ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』2月13日(土) その1

2010-05-09 22:37:10 | 特発性間質性肺炎
2月13日
・水虫の試料拝取



2月13日(土)は、14時に整形外科医からMRIの結果説明があるということで
私が同席する予定だったが、医師の都合で前日に早まり、母が父と共に説明を聞いたのだった。
そこで『闘病MEMO』の12日(金)にある「寸劇」のようなことが起こり
母からだけ話を聞いていた私は、父を叱ってやると息巻いて
13日にビーフジャーキーとチュッパチャプスを携えて、13時半ごろ父の元に行ったのだった。
ところが、父の元に行くと、父は窓に背を向けて寝ていて、私に気付かないようだった。
昼食後の歯磨きをしたままだったので、それを片付けたが
ちょっと父の様子がおかしいので、父が向いている側に回って顔を覗き込んだ。
そのとき初めて、父は寝ていたのではなく、必死で痛みに耐えていたのだとわかった。
昼食後、歯磨きをしてから靴下のゴムを抜いて調節していたら、わき腹が痛くなってきて
30分ほど前にナースコールをして、腰に湿布を貼ってもらったというが
その後、痛みが治まるどころかますます激しくなってきて
ナースコールをしたくてもできないような苦しさになってしまったのだという。
私は急いでナースコールをし、すぐに看護師に来てくれるよう頼んだ。


ところが、看護師が来るまでの間、父は苦しみの中で
病院から1月分の入院費の請求書が来ているから大ママ(母の呼称)に渡してほしいということと
昨日の出来事をノートに「寸劇」という作品にして書いたので、読めということを必死で話した。
請求書はすぐに見付かり、大ママに渡しておくからと言うと父は納得したが
父が苦しんでいるときにノートの「寸劇」を読んで笑うという行為をするのは至難の業で
「後で読むから。」と言っても、「いいから、読んでみろ。早く読め。」とかなりしつこい。
これには閉口したが、「必ず後で読むから。」と言ってなんとか父を黙らせた。
そうしている間に、父の顔色はどんどん変色し、手足も冷たくなり、息遣いも尋常ではなくなってきた。
左わき腹から腰にかけて大変痛むのでさすってほしい、と言われてさすっていても
父の状態がただ事ではないということだけはひしひしと感じ、なぜかとても悲しくなった。
「ぴすけ、疲れただろう。すまんな。もういいよ。」
父は私にそう言ったが、この苦しみと痛みのさなかに、私を気遣ってそういうことを言う父が
とても父らしく(父性という意味ではなく、その人らしいという意味)感じた。
「お父さんはそんなこと気にしなくていいんだよ。私はだいじょうぶなんだから。」
とても悲しかったため、そう言うのが精一杯で、看護師の来るのが待ち遠しかった。


やっと来た看護師は、30分ほど前に父が腰が痛いから湿布を貼ってほしいと頼んでいたため
もうすっかり整形外科的な痛みだと思い込んでおり(父もそうだったのだが)
私が、父のこの状態は尋常ではないと言っても、開口一番こう言い放った。
「症状だけではわかりませんから。」
はあ?そりゃそれでごもっともかもしれませんが、じゃあ医療は何をみるんですかい?
そんなことをおっしゃるのなら、患者と向き合う必要などないんじゃぁございませんかい?
看護師は父に坐薬を入れると、「これで少しは楽になるからね。」と言って立ち去ろうとした。
私は看護師を捉まえて、医師に連絡を取ってほしいと強く言った。
「先生には連絡しておきますから。」
そう看護師は言ったが、医師が来るまでにかなりの時間がかかった。
やってきた医師は、総合病院に入院してから主治医になったY医師で
今日は朝から父に咳の症状があったという。
そのため、強く咳き込んだためにぎっくり腰や圧迫骨折を引き起こしたのではないかと疑っていた。
ポータブルX線撮影機が父の病室に運び込まれ、撮影が行われた。
撮影機が病室を出てからしばらくして、再びX線撮影機が運び込まれてきた。
画像が甘かったのか、或いは撮影部位を間違えたのかはわからないが
撮影を終えてしばらくすると、ナースステーションの方からY医師の叫び声が聞こえた。
「気胸だ!」
                                       (その2へつづく)




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