アマゾンわんわん日記 2018

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「みかんぢょうちん」

2015年03月19日 | 読書


なんと、私が小学校1年生のときに買った本。
今からざっと40年以上の本よ。
この本でたしか「読書感想文」なるものを書いたのよ。
私と同じ年代の人だったら、きっと「夏休みの宿題」で書かされた人が多いんじゃない?

久しぶりに目に付いて手にとって見たら、昔読んだときには気がつかなかったことなどがはっきりとしてきて、お掃除の途中で一気に読んでしまいました。

この本は珍しい「中国の児童文学」です。
(中国の文学のジャンルわけはなかなか複雑なので、ここでは簡単に「子どもの読み物」という意味で「児童文学」としてしまいます。)
作者はシェ ピンシン、日本語訳は出沢万紀人です。

物語は、作者が昔の出来事を振り返るという形で書かれています。



作者は、春節に友人を訪ねます。
そこで8歳ぐらいの女の子に出会います。
女の子は母親が病気で吐血したので医者を呼びたいと、友人の住む町役場の電話を借りに来たのでした。
作者は代わりに電話をかけてあげました。

夕方になりましたが、友人は戻ってきません。
作者は思い立って女の子の家をたずねてみることにしました。
友人の家の前で「みかん」を買い、女の子が言っていた家を目指します。

女の子の家では母親が寝ていました。
小さななべの中には、「お祭りのご飯」だという芋のおかゆ。
作者が「他にご家族は?」と問いますと、女の子は「いまはだれもいません。お父さんはよそへ行っちゃって...」と答えます。
後になって、父親は政治的な問題に巻き込まれて姿を隠したことがわかります。

最後に暗い夜道を帰る作者のために、女の子は「みかん」を使って「ランタン」を作ってくれます。
その後の様子を作者はこうつづっています。。

「もうしばらくで、お父さんはきっと帰ってきます。そのときはお母さんも良くなるでしょう」
そして、手で前に大きく円を描いて、その手を私の手におろし、
「わたしたちみんな、幸せになるでしょう。」
と言ったのです。


作者は、この「みんな」という言葉の中に、自分も含められていると感じました。
そして、暗い夜道をぼんやりと照らすみかんぢょうちんの光は、作者の行く手を限りなく照らす光だと感じます。



12年後、作者はこのときのことを振り返り「きっと女の子の父親も帰ってきて、女の子も幸せに暮らしているだろう」と物語を締めくくります。

ここには、中国の圧政時代から革命による解放で、人々が「明るい未来」を夢見る気持ちが色濃く現れているといわれます。
私は個人的にはこの最後のページを読まずに、女の子の「わたしたちみんな、幸せになるでしょう」という言葉で締めくくってしまうほうが好みです。
たぶん、女の子の言う「幸せ」は、きれいな服を着たいとか、お金持ちになりたいとか、大きなことではなく、母親が少しでも良くなるように、その日食べるものに困らないように、とかの小さな身近なことではないかと思うのです。
みんな、世界中の人が幸せになるように、幸せを感じる心を忘れないように。
女の子は、広げた手、円を描いた手で、作者だけでなく、世界中の人の幸せを願ったのではないかと。
みかんぢょうちんの照らす光は、よく書評に語られるように「解放後の中国の未来を照らす光」ではなく、世界中の人の明日を導く、小さな小さな光ではないかと思うのです。



コメント
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