ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』補遺 2月14日(日)

2010-05-14 23:03:24 | 特発性間質性肺炎
2月14日
「そうだな。またゼロからのスタートだな!」



13日(土)に、父に発症した気胸は、今後の治療に関して絶望的な意味を持っていた。
一般病室からHCUに変わったための「業務縮小」で、父の私物を実家に持って帰った私は
父が気胸を発症してからの経過とY医師の言葉を、母にありのまま伝えた。
かなり衝撃的な出来事ではあったが、母にとっては父が入院した際に病院から呼び出され
病状説明を受けた時の方が遥かにショックが大きかったようで
その時に一度覚悟を強いられていたためか、私が危惧するような動揺はなかった。
だが、それが、母が現状をどの程度認識しているのか量りかねる不安材料でもあった。


14日(日)、父の弟妹には、父が気胸を発症して病室が変わり
医師から「治療は大きく後退」し「今がいちばん良い時」かもしれず
「今後緩やかに下り坂」だと説明を受けたので、時間ができたら見舞いに行ってほしいと連絡した。
私と母も、午後に父に会いに病院へ向かった。
HCUでは備え付けの冷蔵庫がないため、冷たい物を食べることが出来ない。
父の好きな果物がたくさん入った杏仁豆腐を、差し入れとして買っていくことにした。
私と母がHCUに入ると、父は「おう!」と、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
担当の看護師に「マスクマスク、これ外したいの。」と言って、マスクをすぐに外したがった。
「そうね。お話したいんだよね。でも酸素濃度が下がったら、カニューラじゃなくてマスクに戻すね。」
この日の担当看護師は、父と大変良好な関係を築いているOさんで
父の気持ちに共感してくれ、さらに優しく諭してくれた。
マスクが外れると、父は怒涛の如くしゃべり始めた。
差し入れの杏仁豆腐も、かなり大きい物だったが、「うまいうまい!」と言って平らげた。
父は「またオムツになっちゃった。でも、今回は全然痛くないんだよな~。不思議だな~。」
と言ったり
「このチューブ、どのくらいで外れるんだろう…。1週間くらいで外れるかな?」
と言って、私をドキリとさせた。
「どうだろうね。健康体の自然気胸なら早いんだろうけれど、お父さんは時間がかかるかもね。
 でもさ、T先生もおっしゃっていたように、焦らないでゆっくり治しなよ。」
私は作り笑顔になっていたかもしれないが、精一杯の笑顔でそう言った。
「そうだな。またゼロからのスタートだな!」
父のその言葉は、私の胸に強く響いた。
それからも、12日(金)にノートに綴った「寸劇」の話で盛り上がり
父と母と私で、HCUには不釣合いなほどお腹を抱えて笑った。
ただ、話したり笑ったりしているとやはり息が上がってしまうので疲れるらしく
私と母は帰りにパジャマを買うからと言って、16時30分に父の元を後にした。
胸腔ドレナージを施術する際に、2枚重ねで着ていたパジャマを切られてしまったので
替えが2枚しかなく、父が暖かいといって気に入っていたパジャマを買って帰ることにしたのだ。
「また明日来るね!」
私がそう言うと、父は「おう!」と言って手を挙げ、私と母をベッドから見送った。


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