ピアノを始めて4年目の大人の生徒さん。
40代の方で、ピアノは大人になって初めて弾くという方です。
毎回、音が鳴らず、メモもよく取っていらっしゃるのですが、「練習してるとなんか違うけど、どうしたらいいかわからない」とよく仰います。
鍵盤に重さを載せることが上手くできていないからなのですが、もうこれは無理なのかな・・と思いつつ私もついつい言ってしまいます。
少し前に書きましたが、結局ピアノは重さで音を出す楽器。
歌や管楽器は息で音を出しますが、ピアノは体の重さ。
自分が直接音を出す止めるはできない宿命にあります。ピアノの中のハンマーやらダンパーやらがそれをやってくれています。
しかしそれをそのまま、ただ鍵盤を下ろす離すにしてしまうと、音楽にはなっりこない音になります。
しょーもない奴です・・
なので、少しでも歌うような音にするために鍵盤上で色々と試みるわけです。
腕をどうするとか、手首とか、指の支えとか、打鍵のスピードとか、方向とか。
そんな話をしましたら、その生徒さんはやっと重さとか手首とかの意味が納得できた様子でした。しょーもない楽器だから弾く人が頑張らなきゃいけないと、ざっくばらんに言ってしまったのが良かった気がします。
そして4年目にして初めて、本当にピアノらしい音がその生徒さんから聞こえてきました。
曲はショパンの前奏曲。太田胃散で有名なあの曲です。
その生徒さんはおっしゃいました、「なにか違うと思っていたけど、これか」と。
私は「いつもそうやって考えて、ご自分で色々と試されていたから、何が違ったのかわかったんです。これまでしてきたことは何一つ無駄なことではなかったんです」と言いました。
「回り道は回り道ではない」とその生徒さん。
まさに、その通り!完全同意です。
今の若い人は自分で見つけ出すことをしようとしません。
以前他の生徒さんに言われたのですが、自分で間違ったことをして直すのは無駄なことで、最初から答えを教えてもらってそれを覚えた方が効率的だ、と。
私は返す言葉がありませんでした。あまりに自分の感覚と違く、それに対して賛否さえ湧いてこなかったです。
今ははっきり言えますが、自分で見つけようとするから身に付くのです。
自分の何が違ったのかが分からないと、正しいものも分かりません。
今日は最後の生徒さんのレッスンを終えてドアを開けた時に、偶然スタッフの方が話している声が聞こえてきました。
「Z世代は言われたことしかしない。自分で考えて動かない」
その話をしていたスタッフは結構若い方たちで、ゆとり教育をばっちり受けた世代なのですが、その方たちがその下の世代をそう言っていたのには少々驚きました。
これからもっときついんだな・・と思いました。
求めなければ、道は開けないものです。
天から降って来るものを待っていても、自分の求めているものが落ちてくるとは限りません。
求めよ、さらば与えられん、です。
でも、何も求めないのが普通の感覚になってしまったらどうなるのでしょう・・
自分を磨くとか、より豊かな知識を身に付けるとか、知りたいと思う好奇心を持つといった感覚そのものがなくなってしまったら人間はどうなるのでしょう。