ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』2月8日(月)

2010-04-11 23:57:07 | 特発性間質性肺炎
2月8日
・食事がとれるようになって来た。今朝は完食。
・MRIで首回りを撮る。帰りに売店に寄り、のり、しじみ、ふき(の佃煮)を買う。同時に「みそ豆」を。これが旨い。
・便が出た「バナナ」2本。自分の子供みたいだ。
・リハビリが2日休んだ為か、ヒザ、コシに弱さを感じた。
・13日に腰のMRIがあるとのこと。これは済んでいる等調べた結果は済。情報の共有が進んでいると思っていたが、縦割になっているのか。

2月8日夜半
 嚊聞き 羨くもあり 憎らしきもある
 自分が眠られないのに、よく眠ていることよ(同室の患者さんに思う)



母が腸炎に罹っている間、「リハビリの一環」などと言って
看護師に付き添ってもらい、談話室前の公衆電話から何回か実家に電話をかけてきた父であったが
とうとうMRIを撮ったついでに売店にまで遠征。
「乏しくなってきた。」と言っていた佃煮や、自分が食べたかった豆菓子を購入。
かなり御満悦だったようで、翌9日(火)に私が父の元に行ったとき
「これ、食べてみろ。うまいぞ!」と言って、みそ豆を振る舞われた。
豆類は誤嚥食品の代表的なもので、誤嚥によって肺炎になる高齢者もいて
母も私も、父にはなるべく食べさせないようにしていたのだが
元来豆菓子が大好きな父は、2人の目の届かぬ遠征先の売店でみそ豆を発見し
小躍りしたい気分で購入したに違いない。
「こういう硬くて小さな豆は良くないよ。もう買っちゃったんだから取り上げはしないけれど
 一度にたくさん口に入れないで、よく噛んで食べてよね。」と、注意したのだが
「そんなこと、言われなくたってわかってるよ!うるさいな~、まったく!」と言わんばかりに
父は「大丈夫だって!」と、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「その大丈夫が大丈夫じゃなかったんでしょ!
 タバコを吸っていても自分は大丈夫だと思っていて、どうなった?
 大丈夫じゃなかったじゃん!」と、私は切り札を出した。
これを言われると父は弱い。
黙ってしまう。
というのも、父が入院して容態が悪化し、ステロイドパルス療法を行って小康状態を得たとき
母が「タバコをやめる機会はいくらでもあったのに、なぜ病気で吸えなくなるまでやめなかったの?」
と、聞いたら
「だって、自分は大丈夫だと思っていたから。」と、父は言ったそうだ。


この、「自分は大丈夫」という何の根拠もない自信は、どこから来るのだろう。
まあ、私でも、そう思わないと外もおちおち歩いていられないとは思うし
ましてや手術前などは、そう自分に言い聞かせて気持ちを強く持たないと不安なこともある。
それでもなおかつ、急病になったり不慮の事故に巻き込まれたりすることが
皆無ではないと考えているし、何しろ100%安全だなどということは願望に過ぎない。
ましてや種々の疾患の危険因子として必ずといっていいほど挙げられるタバコを吸っていて
「自分は大丈夫」と思っていたとしたら、父はアホである。
恐らく、父自身は、長年高血圧症で薬の服用を余儀なくされていることや
父とよく似た母親(私からすれば祖母)が脳血管系統の疾患で倒れていること
呼吸器系の病気を持っていた親族がいないことなどから
自分が死ぬときは、脳血管系統の病気が原因だと勝手に考えていたのではないだろうか。
呼吸器の疾患、ましてや根治出来ない疾患を抱えるようになるとは
想像だにしなかったものと思われる。
父が入院した直後に私に書いた手紙の1行目に
「あなたが云うように『因果応報』かも。」と、書いてあった。
そう思っても、後の祭りである。
タバコが危険な薬物だと知っていても、それに目をつぶって吸い続けていれば
いずれは誰もがタバコに蝕まれるのは確実なことだ。
欧米のタバコ会社の役員は、皆タバコを吸わない。
それは、タバコがどれだけ恐ろしい薬物なのかを知っている証拠である。




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