ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

母との時間

2016-07-23 13:24:12 | 日常

父がタバコ病で亡くなってから、既に6年が経つ。
早いものだ。
父が亡くなってから母は、実家に独り暮らし。
今年、84歳になった。
父が亡くなった直後は、あまりの傷心ぶりに、これは一人にしておいたら良くないんじゃないか
ぴすけの所に呼んで、一緒に暮らした方が良いのではないだろうかと考えたが
ぴすけの家は共同住宅で、ご近所さんとの付き合いもないし、庭だってない。
実家にいれば、ご近所さんとのおしゃべりや、庭の手入れなどで、口も体も動かせる。
どう考えても、ぴすけの所に呼ぶよりは活動的に過ごせる。
ぴすけの考えと母の意向は一致して、母は独り暮らしを選び
1日おき程度の電話でのやり取りと、週1回の訪問で、なんとかここまで来た。
これまで、父の遺影に向かって「早くお迎えに来てください」とか
墓参りの度に「お父さんのそばに呼んでください」などと言っていた母だったが
昨年11月に郡山までぴすけがお世話になった方に一緒に会いに行った時、その方に
「これまでは、本当に夫のいない生活が寂しくて、早くお迎えが来ないかと思ってばかりいましたが
 これからどれだけ生きられるかわかりませんが、残りの人生を大切にして
 与えられた命なんだと思って生きていこうという気持ちに、やっとなりました」
と、話したのだ。
母のそうした気持ちを聞いたのは初めてだったので
母は5年半もの間、父のそばに行けることを願って生きてきたのだと、この時知った。
そしてこの時、母が与えられた命を全うするまで、できるだけのことはしようと思ったのだった。
実家に行っても、日帰りの時は部屋と風呂の掃除をし、泊まりの時は掃除のほかに買い物や庭の草むしり
母の暮らしのなかで手の届かないところを手伝うくらいで、ほとんどは母とおしゃべりをして過ごす。
一緒にどこかに出掛けても、おしゃべりをしてるから気がまぎれるのか
脊柱管狭窄症からくる痛みがあっても、けっこう歩けたりしていたのだ。


ところが、今年の2月に父の7回忌の法要を済ませた後、3月になって母に腰痛の症状が出た。
これまでも、骨粗鬆症による円背や脊柱管狭窄症のため、背中に痛みがあったのだが
腰というか、骨盤の上辺りに電気が走るような、剣山で刺されるような痛みが生じたのは
これが初めてのようだ。
その痛みは、いつ起こるかがわからないらしく、ひょんなときに「ビリッ」と来るらしい。
その「ビリッ」が怖いのと、これまでも続いていた重苦しくなにかがのしかかるような鈍痛とで
遠出どころか、近所の病院に行くことさえままならなくなってしまったのだ。
これまでは、痛みはあるものの、時々立ち止まって休めば、15分くらいなら歩いていられるし
港区にある菩提寺への墓参り、大宮のデパートへの買い物など、電車に乗って一人で行けたし
かかりつけの病院や近くのスーパー、コンビニエンスストアには、歩いて行くことができた。
それどころか、ぴすけの講演活動日立市までついて来た
第二次世界大戦中の疎開先を訪ねて、白馬村まで2泊3日で旅行まで出来たのである。
だから、今年は5月に奈良に行き、若い時に行けなかった唐招提寺に行くことと
亡き父に生き写し(?)の東大寺戒壇院の広目天に会うことを楽しみにしていたくらいなのだ。
それらができないとなると、脚は弱るばかりである。
家の中をうろうろしているくらいでは、たかが知れている。
しかし、痛いものを無理やり歩かせるわけにもいかない。


とにかく、痛みが治まるのを気長に待つしかないが、少しでも快方に向かえばと
NHKの「ためしてガッテン」で痛みに効くと紹介されていた、背中のタッチケアをしてみることになった。
ぴすけが実家に行った時、母の背中をゆっくりなでる。
あれ~、背中がぷにょぷにょだ…)
高齢者の背中は筋肉も少なくなって、張りもなくなり、脂肪も軟らかいのかもしれない。
なんだか、張りがないだけで、赤ちゃんのお尻とか頬っぺたを触っているような気分。
ぷにょぷにょしていていい気持ち。
自然と笑顔になる
痛みが取れますように、痛みが和らぎますように…)
背中をなでている間、他愛ない会話をしながら、ゆったりゆっくりと10分間が過ぎる。
最後は自己流だが、手と腕をなでて、手を握っておしまい。
「背中をなでてもらうとね、体中が温かくなって、ポカポカしてくるわ」
「続けていれば、きっと良くなるからね」
タッチケアの効果があったのか、最近痛みがずいぶん和らいで
ぴすけが実家に行っている時は、一緒に近所へ買い物に行ったり
かかりつけの病院に行くことができるようになった。
「痛くて歩けなくなったら、タクシーを呼べばいいんだから、少しずつ歩こうね」
「なんだかこの数か月で脚がとても弱った気がするの。
 少しずつでも歩かなきゃ。近くのスーパーに、1日1個、買い物に行くだけでもいいのよね」
「そうそう、その調子」
家の中を歩けて、自分のことが自分でできれば、生きていくのに十分だ。
しかし、食べたい物をどこかに食べに行ったり、見てみたい物を見に行ったりするには
家の中で生活するだけの脚力では、少々おぼつかない。
旅先で車いすを借りる、タクシーをチャーターするなど、いろいろな方法はあるが
母とて自分の脚で歩いて、まだまだいろいろなことをしてみたいのだ。


「ぴーちゃんも、いろいろと用事があるだろうから
 無理しないで、来られる時に来てくれればいいのよ」
そう気を遣ってくれる母だが、ぴすけが行けば、それはそれはうれしそうにしているのだ。
それに、なんだかんだ言っても、ぴすけが行くと一緒に少しでも歩くことができる。
「来られる時に来ているんだから、大丈夫だよ」
心配御無用。
ぴすけは母のぷにょぷにょの背中をなでるのが楽しみになっているのだから。
そして、背中をなでてから見る母の姿は、まるで生き仏のようだと感じているのだから。



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2 コメント

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親孝行な娘さんですね (ぽぴ)
2016-08-14 17:14:55
一日おきの電話、行けるときといえ、週一度の訪問と、たわいないおしゃべり、そしてオリジナルのタッチケア。。。

私には できるだろうか。多分できないと思う。
仕事やら、子供の世話やら、なんやかや、あるといえばあるけど、言い訳といえば言い訳の気もします。
育ててもらった恩をいつか返そう なんていっても、結局そのいつかって、いつなの?…と我に返れぱ、「あなたが幸せに頑張ってるならそれが一番よ」と頷いてくれるとわかっている親の気持ちに、最後まで私は甘えてしまうだけなのではないかと思ったり。。。

機会をつくって久しぶりに親に会いに行くと、その度歳を取っていて、まあお互い様なんだけど、と、笑い合い。確かに少しずつ、おしゃべりしながら、ちょっと何かを、してあげる、的なことの比重は、徐々に高まっていきますよね。でもね、そんなことは大した変化ではなくて、他愛もないおしゃべりをしているときの自分が、なんだろう、本当に、素直に癒やされているなぁって感じることって、確かにありますよね。
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親不孝しちゃったからね (ぴすけ)
2016-08-15 20:17:26
ぽぴさん、おそらくこれまでしてきた私の親不孝は、超弩級なんじゃないかと思っています。
小さい時から体が弱く、学校にも行けず、いじめられ、とても心配を掛けただけでなく、大人になってからも大変な心配をさせています。
だからというわけではありませんが、そばにいることを喜んでくれている今、なるべくそばにいてあげたいと思うのです。
父の病気の時もそう思いました。
母がとても長生きしたとて、これから何十年も一緒にいられるわけではないでしょう。
それを考えると、本当に、一緒にいる時間がとても愛おしいというか、大切な時間に思えます。
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