道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

高度に政治的な案件

2010-06-18 23:30:17 | 政事
以前の日記で書いたように、入力が多くなればなるほど出力は遅くなり、再び高速度で出力できるようになるには、更に高い境地に達しなければならない、と私は考えている。

つまり、私が日記で専門のことについて書かないのは、自分の専門についての知識・見識が、高速出力できる段階は越えたが、高速出力できる段階には至っていない、ということである。

というわけで、本日も専門外の話。

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中学生の頃、私は謂わば原理主義者であった。
自衛隊の存在は明らかに違憲だと思っていたし、解決策は自衛隊をなくすか憲法を改めるかの二択だと思っていた。
しかし、大学に入ってからは、やはり九条と自衛隊とは相互に矛盾すると考えているのだが、解釈改憲というのは案外うまい手段なのではないかと思うようになってきた。

現行憲法を「占領軍による押し付け憲法」と単純に表現することについては是非の分かれるところだが、ここでは深入りしない。ともあれ、この九条というものが、理念上意図していたものというのは、自衛権についての認識の変更であったように思う。
喩えてみれば、日本の一般家庭のようなものを目指したのではあるまいか。玄関や窓に鍵はかかるが、アメリカのように銃器を常備しているわけではない。各家庭はこのように極めて不十分な防衛力しか持たないが、警察力に依存して治安の向上を図る。
では、この一家庭が一国家になった場合、警察とは何なのか。それは、国連軍を想定したのであろう。憲法九条というのは、恐らく、国連軍の発足を前提として作られた構想だったように思われる。

近代的戦争に於いて、防衛力とは即ち攻撃力であり、自国を守るに十分な戦力を有するというのは他国を攻めるにも十分な戦力となり得る。隣国が自衛のために戦力を増強すれば、それに合わせて自国も軍備を拡張する必要がある。その結果、全ての国が十分な防衛力を持つということはあり得ず、軍拡競争による国家予算膨張を招く。
それを考えれば、国家間の治安維持を担う軍事力を国家以外のものに委ねるという構想は、魅力的である(魅力的に感じない人もいるだろう。しかし、少なくとも私は、家の中に拳銃と弾薬を備えて管理する手間を煩わしく感じるタイプである)。

しかし、周知の通り、現在に至るまで、様々な政治的理由によって、常駐の国連軍は組織されていない。九条の前提となるものが欠けているわけである。
既に前提が失われた以上、自衛権は持たなければならない。そこで警察予備隊(→自衛隊)を創設したのであり、独立後に安保条約を締結したのである。

それでありながら九条を破棄しないのは、憲法改正の条件があまりに厳しいのがまず第一である。そして、同時に、憲法九条の持つ抑止力や外交的効果も失いたくなかったからであろう。
日本の防衛費が現在でも年間約5兆円で済んでいるのは、九条の効果が大きい。そして、国際社会復帰初期に於いて、九条というのはかなり役に立ったらしい。
建前のもたらす利益と現実に必要とされること、この二兎をうまくごまかしながら両方得ようとする試みが解釈改憲であったように思う。


外殻のままに中身を維持しようとするのは、いかにも頭が硬い。
中身がなくなったからといって外殻を捨てるのは、馬鹿正直が過ぎる。
殻には殻の使途がある。殻と身をうまく現実に合わせて運用することにこそ、政治に必要なしたたかさなのである。


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ところで、前々から不思議だったのは、
「高度に政治的な案件については司法判断はなじまない」
という最高裁判決。

「三権分立」というのは政治的な話ではなかったっけ?
司法は政治権力ではないのでしょうか?
他の二権の暴走を抑制するのが司法のシステムでは?
と私は思う。

そもそも、法律畑の話を聴くと、しばしば、民主主義に対する警戒心が感じられる(私自身も、民主主義が他の政体より優れていることは証明されていない、と考えている)。
そんな人たちが、上のような、立法・行政の判断を信頼するような態度を取るのは大変不思議である。国会を「国権の最高機関」であるという条文について「単なる美称」と言い放ったことすらあるし、そもそも、法学部出身であろうと、たとえ弁護士出身であろうと、政治家というのは彼らにとっては法学の何たるかをわかっていないピヨピヨなのである。

しかし、最近、気が付いた。
法律立案の際に、内閣法制局のチェックが入っているのだ。内閣法制局といえば、裁判所にとっては同業者も同然。 つまり、司法による抑制力がある程度働いていると見なしてよかろう。
政治家が単に民意を反映して(「人気取りで」とも謂う)作った法律だったら厳しい審査が必要だが、法律のプロである内閣法制局を通過したものであれば、その法体系への整合性は一定程度信用できる。かつ、法制局が事前に綿密な法解釈を準備していることも予想できる。故に、「高度に政治的な案件については司法判断はなじまない」なんてことも言えたのであろう。

これで納得。

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