道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

護憲・改憲を越えて

2007-05-07 21:11:11 | 政事
NHKの特集で、憲法改正についての何人かの意見が紹介されていた。
中立的な立場を取らなければならないNHKらしく、
全体的に護憲的雰囲気を思わせる構成ではあったが、
番組としてどちらかを支持するようなことは言わず、
最後に憲法学者小林節氏の話を持って来て、
「護憲・改憲の立場を越え、互いに議論を交え、考えを深めるべき」
という趣旨のまとめ方をしていた。
――全くもって同感である。

小林氏は、自己の経験から、
護憲派・改憲派が互いに自分たちのシンパ同士で群れるだけで、
異なる主張と正面から議論していない現状を指摘していた。
すなわち、自分の言いたいことを言うだけであり、
相手の意見を受け止め、議論を戦わせ、
互いによりよい結論へ昇華するというプロセスが欠如しているということである。
自分が自分なりの意見を持つように、相手にも相応の根拠があって異論を唱えるのであり、
互いの根拠・考えを交換しあい、反論に耐えうる論を組み立てることで、
独りよがりでない、多くの人の賛同を得られる主張に成長するのではないか。
こういったプロセスが欠如した中で、改憲案が提出され、
国民それぞれが議論を踏まず、それぞれの思いだけで投票を行ったのでは、
結果がどちらになろうとも、危険である。

小林氏は改憲派であるため、番組の中では、
自分が以前参加していた改憲派の集会について言及するのみであったが、
護憲派も同様である。
私は、以前、とある経緯から、左翼団体の中にいたことがあったが、
3ヶ月でやめた。
主張が合わなかったからではない。
彼らが、自分の言いたいことを声高に主張するのみで、
異なる意見を聞こうとしなかったからである。
何かの案件に対して異論が出た時に、十分な反論もせずに、
多数決で結論を下してしまう。
その手法に疑問を覚えたからである。

また、憲法論議のみならず、
議論が国民的に熱っぽく盛り上がるということが、
最近はほとんどないように思われる。
あるいは、日常でも、
他者と意見をぶつけあうということが避けられ、
互いと衝突しないようにする曖昧な話術ばかりが向上している。

これは、危険な現状であると思う。

近代的思考というのは、
様々な異論や反証可能性を受け付け、それを考慮し、組み入れ、
より高い次元の、多角的かつ正確な判断へ至るあり方であり、
批判精神を自らにまで向けることによって、
迷信や権威への盲信を超越して来たのである。
こういったプロセス、思考がなされなくなってきているとすれば、
前近代に逆戻りである。

近代を非とし、前近代を是とするのであれば、これで良いのかもしれないが、
少なくとも、近代社会の一市民を自負するのであれば、
他者の異論には目を通し、機会があれば果敢に論争を挑みたいものである。


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