ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

日光気まま歩き イタリア大使館別荘記念公園~戦場ヶ原~光徳

2011-08-02 23:59:57 | 登山(両毛・常総)

【8月1日(月)】
中禅寺温泉バス停→イタリア大使館別荘記念公園→中禅寺バス停→赤沼バス停→戦場ヶ原
→光徳牧場→光徳温泉バス停



勤務先が電力の総量規制を受け、平日に休日が入るようになった友人のぽぴさんに付き合ってもらい
志賀高原の怪我以来久しぶりに、長距離を歩いてみた。
東武日光駅8時11分着の東武鉄道に各々乗ることにし、栗橋駅でぴすけが乗り込み合流。
本来であれば明智平から半月山に登り、帰路にイタリア大使館別荘記念公園へ立ち寄る計画だった。
ところが、東武日光駅から中善寺温泉行きのバスに乗り、いろは坂に差し掛かったころ濃霧の中に突入。
明智平で降りても視界は得られないとみて、そのまま中善寺温泉まで行くことにした。
中善寺温泉でバスを降りると、中禅寺湖の湖面さえ見えないほどの濃霧で
霧が体にまとわり付いて、髪の毛や衣服を濡らした。
これでは山に登ってもあまり楽しめないと考えて、そのまま湖畔を歩いてイタリア大使館別荘記念公園へ。

アントニン=レーモンド設計のこの別荘は、平成9年までイタリア大使館別荘として使用されていた。

市道1059号線から公園に入ると、かつて副邸であった国際避暑地歴史館がある。
内部では、昭和時代初期に日光、殊に中禅寺湖畔が国際的な避暑地として発展した歴史を
写真や映像で紹介している。

副邸の見学を終え、本邸へ。
暖炉のある書斎と食堂が居間を挟むワンルームで、杉皮と竹という日本の素材を使用した内外装だ。

暖炉のある書斎。

テーブルセッティングされた食堂。

中禅寺湖に面した広縁。
ここで自由に飲めるほうじ茶をいただきながら、ソファに座って中禅寺湖を眺める。
ぽぴさんは、日本の素材をふんだんに使った美しい内外装に感激したようだ。
ぽぴさん曰く、日本の素材は地味で、ともすれば貧乏っちく見えてしまうが
杉皮や竹の使い方一つで、こんなにも居心地の良い空間が出来るのに
日本人はそれを捨てて見かけの豪華さを追い求め、外国人がその魅力に気付くことが多々あるのだ。
ぴすけ曰く、日本の素材は手間隙掛けて作り上げるものが多く
その素材を使って物を作るには、あまりにも時間がかかる。
効率や経費の面から目先の利益を追う日本人は、やがてそれに見合う対価と時間を惜しみ
安っぽくて大量に消費でき、常に真新しく見える物を欲するようになったのだ。

2階に上がり、大使の間と呼ばれる寝室へ。

眺望室から外を見れば、桟橋のすぐ近くまで霧が湖面を覆い、天候の回復は難しいとわかる。

外に出て、ウッドデッキや桟橋を歩く。
晴れていれば望める半月山・社山・黒檜岳はまったく見えず、かろうじて八丁出島が見える。
「朝霧は晴れる」の言葉どおりなら、ここから半月山に向かっても良いと考えていたが
あきらめて中善寺温泉バス停に戻り、バスで戦場ヶ原に向かうことにした。


赤沼バス停で降りると、そこには平日とは思えないほどの人と、8月なのに小学生の集団が。
ぴすけ「うわっ、なに、この人
ぽぴ「え~、人、少ないよ。」
ぴすけ「私の基準では、多いよ
ぽぴ「土日はこんなもんじゃないでしょ。うちはいつも土日に出掛けるから、空いていて感激
戦場ヶ原の入り口には、男体山をバックに記念撮影できる場所があり
木道を挟んだ反対側は、ベンチとテーブルがしつらえられたちょっとした休憩所になっている。
男体山は姿を隠していたが、そこで味噌汁を作ってお昼を食べることにした。
それにしても、そここに散乱しているゴミの多さには驚いた。
行きかう小学生の数も、夏休み中の方が学期中より多いようだし
まあどこの小学校も次から次へと、のほうずという言葉がぴったりな様子で子供達が歩いている。
通りすがるハイカーのいでたちも、夏休み中とそうではない時期とでは全然違う。
要するに、普段は野山を歩かないような人まで、夏休みだと遊びの感覚で侵入してきて
下界の観光地の感覚でゴミを捨てていくのだ(下界の観光地だとてゴミを捨ててはいけないのだが)。

ノアザミ

ハクサンフウロ

イタリア大使館別荘記念公園の国際避暑地歴史館の展示にもあったが
日本で初めて英国式フライフィッシングが行われたという湯川。

この時期の戦場ヶ原はホザキシモツケが満開で、どこを見てもこの花が咲き乱れている。

ホザキシモツケ

周辺は霧で見えないのに、なぜか戦場ヶ原は霧の侵入がない。

アキノキリンソウ

コオニユリ
青木橋を渡り、林間を歩くようになると、昨日までの雨や朝霧などの影響か、木道が湿っている。
すると、ぽぴさんが足を滑らせて尻餅をついてしまったではないか
ついこの間すっ転んで怪我をし、以前も金峰山で尻餅をついて尾骨を損傷したことがあるぴすけにとって
目の前で友人が尻餅をついたことは、かなりの動揺だった
ぽぴさんが歩けるというので、とりあえずベンチがある泉門池まで向かった。
泉門池のベンチで休憩しながら、お尻の状態と段差のある所を歩けるか見て
打った痛さは残るかもしれないが、骨折やひびはないと判断した。
ぴすけが持っていた湿布を渡し、すぐに貼るように促したのだが
恥ずかしかったのか大丈夫だったのか、ぽぴさんは湿布を貼らずに歩き始めた。
帰りのバスの時間までたっぷり余裕があるので、早く帰るかもっと歩くかとぽぴさんに尋ねると
ぴすけの提案のうちの一つである、光徳でアイスクリームを食べるという案に著しく反応。
まあ、そんな意欲があるのなら、お尻の状態も格段悪くはないのだろうということで
小田代橋を渡って光徳に向かうことにした。

光徳に向かう道は本当に静かで、先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。
この日はどの山も望むことが出来なかったが、かろうじて高山が望めた。

光徳に向う途中にある、みさわ川に架かる橋には、なぜかガマガエルのオブジェやレリーフが。

お、お父さんっ…
と思わず叫んでしまいそうな風貌

福島第一原発の事故以来、いろいろと問題があるが、牛達は変わらず草を食んでいる。

光徳牧場に着くと、どこからか笛や太鼓のお囃子が聞こえてきた。
ちょうど7月31日から8月7日まで、二荒山神社の男体山登拝講社大祭
天候が微妙ながら、多くの登拝者が訪れているだろうと想像していたが、こんな山車まで巡回しているとは
朝、中禅寺湖に着いた時にもお囃子が
テレツクテレツクテンテケテン ピ-ヒャラ ドンカカ テレツクテン
と聞こえていたのだが、何せ濃霧で視界が利かず、演奏が延々と続いているので
「テープで流しているんじゃないの~」などと言って、生演奏だとは思ってもみなかった。
それがトラックの山車とはいえ、演奏をしながらやってきて、お囃子が光徳で聴けるなんて
棚からぼた餅とは、こういうことを言うのだろう。

福島第一原発の事故以来、いろいろと問題があるが
今日はまあ良いかと、アイスクリームを食べながらお囃子を聴いたのだった。
帰路は光徳温泉でバスに乗り、東武日光駅16時59分発の東武鉄道に乗車。
栗橋駅でぽぴさんと別れた。


ぽぴさんにとって、光徳牧場のアイスクリームも、行動食の羊羹もナッツも甘栗もおいしかったようだが
「お味噌汁、これがまた、うまかった~
ということであった。
フフフ、味噌汁作戦、成功
この、歩いた後の外で食べる味噌汁作戦で、山中(山中毒のこと)になった人もいるのですぞ



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2 コメント

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うまかった、いたかった (ぽぴ)
2011-08-03 19:44:59
お・・・まだお尻が復調してないタイミングというのに、早速克明なルポをありがとうございます。言ったばかりのハイキングがもうこんなにじっくり読めるとは感激です。

外で飲むお味噌汁はなんでああもおいしいのでしょうねえ。。。

おかげさまで、うちみはさほどでもなく、まあいうなれば、私の体重プラス荷物でいっきにストンと木道におっこちたくらいの(そのまんまじゃ!)打撲ですので、まもなく治るでしょう。
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外で飲むからではなくて (ぴすけ)
2011-08-03 20:26:56
多分、駅前のベンチで味噌汁を飲んでもそれほどおいしくはなくて、山で飲むからおいしいのだと思います
恐らく、山は空気がきれいで、歩き疲れてのども渇き、塩分と水分を体が欲しているからでしょう。
なんでも、おいしいんだな
だから私は山行の後、小屋に泊まれば三膳飯を食べて男性客に「よく食うな~」と言われ、テントで1合飯を食べればそれを見た人に「普段ろくなもの食ってないんじゃないか?」などと言われています
今回は天候が悪く、重力に逆らうことはしませんでしたが、次はお腹、ペッコペコになるよ
それまで、お尻、お大事に
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