ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』おわりに

2010-05-31 20:15:44 | 特発性間質性肺炎
父は昭和9(1934)年生まれ。
5年前から特発性間質性肺炎を患い、急性増悪のため平成21(2009)年12月11日に入院。
2か月余りの入院生活で一時は退院もみえてきていたが
緊張性両側性気胸のため、平成22(2010)年2月15日0時53分に他界した。


父の七七日忌を控えた3月27日(土)、1通の封書が実家に届いた。
父の病が特定疾患に認定され、特定疾患医療費受給者証が送られてきたのだった。
4月4日(日)に父の七七日忌と納骨の法要を済ませてから数日後
母と私は父の主治医だったY医師とT医師のところへ御挨拶に伺った。
Y医師は、特定疾患の認定が下りたことを大変喜んでくれ
「大王(父の呼称)さんは本当に残念でしたが、遺された御家族のお力に多少なりともなれて良かった。」
とおっしゃった。
Y医師には、『闘病MEMO』を起こした原稿をお渡しした。
「石黒賢に似たイケメン」と書かれた箇所を読んで、どうお感じになるのだろうか。
T医師は
「ピレスパの開発には、大王さんには本当に貢献していただきました。
 ともすると情緒的になりがちなところを、科学的・分析的に意見を述べてくださり
 この新薬は大王さんのお力が注ぎ込まれてできたと言っても過言ではありません。
 退院してこの薬をお使いになる前にお亡くなりになってしまったことはとても残念です。」
と、父が参加していたピレスパの治験について話され、続けて
「特発性間質性肺炎の患者さんは、本当に微妙なバランスで綱渡りをしているようなものです。
 大王さんは、発症されるまで、長らく喫煙されていたことが致命的でした。
 喫煙者は肺の表面が薄く脆くなってしまうので、穴が開いてしまったのですね。」
とおっしゃった。
全てが喫煙のせいだ、とは言わない。
だが、喫煙はありとあらゆることの最大の危険因子だと言っても過言ではない。
ここでも、「またタバコかよ!」という気持ちで、私も母もガックリと肩を落とした。
父も私へ遺した手紙の1行目に、こう書いていた。
「あなたの言うとおり、因果応報かもしれません。」
後悔先にたたず、である。
喫煙という行為によって、これほど悲しくつらい思いを愛する人にさせたいのだろうか。
喫煙者には、自分の喫煙行為をもっと真剣に考えてほしいと思う。
苦しむのは、喫煙者自身だけではないのだ。




父が入院後間もなく命を懸けて書いてくれた手紙と入院期間中に綴った『闘病MEMO』は
遺された私達にとって大切な宝物となった。
父は、私の友人が「身内じゃね~」と評した如く
よそのオジサンとしては楽しく朗らかで話題も豊富、おいしいお酒や食べ物も知っているし
妙なこと(?)はしないので、紳士といえば紳士と言えなくもなかった。
ただ、家族としては、折詰を提げ歌を歌いながら千鳥足で毎晩午前様で帰り
時にはタクシー運転手を家に上げ、部下を泊まらせ
冠婚葬祭といえばはしゃぎすぎて羽目を外し、大盤振る舞いをする父は
それはそれは恥ずかしい存在だった。
そんな父だったが、退職後15年以上も経ったにもかかわらず
通夜と葬儀には、かつての同僚や上司・部下の方々、取引先の方がそれは大勢いらしてくださった。
毎晩午前様で酔っ払って帰宅し、恥ずかしい存在だったその父のことが
スッと呑みこめるというか、ストンと腹に納まるというか、受け入れられる気持ちになったのは
父を慕っていらして下さった皆さんと言葉を交わして得た感触だった。
まさに「身内じゃね~」ではあるけれども、よその皆さんを幸せにしていたのである。
娘が
「大王(父の呼称)は確かに『身内じゃね~』かもしれないけれど
 もし大王がよそのオジサンだったら、楽しく付き合えるし付き合ってもいいよね。
 家族って始末に負えないところがあって、嫌でも一緒にいなきゃならない時もあるけれど
 それ抜きで、むしろよそのオジサンでも付き合いたいって思えるような父親だったんだから
 大王は人として素敵なんだよ。
 他人でも付き合いたい、そういうふうに思える父親に育てられたんだから、お母さんは幸せだよ。」
と言ってくれ、なるほど、そういう見方もあるのだなと嬉しくなった。
菩提寺の住職も、父のことを
「温和で楽しく朗らかで、私はいつも、羨ましいな、と思って拝見していたんですよ。」
と語って下さり
「皆を幸せな光で照らしてくれた、そしてこれからも照らしてくれる人」ということで
「幸輝」という法号をつけてくださった。
友人も、手紙に「お幸せでしたね。」と書いてくれた。
皆さんがそう思って下さり、父は、まさに名前のごとく「幸せな男」だったのかもしれない。
父に関する笑い話は尽きないもので、私達は父の話をしながら涙を流して笑い転げている。
笑いながら話せる話題を提供してくれた父をもったことは
遺された私達にとっても幸せなことだと思う。
ここで書いても詮無きことだが、もう一度言おう。


お父さん、感謝しているのは私の方だよ。
ありがとう。


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2 コメント

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mountain, or not. (ガブ)
2010-06-01 22:18:49

心よりご冥福をお祈りいたします。

おつかれさまでした。
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ありがとうございます (ぴすけ)
2010-06-02 18:49:51
ガブさん、コメントありがとうございます。
大切な人を喪った経験のない人はいません。
まだ若くそういう経験がない人にも、いつかはそういう時がやってくることでしょうし、自分自身が先に世を去る場合もあるかもしれません。
自明の理ですが「誰にでも、死は平等にやってくる」ということを、父が亡くなった時にとても強く感じました。
しかし、父が教えてくれた山登り、食べに連れて行ってくれた料理、反面教師としての行動(?)は、私の中で生きています。
恐らく、父を慕ってくださった皆さんの中にも、父は生きていることでしょう。


父の入院は2か月余りでしたが、その間、父と密度の濃い時間を過ごせて、とても楽しかったですよ。
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