川苔山の時も人が多くて驚きましたが、奥多摩は老若男女がまんべんなくいた印象を受けました。むしろ、奥多摩は他の山域に比べて、若者が多いと思います。
それに比べて筑波山は、ろくな装備もない子連れの家族と高齢者の団体が中心です。ほとんどの子供は小学生でしたが、びっくりしたのは、乳児を抱えて登っている家族がいたことです。
高齢者の高齢化率も他山域と比べて、ダントツに高い印象を受けました。平均年齢は70歳を超えていると思われます。
あと、部活動のトレーニングで、野球部・サッカー部・ラグビー部の部員が団体で登り下りをしていました。
筑波山は遠くから観賞している方が良さそうです。
つい先日、ぴすけさんが筑波山頂から眺めた加波山に登っておりまして、そちらから逆に筑波山を眺めておりました。
ところで筑波山には2度出掛けましたが、そんなに年齢層に偏りがあった印象も、ゴミが多かった記憶もなかったです。
百名山だけに、他の山よりも俗化しているのは否めないところですが、いつもは普通のハイカーが多くを占めているのではないかと思います。
時期が時期だけに、やれ初日の出やら、初詣やらと、普段は山に登らないような人達たちまでが大挙して押し寄せて、一時的に俗化レベルが上がっていたのかもしれませんね。
普段から山に入っている人ならば、たとえ筑波山のように観光地された山に登ったとしても、ゴミを残していったりはしないと、思いたいです・・・(やや弱気)
時期ですか…。
あまり気にしなかったのですが、たしかに部活動のトレーニングなどは、3学期が始まればないでしょうし、初詣・初日の出の発想もこの時期ならではですね。
俗化度が高くなっている時期に行ってしまうなんて、迂闊でした。
だからゴミ(主にティッシュだったのですが)も多かったのかも。
次に登る機会があれば、よくよく時期を考えて、周辺のバス路線を入念に調べたうえで、北側のキャンプ場から登り西側の酒寄に抜ければ、あまり人には会わないかもしれませんね。
ただ、バスは路線廃止の波が押し寄せているので、どうなることやら。
酒寄を通るバスは、廃止になっていました。
あ~、ショック
そうなのです。当初の加波山への山行計画では真壁をスタート地点としており、往路の足を土浦から筑波山口を経て真壁に行くバスとしていたので、それが廃止になって計画の変更を余儀なくされたと嘆いていたのですが、酒寄を通っていたのもその同じ路線のようです。
実は真壁ならば、今でも毎年2月~3月頃にかけて「真壁のひなまつり」が開催される期間中だけは、岩瀬駅からバスが運行されるので、その時期に合わせれば当初の計画通りに歩くこともできそうだったのですが、雪とか凍結とかを心配しなければならない時期になるので、それで計画を変更して雪が降る前に出掛けてきたのです。
ただそのバスも、酒寄までは行かないので、酒寄は本当にバスの来ない場所になってしまったようですね。
バスで行かれる場所が年々少なくなっていくことが、本当に残念でなりません。
山歩きで路線バスに乗っていると、乗客は私1人ということがままあります。
そんな時、いつまでこのバス路線は存続していられるのだろうかと、考えてしまいます。
山登りの我々はともかく、お年寄りが生活の足を奪われるようなことにならないよう、願ってやみません。