道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

民主主義非万能論

2010-06-19 03:46:14 | 政事
前回の日記で、「高度に政治的な案件」であろうと司法はつっこむべきだ(そして、実際に司法的チェックは入っていた!)、ということを書いた。思うに、立法府は民主的であって勿論構わないが、法体系は民主主義によって破壊されるべきではない。たとえ、国民の99%の意見が一致していても、適正な手続きを踏んでいなかったり、体系的一貫性が担保されていなかったりすれば、司法は「ノー」を表明すべきである。


ところで、別の話であるが、時折目にするのが、「日本銀行は非民主的だ」という論。人事システムには民意が関与する余地が無く、政府からも独立しているのに、巨大な権力を持っている、ということだろう。
しかし、民主的なら良いのだろうか。私はそうは思わない。
確かに民意を踏まえるのは必要なことだし、外部からの抑制力も一定程度あった方が組織を健全に保てる。しかし、最終的な決断は民意に流されずに自分で行うというのが、プロというものだろう。我々パンピーとは較べものにならないくらい経済について知識もあり、長い時間をかけて思考・討論し、良質な情報へアクセスする能力を持っているのだから。


信頼できる職人というのも似ている。
バイト先の上司は、顧客の意見を聞いてから作業を行うのだが、取り組む案件の優先順位は自分で判断する。その結果、顧客が指摘した問題は保留しておいて、彼らが気付いてもすらいない問題の解決に取り組むことはよくある。顧客はそんな問題があったことも知らないまま、問題が解決する。
また、一定の期間ごとに、総合的なメンテナンスを提案する。目に見える大きな問題が起こっていないのに、巨額の費用がかかることを言い出すのだから、なかなか顧客には受け入れてもらえないが、必要だと思うから連絡するのである。
こういう仕事をする人は信頼できると思う。
それに対して、客の言う通りのことばかりして、客の受け入れやすいことばかり提案する人というのは、信用できない。恐らく、こちらの方が営業としては短期で成功するだろうし、利益も評判も上がるのだが、長期的には大きな問題が生じてくる危険がある。


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かつて、小学生の時だったか、「直接みんなで決めるのは無理だから、間接民主制なんだよ」と教わった記憶があるが、あれはウソであろう。
今なら直接民主制だって、技術的には十分可能だが、むしろ恐ろしくてできない。

それは、プラトンの云うように、パンピーは生まれつき出来が悪いからエリートに政治を託すべきだ、という意味ではない。
出来が良かろうと悪かろうと、別の仕事をして生計を立てながら的確な政治判断を行うのは難しい。溢れかえる情報の中で、その真偽を見分けるのすら、ままならない。

新聞など既存メディアの報道を鵜呑みにすることが危険であるのは周知の通りである。発言は切り取って文脈を変えるし、報道する/しないの選択によって情報を操作している可能性も考えられる。そもそも、マスコミが注目を集めたいこと(及び我々がマスコミに報道を期待すること)と、我々が知らなければならないことが一致するとは限らない。
ネット上の情報は更にあてにならない。ゴミのようなガセネタが山ほどある。その上、「自民党がネット書き込み要員を雇って、民主党の悪い話を(捏造して)流している」という噂も聞く(この噂の出処自体が非常に怪しいが、あり得ないことではない。かつ、民主党も同様のことをしているだろうし、公明党や共産党に至っては雇用の必要すらなく、無償でそれをする支持者たちがいるのではなかろうか)。お隣の中国では、中国共産党から出来高払いで雇われているネット書き込み隊の存在は、もはや公然の秘密である。「騙されてはいけない!」という字を見る度に、「こいつに騙されないようにしなければ」と私は思う。
ともあれ、自分で調査するだけの情報網を持たず、深い専門的知識を持たない我々にとって、ある情報が真実か捏造かは判別し難く、その事柄があり得るか否かすらも判断し難い。

結局、こうした状況下で多くの人に自分の意見や伝えたい情報を伝え、支持させたい者を支持させることができるのは、言っていることが明快で分かりやすく、かつ「声が大きい」ものである。
明快で分かりやすいというのは、代表例はヒトラーと毛沢東である。彼らの発言はシンプルで、論理の構造がすっきりしていて、極めて分かりやすい。
「声が大きい」というのは例を出すまでもなく、要するに発信力である。古代ギリシャのアゴラなら文字通り大きな声、現代なら巨大メディアを抑えること、もう少し後になれば「ネット書き込み部隊」をどれだけ雇用できるかになるかもしれない。


故に、職業的政治家と、専門的官僚が必要なのである。

私から言わせれば、「政治と金」なんて大した問題ではない。利益誘導は多少問題となるであろう。しかし、最も問題なのは、政治家が気概を持たず、大衆に媚びる衆愚政治の様相を呈することである。
手間隙をかけて、情報を収集・選別し、高度な専門的知識を持って、じっくり問題の把握と対策の作成を練られること。かつ、問題の適切な解決のためには、ある程度は民意を無視し得るだけの度胸を有していること。
それだけの条件を満たしていれば、金銭面で多少悪人でも構わないと思う。

理想は上で述べたような職人気質であるが、そういう人間は政治畑では出世できないだろうから、その出現は期待しない。

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民主主義は、政治権力を抑制する能力に於いて、非常に優れている。いかに政治家が巨大な権力を持っていても、その権力の根源が「有権者」にあるということを片時も忘れることはできない。その抑制力が、権力の恣意の暴走を防いでくれる。
しかし、個々の事案の解決能力については、「非民主的」な方が優れている場合が多い。間違っても、「民意だから」という大義名分で枠を踏み外してはならない。

新聞もネットも、そういうことはあまり論ぜず、「民意」を煽るばかりのような気がする。