ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

さざえ堂巡り巡って大学へ(1) 太田市・曹源寺~足利市・あまから屋

2012-12-01 12:23:28 | 旅・おでかけ

11月30日(金)

事の発端は友人のブログだった。
会津さざえ堂の記事を読み、ふつふつと小学生のころからの熱がぶり返し始めたのだ。
幼い時からみょうちきりんだった私は、歴史図鑑を読みながらため息をついていた。
「ああさざえ堂に行きたい」と。
急に思い立って出掛けるには、会津は遠すぎる(行こうと思えば行けるが、なにぶん経費が…)。
地元埼玉県にも、本庄市(旧児玉町)にさざえ堂があることは知っていたが
どうやらそこは、拝観できるのは春の特定期間のみで
その他の時期に拝観するには、2週間前に予約が必要らしい。
うーむ…、どうしても、どうしてもさざえ堂が見たい
その好奇心たるや抑え難く、調べているうちに、なんと御近所の群馬県太田市に
本庄市と会津若松市とならんで、「日本三さざえ堂」いわれる堂があるとわかった
もうそうなれば思い立ったが吉日である。
さざえ堂へ、出発


最寄駅10時15分発の東武伊勢崎線太田行きに乗り、11時18分に太田駅に到着。

新田義貞・脇屋義助兄弟の銅像が出迎える太田駅北口から
11時25分発の市営バス毛利田線に乗り込んだ。

12分ほどバスに揺られ、降りた所は東今泉町バス停で、金山が近くに望める。
こちらのバス停は、バス時刻の確認のため、太田駅北口行きの車線のバス停なのだが
周囲は閑散として、店らしきものは斜向かいに1軒あるのみ、少々寂しさと不安を覚えた。

バス停から東を見やると、その堂の大きさと独特の雰囲気から
曹源寺のさざえ堂だとすぐにわかり、そちらへと向かう。

裏門(?)の扉には、徳川家の家紋として知られる三つ葉葵がはめ込まれていた。
新田氏から徳川氏が出た(としている)ので、新田義重の開基と伝えられる曹源寺が
徳川家の威光をお借りしたのかもしれない

仁王門の扉には、新田氏の家紋である大中黒がはめ込まれている。
参道の真ん中に百観音御砂踏参道という石碑があり、いわれによると…
さざえ堂の参道の踏み石の下には、西国・坂東・秩父百観音霊場の砂が納められ
御砂踏参道の踏み石を一つ一つ踏んでいけば
百観音霊場を参拝したのと同じ功徳が得られる…、というものである。

つまり、この下には西国一番霊場の砂が納められており
こうして踏めば、西国一番霊場を参拝したのと同じ、というわけだ。
西国一番霊場の右隣が西国二番霊場、その左上が西国三番霊場…、となっていて
さざえ堂にたどり着くまでに、百箇所の観音霊場の砂が踏める。

本来は仏殿であったさざえ堂であるが、過去2回の火事により本堂が焼失したため
現在は本堂として使われている。
さざえ堂の入り口を開け、参拝の旨を告げると、若い僧が出てきた。
拝観料300円を納め、ストロボを使用しなけれは写真撮影が可能か確認すると
「御自由にどうぞ。」と、告げられた。

入り口から堂内を右回りに半周すると、「太鼓橋」と名付けられた橋状の勾配が現れる。
この先は階段で、2層めに上がるようになっている。

堂内には、このような配置で百体の観音菩薩像が安置されている。
これも、一つ一つ参拝すれば、1層めで秩父三十四箇所、2層めで坂東三十三箇所
3層めで西国三十三箇所、計百箇所の観音霊場を廻った功徳を得られるのである。

どうやら住職は経をわかりやすく説いて張り紙にするのがお好きなようで
いたるところに、いろいろなことが書かれた張り紙がある。
この張り紙の出典は経ではないようだし、どうも子供に向けて書かれているようだが
「子ども」を「人間」、「学校」を「世の中」、「先生」・「親」を「他人」に置き換えて
大人が、子供ではなく我が身のこととして、真剣に考えてほしい内容であると感じた。
子どもに教え、説かねばならぬことが、今では大人がわかっていないのではなかろうか。

ぐるぐると堂の中心部の周囲を右回りに廻りながら、三層めへ。

三層めに行くと、「おり口」と書かれた階段を下りる。
構造は、広い廊下が真ん中で仕切られて、片や往路、片や復路となっていて
行きに歩いた通路のお隣を歩いて下りるようになっている。

そのため、2層めに上がる時にあった太鼓橋を隣に見ながら、復路の階段を下りるようになる。
私などは、信仰心が薄いがもの好きなので、壁の張り紙などをじろじろ読みながら歩き
最後に、本尊の魚籃観世音菩薩に参拝して、20分ほど。
東今泉町バス停12時24分のバスまでには、まだ20分もある。
境内で写真を撮ったりしながら10分ほどうろつき(それほど広いわけではない)
バス停で10分ばかりバスを待つと、バスは定刻にやってきた。


太田駅北口に12時36分にバスが着き、さて、これからどうしたものかと思案したところ
とんでもない名案が浮かんだ

ターラッタ ターラッタ ターラッタ ティリー
(“The Sownd of Music”から‘My Favorite Things’で
「足利そうだ、足利に行こう

足利市の鑁阿寺(ばんなじ)参道には
吾妻小舎の雅子さんが教えてくれた「あまから屋」という店がある。
何の情報も持たなかったが、それだけを頼りに、12時45分発の東武伊勢崎線に乗った。
12時54分、足利市駅着。
観光地なら、駅にパンフレットくらい置いてあると思ったのが甘かった。

駅員に聞けばよかったのかもしれないが、探したところ、見当たらなかったので
駅前にあった「足利観光ガイドマップ」という看板を撮影し、それを基に歩き始めた。

渡良瀬川に架かる中橋を渡る。
そのまま道なりに歩いていくと、濠と土塁のある大きな寺院に出た。
鑁阿寺だ。

お寺が濠と土塁に囲まれているとは予想外だったが、足利氏宅跡だったと知り、納得。
信仰心が薄いので、参詣は後回しにして、まずは「あまから屋」を探しに門前の参道へ。

あまから屋は、すぐに見つかった。
メニューの定番は甘味とカレーらしい。
そこで、「あまから屋」か。
店内に入るとほぼ満席で、繁盛のほどがうかがえた。
カレーライスのBセット(カレーライス・サラダ・お茶と甘味3品から1品)を注文。
商売の邪魔をしては申し訳ないので、帰り際に様子を見て切り出した。
「私、ぴすけと申しまして、吾妻小舎の雅子さんからこちらのお話を伺った者です。」
すると、あまから屋の御夫妻はびっくりするやら喜んでくれるやらで
私としてもとても嬉しかった。
お店のお仕事があるので長話はできなかったが、帰りに御主人が
石に絵を描いた、お手製のテントウムシ(山で、お天道様に会えるように)と
ペンギン(山で雨に降られても、ペンギンなら水は得手)を、記念にと持たせてくれた。

雅子さん、あまから屋さん、ありがとう。
お腹が満ちた私は、鑁阿寺へと向かった。

                                                 (つづく)



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3 コメント

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さざえ堂 (あさお)
2012-12-02 08:00:04
さざえ堂、行ってこられたんですか~
ここは会津さざえ堂とはずいぶん様子が違いますね。
大きいし、構造も違う。訪れる方は少ないんでしょうか。

会津のさざえさんは子どもの遊び場のような、かわいいお堂でしたよ。
観光客も多いです。

ぜひ「日本三さざえ堂」を制覇(?)してください。


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あら、へえ、ほお~ (ぽぴ)
2012-12-02 08:40:46
あら偶然その「そうだ、足利行こう」、全く同じ曲をハミングしながらワタクシも金・土で出掛けてました、京都。仕事だけど、割とみてあるく時間もとれてリフレッシュ。

遺伝子と同じなんて言われたら、生命科学専攻としてはムラムラきますやね 続編も楽しみにしてます。

そうそう、ツリーが違っちゃうけど、「のぼう」次女をつれて二回目見ました。次女もすっかりツボにはまり、またファンをひとり増やしてしまいました。ダンナにも勧めてますが日程あわず、私にしては珍しく、いける日ないの?一緒に行くよ~と勧誘してるのは、単に自分が見たいだけですね。
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最後が会津か? (ぴすけ)
2012-12-02 22:38:39
>あさおさん
地理的条件や諸般の事情から、最後が会津のさざえ堂になりそうです。
本庄なら、その気になれば2週間後に行けるし
いちばん行きたいところは、最後にとっておくことにしましょう。

>ぽぴさん
口ずさむ歌が同じとは、あな恐ろしや
『のぼうの城』は、煮え切らないセニョール氏はおいておいて、長女・次女に続き、三女と行ったら?
それとも私と行く~?
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