電機大手、3D映像制作を強化 ソニーはCM受託本格化
ソニーなど電機大手が3次元(3D)映像コンテンツの制作体制を強化する。ソニーは撮影・編集機材を拡充してCMなどの制作を請け負う事業を本格展開するほか、パナソニックは販売・レンタル用の映画ソフトなどの制作受託を始める。米国で3D映画の制作・上映が増えるなど関連市場が拡大。電機各社は対応機器の開発を進めるとともに、コンテンツ制作も手掛け、関連市場の拡大を促す。
ソニーは子会社のソニーPCL(東京・品川)を通じて3次元映像コンテンツの制作体制を整備した。3D映像を効率的に撮影できるカメラを導入したほか、120型の大型スクリーンを使って実際の視聴環境に近い状態で映像を編集できるようにした。3D対応の映画館で放映するCMなどの制作を受注する。
2. 石原プロ裕次郎さんの遺志継ぎ映画製作へ
石原プロモーションがいよいよ映画製作に乗り出す意向を固めた。5日、石原裕次郎さん追悼のラストイベントと位置付けた二十三回忌法要を無事にやり遂げ、映画人だった裕次郎さんの遺志を継承していく。同プロ社長でもある渡哲也(67)は「石原の足跡を汚さないように守っていきたい」と、映画製作への強い決意をにじませた。
渡は法要セレモニー後のあいさつの中で「ありがとう」の言葉を7回も口にした。「ご参列たまわりまして、本当にありがとうございます。22年たった今もなお愛し、懐かしみ、しのんでくださる気持ち、その気持ちがうれしく、ありがたく、感謝でいっぱいでございます。ありがとうございます。心よりお礼申し上げます。ありがとうございます」。
その「ありがとう」の気持ちを待望の映画製作という形でファンに恩返しするとともに、裕次郎さんにささげる。裕次郎さんの没後、石原プロとして映画製作に乗り出すことはなかった。渡を補佐する同プロの小林正彦専務には「もし失敗した場合、裕次郎の顔に泥を塗ってしまう」という思いがあったからだ。だが、最後の奉公ともいえる二十三回忌法要を終えたことで、裕次郎さんという看板を意識せず、自由に映画製作に取り組む環境ができた。
過去には、映画製作のためにシナリオを発注したり、構想を練り上げるなど準備も進めたこともあり「新たな気持ちでこれからは好きなこと、会社としてやりたいことがやれる」と本格的に乗り出す。石原プロ製作というと過去の例から大作映画のイメージが強いが、スケールの大小、ジャンルを問わず、同プロとして製作できる範囲で動きだしたいという。
映画製作の資金についても小林専務は「石原プロで作品を製作するために、必要なお金を集められる自信はある」と胸を張る。いい企画さえあれば、石原プロが乗り出す可能性は高い。
渡は常々「我々にとって(裕次郎という)冠は大き過ぎるのかもしれません」と話していたが、裕次郎さんの最後の法要を成功させたことで、これまで感じていた裕次郎さんのプレッシャーからも吹っ切れたようだ。最近では「もし、映画を作るならば自分が主役である必要はない」と柔軟な姿勢をみせており、石原プロ社長として映画製作に乗り出す可能性が高まっている。映画を愛した裕次郎さんの遺志を引き継ぎ、悲願だった映画製作に大きく踏み出していく。
ソニーなど電機大手が3次元(3D)映像コンテンツの制作体制を強化する。ソニーは撮影・編集機材を拡充してCMなどの制作を請け負う事業を本格展開するほか、パナソニックは販売・レンタル用の映画ソフトなどの制作受託を始める。米国で3D映画の制作・上映が増えるなど関連市場が拡大。電機各社は対応機器の開発を進めるとともに、コンテンツ制作も手掛け、関連市場の拡大を促す。
ソニーは子会社のソニーPCL(東京・品川)を通じて3次元映像コンテンツの制作体制を整備した。3D映像を効率的に撮影できるカメラを導入したほか、120型の大型スクリーンを使って実際の視聴環境に近い状態で映像を編集できるようにした。3D対応の映画館で放映するCMなどの制作を受注する。
2. 石原プロ裕次郎さんの遺志継ぎ映画製作へ
石原プロモーションがいよいよ映画製作に乗り出す意向を固めた。5日、石原裕次郎さん追悼のラストイベントと位置付けた二十三回忌法要を無事にやり遂げ、映画人だった裕次郎さんの遺志を継承していく。同プロ社長でもある渡哲也(67)は「石原の足跡を汚さないように守っていきたい」と、映画製作への強い決意をにじませた。
渡は法要セレモニー後のあいさつの中で「ありがとう」の言葉を7回も口にした。「ご参列たまわりまして、本当にありがとうございます。22年たった今もなお愛し、懐かしみ、しのんでくださる気持ち、その気持ちがうれしく、ありがたく、感謝でいっぱいでございます。ありがとうございます。心よりお礼申し上げます。ありがとうございます」。
その「ありがとう」の気持ちを待望の映画製作という形でファンに恩返しするとともに、裕次郎さんにささげる。裕次郎さんの没後、石原プロとして映画製作に乗り出すことはなかった。渡を補佐する同プロの小林正彦専務には「もし失敗した場合、裕次郎の顔に泥を塗ってしまう」という思いがあったからだ。だが、最後の奉公ともいえる二十三回忌法要を終えたことで、裕次郎さんという看板を意識せず、自由に映画製作に取り組む環境ができた。
過去には、映画製作のためにシナリオを発注したり、構想を練り上げるなど準備も進めたこともあり「新たな気持ちでこれからは好きなこと、会社としてやりたいことがやれる」と本格的に乗り出す。石原プロ製作というと過去の例から大作映画のイメージが強いが、スケールの大小、ジャンルを問わず、同プロとして製作できる範囲で動きだしたいという。
映画製作の資金についても小林専務は「石原プロで作品を製作するために、必要なお金を集められる自信はある」と胸を張る。いい企画さえあれば、石原プロが乗り出す可能性は高い。
渡は常々「我々にとって(裕次郎という)冠は大き過ぎるのかもしれません」と話していたが、裕次郎さんの最後の法要を成功させたことで、これまで感じていた裕次郎さんのプレッシャーからも吹っ切れたようだ。最近では「もし、映画を作るならば自分が主役である必要はない」と柔軟な姿勢をみせており、石原プロ社長として映画製作に乗り出す可能性が高まっている。映画を愛した裕次郎さんの遺志を引き継ぎ、悲願だった映画製作に大きく踏み出していく。