ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』2月5日(金)・7日(日)

2010-04-10 23:36:33 | 特発性間質性肺炎
2月5日
・期待した下剤も未だ効果なし。
・気分としては食欲が出てきた感じがする。
・眠れるのは連続2h程度。
・今日整形の診療があるかも知れない。

2月7日
・便通を認めるも、指頭位なり。
・2度目の便は親指程度で良かった。
・快晴で少し雪の冠った山なみがキレイ。
・整形からの神経痛薬有効のようだ。



5日(金)は、母の嘔吐が一段落したため、実家に泊まれることになった。
父の病室に行くと、ちょうどリハビリが終わったところで、父はテレビを観ていた。
病室ではイヤホンをつけてテレビやラジオを観たり聴いたりするため
父はいつも私達に気が付くと、大きな地声をさらに大きくして
病室に響き渡るような大声で「オウ!」と言い
同室の方々を驚かせるのではないかと、私達はいつも気を揉んだ。
この日も大声で「オウ!」と言ったので、「そんな大きい声が出るんだったらもう大丈夫だね。」
と言うと、同じ病室の患者さんのところでリハビリをしていたリハビリ療法士の先生が
「ブッ!」と吹き出す声が聞こえた。


父は私に、矢継ぎ早に欲しい物をリクエストした。
ウェットティッシュ、おしりふき、ビーフジャーキー、チュッパチャプス。
ビーフジャーキーとチュッパチャプスは相当気に入ったのか再注文。
ただ、ダーリンが買っていったビーフジャーキーは黒胡椒が付いていておいしいのだが
ちぎって食べるときに(確か、「ちぎってジャーキー スパイシー」という商品名だったような…)
黒胡椒が飛び散って、シーツの上に散乱し、胡椒だらけになってしまうのが難点なので
ごくごく普通のビーフジャーキーで良いということだった。
そんな話をしていると、整形外科の医師が病室まで来てくれて、父の症状について問診があった。
父の肩の痛みや手の痺れ、脇腹の鈍痛などは
頚椎・脊椎の狭窄からくる神経痛なのではないかと推測されるが
きちんと原因を把握するために後日MRIを撮ることになり
それまで神経痛薬を出すので服用してみようということになった。
ステロイドミオパチーに関しては、この程度のステロイド服用ではその可能性はないとのこと。
私は、父の昼食と歯磨きまで病院にいて、2(火)日発売の『週間朝日』を父に渡し
「今夜は実家に泊まるから、買い物をして、明日また来るよ。」と言って実家に向かった。


母は、1月31日(日)に嘔吐が始まって以来、固形物を食べることが出来ず
かなりやつれていて、徐々に食事を普通食に移行させて体力を回復するようにしなければ
このまま衰えてしまうのではないかと思うほど消耗していた。
父は食欲が出てきて、病院の食事も「これはこれなりに味わい深い。」などと言って
そこそこ食べ始めているようだし、今回の実家滞在は、母の体調を戻すことが眼目であった。
お粥を徐々に硬めにし、白粥から卵や韮、しらす干しや鰹節などを入れたおじやにしていく。
毎日毎日父の元に通ったのだから、体も疲れていたことだろう。
基本は食事なので、まずは弱った胃腸に負担をかけず、栄養が摂れるように心掛けた。
しかし、6日(土)に私が帰宅して、7日(日)・8日(月)は母が一人になったが
一人だと食事を作る気力が湧かないらしく、レトルトのお粥に逆戻り。
一人暮らしの高齢者が病気になったときのことを、否応なく考えさせられた。







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