おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

「不思議な音の国」を使うのはなぜ?

2019年09月27日 | 不思議な音の国
先程、アメリカ人かカナダ人かわからないのですが、ロシア人がこの教本の存在は知っていても使っていないという話がありました。

彼らにこの教本の良さが伝わらないと。
(アメリカ在住のロシア人だと思います。話しても伝わらないとありましたので。)

私は当たり前ではないかと思いました。
彼らにとってこの教本の内容は全く新しいものではないからです。

これを読んだときに、日本は少なくとも50年前の奏法を未だに信じて教えている指導者、またはそれで習った保護者の方が圧倒的に多い。

(イギリス人のカヴァイエ先生によると、西側のヨーロッパではそれは60~70年前に凍結されたメソッドだと言っています。フランスではマルグリット・ロンがそれで、そのメソッドは50年前のもので今ではそれは誰も使わないとルヴィエが話しています。)

日本ではそれを問題だと感じずに練習量でカバー、根性でカバーすればいつの日か羽ばたける。
できないのは己の甘さと考える国民性があるように思うので、そうではなく奏法そのものに問題があると気付いた指導者が「不思議な音の国」や「はじめの一歩」を使っているのだと思います。

私の場合は「はじめの一歩」で教えるには力不足でしたので「不思議な音の国」を使っています。
これ1冊で音の読み方や音楽の理論的基礎(小節、拍子、フレーズ等)を教えることができます。

「はじめの一歩」はロシアやその周辺国のようにピアノ以外のレッスンも他に時間を設けて複数の教師でレッスンをする、または一人の指導者が別枠でソルフェージュやリトミック、音楽理論を行うことができれば十分に効果があると思います。
しかし、日本の現状で趣味の生徒さんがそこまですることはあり得ません。

趣味の生徒さんで週1回の30分レッスンで本物に近付けるものが私には「不思議な音の国」しか今のところないのです。

この教本の凄さは細かいタッチを丁寧に教えることができること、どんな気持ちの音楽かを考えていけることです。
美しいレガートや細かなアーティキュレーションが音楽にとっていかに大切であるか、それが表情にどんな違いを生むか。この大切なことを小さな生徒さんにも教えることが可能なのです。

ロシア人にとってこれらのことは当たり前なのだと思います。
この教本を使わなくともできることだから。
実際に良書として知られるグネーシナの「ピアノのABC」は不思議の下巻の最後の方と内容的に同じです。

日本ではきっとアメリカ以上にカッチリ、キッチリ昔の奏法を守り抜いてきたので「不思議な音の国」がこれまでの教本と何が違うのかわかりやすいのだと思います。

質問をしたアメリカ人(カナダ人?)の方のような疑問はおそらく生まれないと思われます。
コメント
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