升田幸三の誕生日だった。
朝日新聞の記事では「命日」って書いてあったけれど、誕生日。
私は升田幸三が好きである。
一番好きな棋士だ。
というよりも、彼以外の棋士についてよく知らないから、
正確には、「唯一知っている棋士」とでも言うべきかもしれない。
高校時代は升田式石田流ばかり指していたけれど、
ただし、あれは、みんなが嫌がるから、していただけ。
8年経った今では、升田式が大分流行しているらしく、
たまに将棋を指した時にやってみても、みんな全然嫌がらないので、つまらない。そろそろ別のハメ技を考えなければならないだろう。
私が升田幸三を好きなのは、
まずは、
「新手一生」
これにつきる。
修行時代から、定跡を外して自己流。しかも、構想がダイナミックで、見ていて面白い。
ひどいエピソードもあって、先輩棋士が一般向けの講座で角落ちについての語った後に、升田と模範大局をしたのだが、升田は定跡と全然違うことをやって、動揺している先輩を負かしてしまった。角落ち定跡の講座だろうがなんだろうがお構い無しに、好き勝手やる。
それから、このエピソードでも分かる通り、反骨心が強い。
基本的に好き勝手やる。接待将棋であろうと何だろうと、わざと負けることはなかったとか。
戦後すぐにGHQに呼ばれた時も、ビールを飲ませろと言うわ、飲んだビールがまずいと言うわ、「おんどれら」と言うわ(もっとも、これは通訳が意味を知らなかったので、相手には伝わらなかった)、しまいには「木村義雄(名人)が海軍大学等で講演しまくったから戦争に負けた。オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる」と言う始末。
言葉のセンスも良い。軽快で、語呂が良い。ミモフタもないことを平気で言うから面白い。
「錯覚いけない、よく見るよろし」
「名人など所詮はゴミのようなもの」「(自分は)ゴミにたかるハエ」
「棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」
発言もとにかく好き勝手だから面白い。偏見やらその場の勢いのでまかせやらホラやらで、かなりヒドイものもあるけれど。
そして、何よりも、将棋に限らず、何か普遍的なものを見ようとしている。
升田自身は「物事を、将棋にあてはめて考える癖がある」と言っていたけれど、
将棋で得た洞察を、他の物事に応用して、それがまたおかしい。
「着眼大局、着手小局」なんてのは、今で言う「Think global, act local」なんだろうけれど、
他にも、雑用係をやっていた時に得た見解、
軍隊生活が空白の期間となった体験と修行となった体験の違い、
等々、彼の自伝からは、将棋指しでなくても得るものがある。
剣術を究めていくうちに、書や花も究めた宮本武蔵にも似ている。
そういえば、自転車で大怪我をするまでは、剣豪になりたかったらしい。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」(本人も意味は憶えていない。自伝では、「広島名人をやっつけ」てから「本場の大阪に行」く、ということではないかと推量している)と言って、無一文で家出して広島まで歩いて行って、洗濯屋で働きながら将棋を勉強して、紹介状を得るなりそこを飛び出して、また無一文で大阪に向かう。
酒の飲み過ぎ(五歳から飲んでる)で健康を損ね、それでもしまいには、香落ちで名人を倒している。
ああいう棋士は、もう出ないんだろうな、と思う。
朝日新聞の記事では「命日」って書いてあったけれど、誕生日。
私は升田幸三が好きである。
一番好きな棋士だ。
というよりも、彼以外の棋士についてよく知らないから、
正確には、「唯一知っている棋士」とでも言うべきかもしれない。
高校時代は升田式石田流ばかり指していたけれど、
ただし、あれは、みんなが嫌がるから、していただけ。
8年経った今では、升田式が大分流行しているらしく、
たまに将棋を指した時にやってみても、みんな全然嫌がらないので、つまらない。そろそろ別のハメ技を考えなければならないだろう。
私が升田幸三を好きなのは、
まずは、
「新手一生」
これにつきる。
修行時代から、定跡を外して自己流。しかも、構想がダイナミックで、見ていて面白い。
ひどいエピソードもあって、先輩棋士が一般向けの講座で角落ちについての語った後に、升田と模範大局をしたのだが、升田は定跡と全然違うことをやって、動揺している先輩を負かしてしまった。角落ち定跡の講座だろうがなんだろうがお構い無しに、好き勝手やる。
それから、このエピソードでも分かる通り、反骨心が強い。
基本的に好き勝手やる。接待将棋であろうと何だろうと、わざと負けることはなかったとか。
戦後すぐにGHQに呼ばれた時も、ビールを飲ませろと言うわ、飲んだビールがまずいと言うわ、「おんどれら」と言うわ(もっとも、これは通訳が意味を知らなかったので、相手には伝わらなかった)、しまいには「木村義雄(名人)が海軍大学等で講演しまくったから戦争に負けた。オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる」と言う始末。
言葉のセンスも良い。軽快で、語呂が良い。ミモフタもないことを平気で言うから面白い。
「錯覚いけない、よく見るよろし」
「名人など所詮はゴミのようなもの」「(自分は)ゴミにたかるハエ」
「棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」
発言もとにかく好き勝手だから面白い。偏見やらその場の勢いのでまかせやらホラやらで、かなりヒドイものもあるけれど。
そして、何よりも、将棋に限らず、何か普遍的なものを見ようとしている。
升田自身は「物事を、将棋にあてはめて考える癖がある」と言っていたけれど、
将棋で得た洞察を、他の物事に応用して、それがまたおかしい。
「着眼大局、着手小局」なんてのは、今で言う「Think global, act local」なんだろうけれど、
他にも、雑用係をやっていた時に得た見解、
軍隊生活が空白の期間となった体験と修行となった体験の違い、
等々、彼の自伝からは、将棋指しでなくても得るものがある。
剣術を究めていくうちに、書や花も究めた宮本武蔵にも似ている。
そういえば、自転車で大怪我をするまでは、剣豪になりたかったらしい。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」(本人も意味は憶えていない。自伝では、「広島名人をやっつけ」てから「本場の大阪に行」く、ということではないかと推量している)と言って、無一文で家出して広島まで歩いて行って、洗濯屋で働きながら将棋を勉強して、紹介状を得るなりそこを飛び出して、また無一文で大阪に向かう。
酒の飲み過ぎ(五歳から飲んでる)で健康を損ね、それでもしまいには、香落ちで名人を倒している。
ああいう棋士は、もう出ないんだろうな、と思う。
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