道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

李白と杜甫

2007-12-12 00:15:08 | その他雑記
李白は自由奔放の天才肌にして遊び人、杜甫は勤勉実直の努力家にして苦労人。かたや型破りな文句を駆使して短くまとめる絶句が得意で、かたや規則通りの文を整然と並べる律詩に長じる。「詩仙」「詩聖」と並び称される二人のイメージは、対句の如く対称的である。

「李杜」の言葉があるように、いずれも詩作における偉人として名を馳せているが、古来人気が高いのは、断然李白である。

  李白一斗詩百篇、 李白一斗、詩百篇、
  長安市上酒家眠。 長安市上酒家に眠る。
  天子呼来不上船、 天子呼び来れども船に上らず、
  自称臣是酒中仙。 自ら称す、臣是れ酒中の仙、と。

酔っ払ってそこらへんで寝ちゃって、皇帝のお呼びだって断っちゃう。自由人の本懐、まさに此処に在り。うじうじした杜甫の詩なんかより、ずっと大胆で明るく、読んでいて楽しい。
――と思いきや、実はこの「李白一斗詩百篇」の詩は、杜甫の作なのである。杜甫だって豪快な詩を読むのである。

そして、後世への影響という点で考えると、実は杜甫の方が圧倒的に大きい。
李白はもちろん天才だし、奇抜で、彼にしか詠めないような作品がたくさんある。しかし、その思想・詩作の方向性について言えば、幻想的で美を追求する南朝以降の詩の流れの延長として理解できる。
一方、杜甫は、儒家的発想を用い、庶民の視点を持ち、現実主義的な、内容の重い詩を詠み、「詩史」とも称される。これは、当時の主流とは異なるが、確実に新しい流れを生み出し、それは韓愈や白居易にも継承されていった。
要するに、李白は伝統派であったが、杜甫は変革者であったのだ。

自由な天才がトラディショナルで、勤勉な苦労人がニューウェーブというのは、なかなかイメージに合わないような気がする。


しかし、思えば、モーツァルトとベートーベンもこれに近いのではなかろうか。
前者は明るく、天才で、個性的な曲を多く作ったが、作品の雰囲気としては、C.P.E.バッハやハイドンと方向性が似ている。
それに対し、後者は、苦悩が多く、努力家であったが、彼の作品はそれまでの貴族的な音楽とは全く異なり、市民層に力強く訴え、ロマン派の流れを作り出した。

なお、偶然ながら、杜甫が李白を尊敬していたのと、ベートーベンがモーツァルトに弟子入りしようとしたというのも、重なる。

ともあれ、変革者としての役割は、天才肌の自由人ではなく、努力家の苦労人が果たすものなのである。


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