写真は銀閣がある慈照寺の東求堂(とうぐどう)です。
昨年9月に会社と学校をさぼって家族5人で訪問した
ときに撮りました。
今、日本の建築史でレポート作成中ですが、
ちょっとエポックメイキングなので載せました。
実はこのさぼり京都ぶらり旅が
今回再び大学生になるきっかけにもなりました。
(途中長いので、今回は省略)
この東求堂ができた室町時代から織田・豊臣の時代は
変化に富みわくわくします。
お公家さん時代の様式、無駄が省かれ、
一方で南宗から来た文化が混じり合い
ある意味完成の域に達してできたのがこの東求堂と銀閣。
でも応仁の乱で既に滅亡に向かっていた
足利氏は銀閣に銀箔までは貼れなかった...
この後、織田・豊臣の世の中では...
1.千利休に代表される茶室文化、商人の活躍
2.徳川に代表される城郭文化
主に2つの流れができてきます。
そして2は立派だけど形式張りになって進化を止める。
1.ベンチャー
2.本社ビルを自慢する大企業
こんな感じかな。
本社ビルを自慢する大企業は安定しているように見えて
実は末期が近い(おいっ!そんなこと言って...)。
一見身分制度で縛られているように見える商人が
実は一番自由奔放に生きたのが江戸時代という見方もできます。
1に対する憧れは強いです。