「タナカカクエイ」というとすぐにラーメンズのコントが思い浮かんでしまう。 自分の冗談のネタのうちに、彼らの占める割合というのは、案外大きい。
ラーメンズのことはさておき、現在では、金権政治の象徴にして、国家財政の借金体質の原因として批判されることが多い。しかし、少なくとも新潟人の間では、未だに人気が高い。例えば、両親(ともに新潟の農村出身)は、「田中角栄は当時すべきことをしただけで、悪くない。今の赤字財政は、角栄の後の人が、時代的状況が変化したのにも関わらず、政策を改めなかったことが原因」と言う。
新潟人以外による評価はあまり聞いたことがないが、ともあれ、良きにせよ悪しきにせよ、戦後の歴史に於いて巨大な足跡を残した政治家であったことは間違いない。
ところで、そんな田中角栄の業績の一つに、日中国交回復がある。訪中前は「生きて帰れるのか」という不安も抱いていたようだが、無事に友好を結んで来たのは周知の通りである。
しかし、彼の地では、いろいろやってくれた。まず、周恩来と白酒を酌み交わし、乾杯合戦の末に、ベロンベロンに潰されたというのは有名な話であろう。
それから、彼が詠んだ漢詩というのが、またひどい。私がこれを知ったのは高校生の頃、とにかく「国の恥」と思ったのはよく憶えている。
國交途絶幾星霜,修好再開秋將到。
鄰人眼温吾人迎,北京空晴秋氣深。
(國交途絶して幾星霜、修好再開して秋將に到らんとす。
鄰人眼温くして吾人迎ふ、北京空晴れて秋氣深し。)
まず、文法的な誤りとしては、「吾人迎」。隣人が温かい眼差しで自分を迎えてくれるのであれば、「迎吾人」である。また、語彙の問題だが、空が快晴であることを言いたいのであれば、「空晴」ではなくて「天晴」としなければならない(そもそも、「天晴」でも詩歌としてはひどい表現ではある)。そして、「秋」の字を二度も使っているが、これは詩としてはあまりよろしくないし、重複を避ける手段はいくらでもあったはずだ。
更に重大な点に、音韻の問題がある。形を整えた詩としては、「平仄」なるものを気にしなければならない。詳しいことは省略するが、要するに句の音調に適切な抑揚・リズムをつけるための規則である。これを守らない詩も多いが、それは内容に見るべき点があるから許されるのであって、未熟な詩であれば、せめてこの規則だけでもがっちり守らなければみっともない。角栄の詩は、このルールを全く踏まえていない。
そして、何より、この詩は押韻していない。韻が通じる気配すら感じられない。詩として成立するための最低限の美学が欠如しているのであり、従ってこれは漢詩と呼べるシロモノではなく、要するに漢字を二十八個並べただけの文字列に過ぎない。
このような思いを10年程抱いて来たのであるが、しかし、最近、ふと気が付いた。実はこれは「国の恥」ではないのではあるまいか。少なくとも、彼から詩を受け取った毛沢東・周恩来は、これによって逆に日本への評価を高め、田中角栄に畏敬・羨望の念を抱いたのではないか、と思うようになったのである。
社会主義革命を成し遂げた中国共産党の建前というのは、農村に入って活動し、農民側に立って戦い、謂わば「農民の味方」というものであった。特に1970年代というのは文化大革命の動乱が吹き荒れた時代であるが、当時問題とされたのは「出身階級」であり、祖先が地主階級――「農民の敵」――であった者はひどく叩かれた。
しかし、そもそも、このような理念を喧伝した毛沢東・周恩来達自身が、彼らの父は地主であり、謂わばブルジョワ層・エリート層の出身なのである。それについて、何か後ろめたい思いがあったとしても仕方がない。
後ろめたい思いはあっても、しかし、政治的スタンスを常に農民側に置くことによってそれをごまかし、あたかも自分が小作農出身かのように振る舞わなければ、彼らの政治的地位は維持できなかったのであろう。
そんな中で日本からやってきた田中角栄というのは、とにかく貧しい農家の出身で、高校すら出ていない。文句無しで「農民階級出身」である。そんな人物が首相になった日本というのは、共産革命を成し遂げたはずの中国よりも進んでいる。
もちろん、その程度のことは、角栄の訪中前から、毛沢東達は調査済みだったはずだ。しかし、実際に会ったら、無茶苦茶な詩を披露されて、かつそんな詩を詠みながら「ドウダ七言絶句トヤラヲ詠ンデミタゾ」と得意満面の角栄を見て、彼らはまさに「絶句」したことであろう。
「まさかこんな文化性の低い水準の人間とは!! 間違いなく、こいつは貧農出身で、ろくに教育は受けてはいまい。」
彼らは、角栄の庶民性に対し、軽蔑という度合いを超えて、むしろ感動を覚えたのではあるまいか。もしかすると、「田んぼの中」という農民臭い姓に羨望の念すら抱いたかもしれない。
――カクエイ、おそるべし。
ラーメンズのことはさておき、現在では、金権政治の象徴にして、国家財政の借金体質の原因として批判されることが多い。しかし、少なくとも新潟人の間では、未だに人気が高い。例えば、両親(ともに新潟の農村出身)は、「田中角栄は当時すべきことをしただけで、悪くない。今の赤字財政は、角栄の後の人が、時代的状況が変化したのにも関わらず、政策を改めなかったことが原因」と言う。
新潟人以外による評価はあまり聞いたことがないが、ともあれ、良きにせよ悪しきにせよ、戦後の歴史に於いて巨大な足跡を残した政治家であったことは間違いない。
ところで、そんな田中角栄の業績の一つに、日中国交回復がある。訪中前は「生きて帰れるのか」という不安も抱いていたようだが、無事に友好を結んで来たのは周知の通りである。
しかし、彼の地では、いろいろやってくれた。まず、周恩来と白酒を酌み交わし、乾杯合戦の末に、ベロンベロンに潰されたというのは有名な話であろう。
それから、彼が詠んだ漢詩というのが、またひどい。私がこれを知ったのは高校生の頃、とにかく「国の恥」と思ったのはよく憶えている。
國交途絶幾星霜,修好再開秋將到。
鄰人眼温吾人迎,北京空晴秋氣深。
(國交途絶して幾星霜、修好再開して秋將に到らんとす。
鄰人眼温くして吾人迎ふ、北京空晴れて秋氣深し。)
まず、文法的な誤りとしては、「吾人迎」。隣人が温かい眼差しで自分を迎えてくれるのであれば、「迎吾人」である。また、語彙の問題だが、空が快晴であることを言いたいのであれば、「空晴」ではなくて「天晴」としなければならない(そもそも、「天晴」でも詩歌としてはひどい表現ではある)。そして、「秋」の字を二度も使っているが、これは詩としてはあまりよろしくないし、重複を避ける手段はいくらでもあったはずだ。
更に重大な点に、音韻の問題がある。形を整えた詩としては、「平仄」なるものを気にしなければならない。詳しいことは省略するが、要するに句の音調に適切な抑揚・リズムをつけるための規則である。これを守らない詩も多いが、それは内容に見るべき点があるから許されるのであって、未熟な詩であれば、せめてこの規則だけでもがっちり守らなければみっともない。角栄の詩は、このルールを全く踏まえていない。
そして、何より、この詩は押韻していない。韻が通じる気配すら感じられない。詩として成立するための最低限の美学が欠如しているのであり、従ってこれは漢詩と呼べるシロモノではなく、要するに漢字を二十八個並べただけの文字列に過ぎない。
このような思いを10年程抱いて来たのであるが、しかし、最近、ふと気が付いた。実はこれは「国の恥」ではないのではあるまいか。少なくとも、彼から詩を受け取った毛沢東・周恩来は、これによって逆に日本への評価を高め、田中角栄に畏敬・羨望の念を抱いたのではないか、と思うようになったのである。
社会主義革命を成し遂げた中国共産党の建前というのは、農村に入って活動し、農民側に立って戦い、謂わば「農民の味方」というものであった。特に1970年代というのは文化大革命の動乱が吹き荒れた時代であるが、当時問題とされたのは「出身階級」であり、祖先が地主階級――「農民の敵」――であった者はひどく叩かれた。
しかし、そもそも、このような理念を喧伝した毛沢東・周恩来達自身が、彼らの父は地主であり、謂わばブルジョワ層・エリート層の出身なのである。それについて、何か後ろめたい思いがあったとしても仕方がない。
後ろめたい思いはあっても、しかし、政治的スタンスを常に農民側に置くことによってそれをごまかし、あたかも自分が小作農出身かのように振る舞わなければ、彼らの政治的地位は維持できなかったのであろう。
そんな中で日本からやってきた田中角栄というのは、とにかく貧しい農家の出身で、高校すら出ていない。文句無しで「農民階級出身」である。そんな人物が首相になった日本というのは、共産革命を成し遂げたはずの中国よりも進んでいる。
もちろん、その程度のことは、角栄の訪中前から、毛沢東達は調査済みだったはずだ。しかし、実際に会ったら、無茶苦茶な詩を披露されて、かつそんな詩を詠みながら「ドウダ七言絶句トヤラヲ詠ンデミタゾ」と得意満面の角栄を見て、彼らはまさに「絶句」したことであろう。
「まさかこんな文化性の低い水準の人間とは!! 間違いなく、こいつは貧農出身で、ろくに教育は受けてはいまい。」
彼らは、角栄の庶民性に対し、軽蔑という度合いを超えて、むしろ感動を覚えたのではあるまいか。もしかすると、「田んぼの中」という農民臭い姓に羨望の念すら抱いたかもしれない。
――カクエイ、おそるべし。
コンビニの記事も、同じくコンビニでバイトした経験をもつ娘が興味津々で読んでいました。妻もちょくちょく覗かせてもらっているようです(形而上の記事はともかく)。
また、ご家族の方もご愛読なさっているとのこと、拙い文章で恐縮ですが、大変光栄に存じます。
皆様によろしくお伝えください。